さぁ~、4月にに入りましたぁ~
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
私は、この季節が本当に一番好きなんです
気候も穏やかで、花も咲き乱れてて
でも・・・。思うんです・・・・。
桜散るの早くない??
もう少し眺めていたいんだけど・・・・。
でも、この儚さがいいんでしょうね
これも、私にはコントロールできない事だし
ってな事で、今日は今の現状報告をしたいと思います。
かれこれ自己探求を初めて、どれくらいになるんでしょうか??
その間いろんな事がありました・・・。
ほんと、いろんな事が・・・
つらかった、苦しかった・・・。
で、やっと??
ある理解に達しました。
私がコントロールしている訳ではないと言う事に。
それまで、似たような理解と言うのはあったんです
常に自分を観ている状態にはなっているんで
体が勝手に動いている
って言う理解はありました。
ですが、この事と、自分を切り離せなかった。
感覚的に。
頭の理解と、腑に落ちた理解の違いでしょうか。
雲黒斎さんのライブでも言ってましたが(ブログでも)
ラジコンのコントローラーを握ってるのが意識(神)で
動ごいていると思っている車が自分(自我)だと。
その感覚は理解できてた。
例えば、車を運転してて、右に曲がろうとした時に
向こうから車が来て、曲がれなかった
その時、イラッ!
ってする、なぜなら自分が曲がろうとしたから。
自分(我)がしようとする、そして思った通りにならない時に
苦が生じる。
全てにおいて。
自分がしようと思うから。
でも、自分はそれに関与していない
その理解が単発的でなく、全体的に理解した、腑に落ちた感じです。
ほんと、ひとそれぞれの理解
で、ここまでに行きついた留めがラメッシでした。
(これはあくまで私のストーリーです)
先週、何気に図書館に行きたくなりました。
(この何気にの感覚大事ですね)
で、いつものコーナーに立ち寄らず、足が止まったのが
哲学のコーナー
そこにあったのがラメッシ「意識は語る」の本でした。
私の理解は、ほぼ本からです。
たまに誰かの講演に行ったりするけど
(でもトータル 3人ぐらい)
何かのワークに行ったりだとか、セミナーとか行った事はない。
とは言え、そう言う人生の設定だったからしょうがないけど。
その図書館からの帰り
「あぁ~この本を借りに来たのか~」
って理解しました。
いつもなら、しばらく本を探して変えるのに
この日は図書館に着いて、ものの5分!
この本を見つけてすぐ家に帰ったから。
で、読んでみて「やっぱりね!」でした。
人によって、理解にしかたはさまざまです。
一撃必殺の恩寵で理解する人
ゆっくりじっくりの人
私はハーフ&ハーフ?
このブログにも書いたけど
探究始めて、しばらくして
恩寵と言われる一撃があれば理解できると思ってました。
それが起こるにはどうすればいいのか?
を考え、探し、思考錯誤・・・・。
でも、どうにもこうにも、なす術なし・・・・。
で、神に喧嘩を売った。
恩寵起こしてよ!!
みんなに起こせばいいやん!!
って。
そしたら、終了やん!!
って。
その願いを神は叶えてくれた・・・・。
が、それが衝撃過ぎて受け入れられなかった。
無理だべ・・・。あれは・・・・。
で、その後は玉ねぎの皮を剥くかのごとく
ゆっくり、丁寧に、いつのまにか
と言う感じて理解させてくれた。
やさしい
そして、今まで聞いた言葉、話が理解できた。
あるがまま
何も心配しなくても大丈夫
死んだりしない、生まれてもいないから
あなたは何もしていない
明け渡す
降参
とか。etc・・・。
そうだよね、私がやってるんじゃないからさ
無理だわ。。。お手上げ
なす術なし。
でも、ここでよく言われるのが、(視点の違いだけど)
「何もしなくていい訳ではない」と言われるやつ
まぁ、結局
ほんとうに行動に移したくないならいんじゃない?
したいならすればいいし
どっちでも良くない?
自分がしたい方で
それが、我だろうが神(意識)だろうが
トータルの結果、一緒だしさ
苦しむなら思いっきり苦しめばいい
悲しいなら思いっきり悲しめばいい
楽しいなら思いっきり楽しめばいい
(でも、もう一度あの楽しさを!!を求めると苦しむけど)←それ込みで苦しんで
人生を謳歌すればいい
それしか出来ない
いや、それすら出来ない
ここまでの理解に達して、私が感じたのは
安堵
でした。
自由を感じたって人もいるらしいけど
私は、ホッとした。安堵感。
自分で必死に何かをしようとしてたんだろうね
お疲れ様でした
と自分に言いたい。
とは言え、私の物語はまだまだ続きますので
これから、何があるのか
乞うご期待!!
ってな事で、今日はこの辺で
また次回お会いしましょう