今日はブログを始めて3ヶ月目の節目として、自身の心情と知られざる事実を独り言で…
僕は今、長崎の海の見える丘で穏やかな時を過ごしています…。
唐突なタイトルに『死』を連想した方も多いと思います。
事実、僕は自らの生涯に終止符を打つために出発したのだから…。
何故か…
僕は『鬱病』になり、自身の中にもう一人の自分が存在し、『もう良いから、早く楽になれ』と言う声に誘われました。
結果、気が付くと此処まできました。
恐ろしい病です。生きようとする自分と死のうとする自分が存在するのですから。
ですが、安心して下さい。今は平静を取り戻していますから…。
何故いまこんな話をするのか…。
皆さんには、これからお話しする、私自身の体験した『事実』を通して命とは何かという生きる為に不可欠であろう事象に、一瞬でも考えて頂く機会になればと思ったからです。
私は約一年前にこの病に襲われた事が判り、半年間の休職を余儀なくされました。
ただ何もせず、家に引きこもる様は働けないと言う屈辱と孤独感しかなく、精神状態は更に悪化。
このままではマズイと考え、何か没頭できる事はないかと、ふと学生時代にやっていた写真の記憶が蘇ったのです。
これが鬱と闘うエピローグとなりました。
僕はフィルム写真で活動してましたから、デジタルの知識はさほどなく『カメラのキタムラ』へ走り相棒となるEOS50Dと出逢いました。
その後は毎日会社に行くように撮影に没頭し順調に回復し、午前中だけではありますが復職を果たしました…が病魔は再び襲ってきました。
再発です…。
が、この頃僕には新たな出逢いがありました。
『アメブロ』でした。
当初は、単なる風景でしたが、アメブロでペタから始まり、やがてプチメやコメで少しずつアメ友が増え…。
そして様々に生きている皆さんのブログに旨く言えないですが『心の叫び』が見えた気がしました。
そして…
生きている『証』を残そう、もしも自分が病に負けて大地に帰ったとしても…ブログという記憶は残り、何かを伝え、誰かの心の片隅にでも刻まれれば、それが悪い印象であったとしても…
何かを伝えようとしたヤツがいたという記憶。
それで充分という自分の死への動機づけですね。
そしてこれ以降、(気付いた方もいますが)僕は、『生命』という単純なのに複雑なテーマを追い続けるようになりました。
生命とは、有機物も無機物もこの地球にある全てのものが様々に関わりあって『バランス』を保ちながら存在する…今はそう考えています。
とにもかくにも僕は今、生きる事の意味を一枚の写真に込める『探求』し伝えて行く事で、自らの命を繋ぎ止めようとする新たな目標を打ち立て、病に打ち勝とうと決心しました。
そう、これが逝ってしまおうとするもう一人の自分への『遺書』です。
紛らわしくてすみません。
てなわけで…
今日は長崎市内、明日は佐世保で取材します。この地で感じた生命の物語、見て下さいませ。
そして、此からも宜しくお願いいたします。
僕は今、長崎の海の見える丘で穏やかな時を過ごしています…。
唐突なタイトルに『死』を連想した方も多いと思います。
事実、僕は自らの生涯に終止符を打つために出発したのだから…。
何故か…
僕は『鬱病』になり、自身の中にもう一人の自分が存在し、『もう良いから、早く楽になれ』と言う声に誘われました。
結果、気が付くと此処まできました。
恐ろしい病です。生きようとする自分と死のうとする自分が存在するのですから。
ですが、安心して下さい。今は平静を取り戻していますから…。
何故いまこんな話をするのか…。
皆さんには、これからお話しする、私自身の体験した『事実』を通して命とは何かという生きる為に不可欠であろう事象に、一瞬でも考えて頂く機会になればと思ったからです。
私は約一年前にこの病に襲われた事が判り、半年間の休職を余儀なくされました。
ただ何もせず、家に引きこもる様は働けないと言う屈辱と孤独感しかなく、精神状態は更に悪化。
このままではマズイと考え、何か没頭できる事はないかと、ふと学生時代にやっていた写真の記憶が蘇ったのです。
これが鬱と闘うエピローグとなりました。
僕はフィルム写真で活動してましたから、デジタルの知識はさほどなく『カメラのキタムラ』へ走り相棒となるEOS50Dと出逢いました。
その後は毎日会社に行くように撮影に没頭し順調に回復し、午前中だけではありますが復職を果たしました…が病魔は再び襲ってきました。
再発です…。
が、この頃僕には新たな出逢いがありました。
『アメブロ』でした。
当初は、単なる風景でしたが、アメブロでペタから始まり、やがてプチメやコメで少しずつアメ友が増え…。
そして様々に生きている皆さんのブログに旨く言えないですが『心の叫び』が見えた気がしました。
そして…
生きている『証』を残そう、もしも自分が病に負けて大地に帰ったとしても…ブログという記憶は残り、何かを伝え、誰かの心の片隅にでも刻まれれば、それが悪い印象であったとしても…
何かを伝えようとしたヤツがいたという記憶。
それで充分という自分の死への動機づけですね。
そしてこれ以降、(気付いた方もいますが)僕は、『生命』という単純なのに複雑なテーマを追い続けるようになりました。
生命とは、有機物も無機物もこの地球にある全てのものが様々に関わりあって『バランス』を保ちながら存在する…今はそう考えています。
とにもかくにも僕は今、生きる事の意味を一枚の写真に込める『探求』し伝えて行く事で、自らの命を繋ぎ止めようとする新たな目標を打ち立て、病に打ち勝とうと決心しました。
そう、これが逝ってしまおうとするもう一人の自分への『遺書』です。
紛らわしくてすみません。
てなわけで…
今日は長崎市内、明日は佐世保で取材します。この地で感じた生命の物語、見て下さいませ。
そして、此からも宜しくお願いいたします。