明太子が美味しい♡
久々あったかご飯と一緒に食べましてホッコリしております。

塩分高めだから控えてるんだけど、たまにはいいかなと思って食べたら美味しかった(笑)

どうして美味しいものって体に悪いとされているのか…。
神は意地悪だ…。。。


と話がそれました。

そうそう
きのうの続きのお話を…。


その93歳の叔父が7月中旬ぐらいだったか?
夜の11時頃に電話がかかってきて

「晩御飯食べてから具合が悪くて吐きそう…救急車呼ぼうと思うけど…」

と連絡があった。


よくよく話を聞くと、晩に食べた弁当の具材の中に生の物が入っていて
多分それに当たったのではないかという話

それからずっと、吐きそうだけど吐けないから苦しい状態らしく
でも早急に救急車を呼ぶほどでもなさそうだったので、それから急いで叔父の家に行った。
(車で15分ほど)

そして家に着いてみるとさっきより少し回復しているらしく

「落ち着いてきたからやっぱり病院に行かなくていい」
と言い出した叔父。

とは言ってもまた何かあるといけないので

「夜間外来があるから行こう」と
今度は私が強引に連れていく感じになりながら
12時過ぎに病院に到着

12時過ぎてて受診時間外だったらしいが、なんとか話をつけてもらって受診することが出来た。ありがたい!

その結果、即入院!

叔父も消化器系の炎症でなんか影があると。
あと肺に水が溜まってるらしく、やっぱり何があるか分からないなと
受診して良かったとホット一安心。

元気だとは思っていても93歳という高齢のため完全に元の状態に
回復する類のようでもないらしく

それから1か月半と長期病院生活になり、その間寝たきりの状態でだったこともあり
母と同じくその後、歩行が困難な状態になった。

しかし母と違って意識はハッキリしてて記憶力も抜群!
でも依然と同じ生活は出来ないだろうという事で

(病院の関係者の方はとても良くして頂いて感謝しています
ただ寝たきりというのは老化を加速する一因なのだなと通関しました。)

病院で介護申請の手続きをして一旦次の病院に転移して
施設を探すという流れになって
今現在は母と同じ施設に入所することになりました。

以前住んでいた家も引き払って(この件は別の親戚が手配してくれた)

それが10月でひと段落の区切りがつき、なんだかんだで慌ただしい日々でした。

コロナで入院していたその後の母も
高濃度の酸素ボンベを必要とすることなく無事退院でき
入院中の床ずれで、しばらくそこの病院に通院することになったぐらいで

その後は11月ごろ風邪を拗らせたけど
いまのところ元気で安定しています。

細々したのをいうとまだ沢山ありますが

そんなこんなで高齢化社会というのを肌身で感じた
慌ただしい1年だったかなと思います。


あと、認知症で思うのが

意識というのはどうなってるんやろう?と

本人の意識、認知症だから認識判断してる私がいない
という事は”自我がない”なくなりかけ?無くなる途中なのか
ただの反応のみで動いているという

もう以前みたいな母には会えず
一旦お別れみたいな形になるのがショックだったんだろうなと。
いまは思えます。

でもその光景を見てるのはこちら側なのだろうが。



今現在の母の認知症状態はだんだん進み

時系列はめちゃくちゃ季節や時間の感覚はなく

「ばあちゃんはどうしようかね?」
と、すでに30年以上前に天国に逝った祖母の(母の母)のことや兄弟のことを

現在進行形で話していて
季節も梅雨とか夏とか、適当に言っててバラバラ

そして今いる施設のことを”会社”だと思っていて
折り紙折っているのが仕事らしい


漫才でボケと突っ込みと表現するけど
本当に、このボケから来てるんやろなーというぐらい

母のボケは、ボケればボケるほど面白くなってきている

話はまったくかみ合わないけど(笑)

今度は新しくなった母に会っている
そんな今日この頃です。


さて、来年はどーなるのか

とは言っても

いま目の前の事をやるだけ
それだけでいいと思ってますけど♪

 

みなさんはどんな一年だったでしょうか


ということで

ご精読ありがとうございました!

では、また明日(*´︶`*)ノ"

 

今から残りの掃除をしてこうよっとε=ε=٩(๑・∀・)۶