早く終わって欲しい5月
11年前のGWはバニコと最後を過ごしていた
彼女が教えてくれた最後ってこんな風になるんだよ
思うように水も飲めずフードも食べる事が出来ない
排尿すらまともに出来ない
自宅で私が点滴を打っていた
身体に熱がこもりハァハァと荒い息ずかい
いつも寝る時は一緒に2階の部屋に移動していたが
その元気もない
私は布団を買って1階の和室、今は娘の仏壇が置いてある部屋に布団を敷き一緒に寝ていた。私の寝る布団に一緒に寝る様になり数ヶ月
亡くなる数日前に一度高熱を出し病院に連れて行くも
「手の施しようがありません。今日はカルテには記入しませんので診察料も頂きませんのでこのまま帰って頂いて結構です。」
その言葉を聞いた私は胸がはちきれんばかりに苦しく悲しくやるせなかった
このまま何もせずに逝かせてしまうのかぁ・・・
今思い出しても涙が溢れてくる
リビングに寝たきりになったバニコは目の前にある和室に移動する事も出来なくなって布団をリビングに敷き一緒眠った
真横に居たのにバニコが逝った瞬間眠りに落ちてしまっていた
悔しくて悲しくて眠りに落ちた自分を恨んだ
隣にいる私に最期の最後に気付いてもらえなかったバニコ
悲しかっただろうなぁ
でも、バニコには闘病生活期間があった
私達家族には最期を迎える心の準備があった
満足な事はしてやれなかったかもしれない
でも、出来る限りの事はしたつもりだった
バニコは色んな病気を持っていた
足は前十字靱帯断絶し両足を合計3度の手術をし
避妊手術後、膣が子供のまま成長せず身体ばかり成長したせいで
雑菌が湧きやすく膀胱炎にしょちゅうかかっていた
フードももちろん病院から指定されたもの太って膣が塞がると又膀胱炎をおこす要因となる為おやつもまともに与えられなかった
バーニーズマウンテンは短命で8歳生きたら神様の思し召しと言ってよいと言われる犬種だったので8歳になったらおやつも好きに食べさせてあげようと、家族で話していた
大学からの研修でオーストラリアに行ってた娘の帰りを待ちわびていたバニコ
娘が帰宅し翌日に息を引き取った
バニコにとって娘は天敵だったけど好きだったんだなぁ
愛が最期の最期にキセキを生んで最後に娘に会えたんだ
しつこくちょっかいを掛ける娘にバニコはイライラさせられっぱなし
よく姉妹喧嘩していた
8歳になって1ヶ月後にバニコに病気が見つかった
悪性リンパ腫
1月に病気が分かり亡くなったのが5月21日
たった5ヶ月だったけどいつか来る心の準備が出来ていた
分かっていた別れだったけど落ち込み様は半端なものではなかった
何の準備も出来ぬまま迎えた娘との別れ
悲しむ暇さえなかった
別れを惜しむ暇さえなかった
時が過ぎれば・・・
そんな事ないよ
悲しい物は悲しい
苦しい事は苦しい
簡単に過去形に出来るものではない
生き別れと、死に別れを比べてどっちが辛いかって言う人いるけど
自分主体に考えるから生き別れが辛いって言うだけで
相手は生きている
生きてさえいればその人には又幸せは訪れる
でもね、死んでしまったらその人の訪れるはずだった未来
幸せも苦しみも悲しみも全部なくなってしまう
生きてさえいれば明日の望みがある
遺族には亡くなった人の思い出だけを想い生きて行かなきゃいけない
その子の未来を全部飲み込んだ闇と一緒に
私には大事な娘二人が私より先に逝っちゃった
1頭だけど私には1人は 空の上で駆け回り
1人はバイクでぶっ飛ばしている
お母さんに女の子育てるの向いてなかったのかなぁ?
2人共短命だ
苦しいわ
ゴメンなぁバニコ
ゴメンなぁ○○○
大好きな娘達に会いたい
最後まで読んでいただき有難うございました
おやすみなさい