突然ですが、


今日は風くんの歌詞について気づいた事。





『帰ろう』で、


失うものなどない

最初から何も持ってない


でも、『まつり』では


何もかもすでに持ってるのにね



最初から何も持ってないのに、

何もかもすでに持ってる。

これ、なかなかの矛盾っぷりキメてる?



で、まぁいつもの勝手な解釈するねーひらめき気づき




『帰ろう』は、死を迎えて、

魂の源に帰ってく時の歌なので、

この「最初から」は、

「生まれた時から」のことなんかな?


人は生まれた時

何も持たずに生まれてくる。

けど、長い人生の中で

いろんなものを手にしていく。

でもそれらは全て与えられたもの。

『全ては神からの贈り物』

と、風くんも言っとった。



失うものなどない

最初から何も持ってない

とは、

たくさん持ってると思ってたものは

全て与えられたものであって、

本来何も持たずに生まれてきたので

帰る時も失うものはない


という事なんかな?





さて一方で、『まつり』でいってる


何もかもすでに持ってる

とは、

足るを知る


という事なんだろうと思う。




ちょうど水沢さんのブログにあったので引用します。



アメブロ「水沢実験室」 2024年10月の感想3 より引用

足るを知るとは「有る物で我慢しろ」では無く、
既に全て持っていた事に気付けと言う意味。
誰もが最初から有り余る程の豊かさを与えられているのだから
更に得ようとジタバタしなくて良い。
既に十分持っているのに、
それ以上何を欲しがると言うのか。



『まつり』の歌詞にそのまま当てはめると、


で一体何が欲しいわけ?

それ以上何を欲しがると言うのか。


なかなか気づけんよね

既に全て持っていた事に気付け


何もかもすでに持ってるのにね

既に十分持っているのに




何もかもすでに持ってるのにね

とは、

誰もが最初から有り余る程の豊かさを与えられている


という事なのだろう。



結論!


何も持ってないのに、何もかも持ってるとは、

生まれた時から何も持ってないけれど、

生まれた時から豊かさを与えられている。


という事らしい。(あくまで私の解釈です)



その豊かさって、全てはgrace「神の恵み」って事っすかね?

風くんの歌ってどれも繋がっとるな。



とにかく、

やっぱスゲーな、藤井風。

って言わざるを得ませんっ!(あばれる君っぽく)





帰ろうの歌詞って

自分もこんなふうになれたらええなと思うニコニコ

ある意味目標?



与えられたものは、

全て与えて、何も持たずに

一つ一つ荷物手放して

全て忘れて

全て流して

幸せ絶えぬ場所に

帰ろう



何の未練も執着もなく

スッキリと幸せに帰るには

これからどう生きていこうか?






……ねぇ、ホンマに

藤井風って何者なん?真顔