銀河盛応援企画 第1弾です桜

 

 

保延元年(1135年)

清盛の父、平忠盛は瀬戸内海で横行する海賊の追討使に任ぜられました。

 

この時、忠盛と並んで源為義の名も候補として挙がっていたのですが、それを聞いた鳥羽院は、

 

「為義などを派遣すれば、道中の国々はその為に滅んでしまう」

 

と言われ、忠盛を任ぜられたとも言われています。

た、為義パパーーーーーえー

 

しかし『真田丸』では、天下人としての華やかさ、威風、恐ろしさを見せつけて下さった小日向文世さん演じる為義パパの悲哀と哀愁に満ちた、「頑張れども頑張れども、報われない源氏の棟梁」の演技…素晴らしいですねきらきら

 

『清盛』は主従関係の描写がとにかく素晴らしい作品ですが、この序盤の、気弱な棟梁と、それをオカンのように励ましたり慰めたり庇ったりしている通清パパの初代源氏主従コンビが本当に本当に大好き!!ラブラブ

 

昨日放送された第6話『西海の海賊王』は、由良御前さまご登場の回でしたね*花*

 

源義朝の正室にして、源頼朝の生母。

「由良御前なくして鎌倉幕府はなかった!!」

と言ってもよいほど、歴史のなかで重要な役割を果たした女性なのに、源義朝の妻といえば、義経を生んだ常盤御前ばかりが有名で。

 

それまで、あまりクローズアップされて来なかったのをこの『平清盛』が変えてくれました。

 

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田中麗奈さんの演じる由良さまラブラブ

凛としてお美しいですね花

 

初登場のシーンは、大河にありがちなちょっとイタい女子っぽかったですが涙

今後、中盤に向けてぐんぐん武家の女子としての芯の強さ、誇り高さを発揮していかれます。

 

由良御前は、尾張の国、熱田神宮の大宮司、藤原季範の娘として産まれました。

 

鳥羽院と待賢門院との間の皇女、統子内親王に女房として仕えており、東国から上がってきた義朝が院の近辺に接近する為の重要な役割を果たしたと考えられます。

 

久安4年(1147年)にのちに、頼朝が生まれます。

頼朝は義朝にとっては三男でしたが、跡継ぎである嫡男にたてられたのは、この生母の由良御前の実家の後見があってのことだと思われます。

 

『清盛』には出てきませんが、由良御前は頼朝の他に、少なくとも希義(まれよし)、坊門姫の二人の子を産んだといわれています。

 

保元元年(1156年)

保元の乱が起こると、由良御前の実家の熱田大宮司家は、義朝のもとに兵を送って援護しました。

 

中央政界へのコネ。いざという時に援軍を送ってくれる財力、軍事力。

由良御前は、義朝にとって非常に頼りになる正室でした。

 

保元3年(1158年)

統子内親王が、後白河天皇の皇后として立后すると、頼朝は皇后宮の少進という役職に選ばれます。

さらに、翌保元4年に内親王が女院の宣旨を受けると、その蔵人に任ぜられますが、このあたりは完全に母の由良御前のコネあってのことでしょうね。

 

しかし、頼朝が女院の蔵人に任ぜられてからわずか一カ月後の同年三月。

由良御前は世を去ります。

ひょっとしたら、ここ何年か体を壊して女房つとめも退いていて、頼朝の昇進は女院からの由良御前へのお見舞い、またはそれまでのつとめへの労いのような意味があったのかもしれませんね。

 

『平清盛』のなかでは、この上西門院さまを元・タカラジェンヌの愛原美花さんがとても気品高く雅やかに演じていらっしゃいます。とても素敵ですラブラブ

 

由良御前が亡くなってから、9ヶ月の後。

 

平治の乱が起こります。

由良御前の兄、藤原範忠は、この時は義弟である義朝に援軍を送りませんでした。

 

それどころか、乱ののち妹の子である希義(頼朝の弟)をとらえて朝廷に差し出しています。

 

土佐に流された希義は、治承四年に兄の頼朝が東国で挙兵すると、兄への呼応を疑った平氏から追討の命が出され殺害されました(自害ともウキャー!

 

希義が帰依していた僧は、のちに鎌倉の頼朝のもとを希義の遺髪を携えて訪ねていったと言われています。

希義の生年は不詳で、頼朝との年齢差なども分かっていませんが、平治の乱の折の頼朝が十三歳であったこと、希義自身は出陣していないことなどからこの時点では元服前の少年だったことでしょう。

 

流罪にするために急遽、「希義」という名を与えられて元服させられたという説もあり、なんとも痛ましい気持ちにさせられます。

 

平家が壇ノ浦で滅亡してから数年後の文治五年(1189年)

 

頼朝は、都から導師を招いて鶴岡八幡宮で、母・由良御前のために盛大な追善供養を行っています。

それに際して、後白河院からも馬や錦などが贈られたそうです。

 

鎌倉初代将軍となった頼朝の栄華を見ずに亡くなった由良御前。

 

けれど、愛する義朝や、希義たちの末期を知らずに亡くなったのは彼女にとっては幸せなことだったのかもしれません。