今年も残すところ2日。大体この日数ぐらいになると

「今年を振り返って」とか「来年の抱負」などが出てくる。

という事で、そのセオリーに忠実に今年を振り返ってみましょう!


といってもね
今年は母の事がほぼオンリーだったかなと思います。


認知症を発症してから2年?ぐらい前かな?
当時、母は79歳で

認知症の”に”の字も意識していなかった私としては

全然まだまだ先の話で、まったくのノーマークだったところに

「えっ、まさか!」と
いきなりパンチをくらったような衝撃を受けました。


思い返せばその予兆みたいな事はあった気がするけど
認知症という目で見なければ
ただの普通の物忘れの延長みたいな感じだったから気付けないよな…。


一番最初に「おかしい…」と気づいたのは自宅の電話番号が分からない
と母が言い出した事。

「いやいや、さずがにありえんやろ自宅の番号わからんとか」
(私の心の声)
この事を皮切りに

”たったいま言った事を覚えきれない”という症状などが出始め
一度専門病院へ行った方がいいと思い受診しに行きました。

 

そして病院では軽度の認知症と診断され
と言っても老化現象でもあり、治るとかそういう感じのことでもなく…。
「個人差があるので進行状況は分からない」と言われました。

まだその時は歩行も出来るし、別に人手を借りることもなく物忘れが激しい程度だった…。


それから月日は流れ
ちょうど1年前の12月の年末あたりから歩行が危うくなってきて

少し支えが必要になってきた。


年明けそうそうお腹が痛いというので係り付けの病院で受診してもらったら

影があるとのことで、その後総合病院にて再検査したら

腸に穴が空いていてるので即入院。それから1か月間入院することになった。

そう病院…。

老人にとっては
いったい治しに行くのか悪化させに行くのかどっちなんだい!!
と言いたくなる病院。

そっから一気に急降下


他人事として見たり聞いたりしていた事が、当事者として経験するのは
リアル感が全然違うというか

歩行は支えがないと歩けなく、転んでも自力で起き上がれなくなってしまい
排泄もままならなくなっていて
ある日仕事から帰ると転んだ状態のままで横になっていて
それが度重なったので「これはいかん!」と施設の手配を

ちょうど年末前から介護申請をしてて、デイサービスを受けるようにしてたので

いまの状況などをみて
ケアマネさんに相談して近くの施設にショートステイという事で

スムーズに入所することが出来た。

それが3月中旬ぐらいの話で年明け早々ドタバタだった。

それから週末は施設に面会兼洗濯物の交換に行き
月一度は自宅に帰るという日々が始まった。

で、その3か月後の6月に施設で流行ったコロナに感染

で、また10日間の入院

この時39度の熱と呼吸がままならず酸素マスクを付けられた母

その傍らにいる病院の先生に「最終段階の処置をどこまでするのか?」
みたいな事を聞かれ

酸素ボンベの酸素濃度が、いま入院している所では低いらしく
高濃度の酸素が必要な場合は、別の病院へ移らなければいけないと。

仮にその病院が入所拒否すれば、その時点での処置が不可能となりますと宣告された。

これまた今まで全然考えてもいなかった事を突然聞かれ
「出来る限りの最善でお願いします」と伝えるしかなかった。


で、話はちょっと外れるが

母は7人兄弟の末っ子で、母方の家系は比較的長寿
まだ(いうのは失礼かもやけど)現存で98歳93歳86歳で
うちの母がいま現在81歳

7人中4人いる

その中の93歳の叔父なのだが、93歳とは言えないぐらいの元気で
一人暮らしをしているのだが、身の回りの世話は母が担っていた。

そして、母がこういう状況になったので私が代わりに代行することになって

と言っても頑固であんまり構ってほしくないタイプの叔父なので
郵便物とか(住所は私の家になってるので)その他の用事ぐらい
で様子を見に行く程度だった。

そう…。
だった…。


ちょっと長くなってきたので
続きは明日また書きます。

ここまでのご精読
ありがとうございます<(_ _)>