昨日4月3日は義父の命日でした

 

娘が中学校2年生になる直前

息子が高校に進学する直前の事でした

 

朝私が仕事に行く前に義母から義父の様態が悪いので今から義兄と病院行ってくると言う連絡がありました

 

経理事務をしていた私は決算期と重なり忙しい最中、おまけに事務員は私一人なので休みずらいと言えば休みずらいのですが、あらかじめ、私の職場には義父の容態が悪い事は伝えていたので快く休みを頂けました

春休み中の子供達に仕事ではなく病院に行くのでと、留守番を頼みました

 

息子は行ってらっしゃい!と一言

娘は「なんで?私ら春休みやねんから一緒に行ったらエエやんか!行こう!」

 

ああ、そうだ!一緒に行ったらエエんやった

 

まさかその日に亡くなるなんて思っていなかった私

 

三人で隣の市に入院している義父の元へ急ぎました

息子は朝早くから友達とジョギングに出て戻って来たばかりで朝食も済ませる事無く家を出たので病院近くの喫茶店に連れていきモーニングを注文してやりました

 

ウェイトレス「お飲み物は何にされますか?」

私がホットを注文した後

息子が「お茶」

ウェイトレス「は?お茶?・・・お茶はチョット・・・」

息子はコーヒーは飲めません。32歳の今でもです。同じく娘もです。

そして二人共、炭酸飲料も苦手で唯一飲めるのがビール

炭酸以外で何かあるものを探し牛乳にしました

 

それから病室に戻り義母を連れてきた義兄と私達三人で見守りました。

苦しそうな息をしていた義父

可哀想で可哀想でずっと泣いていた私

途中で単身赴任先から戻って来た旦那が合流しました

義兄は仕事に行くと言って席を外して数分後の事

義父が息を引き取りました

私達家族4人と叔父、義母6人で見送りました

 

旦那が骨折して入院していた時断固としてお見舞いに行く事を拒否していた娘

何故この日に限って自分から行こうと言ったのか不思議で仕方なかったので

後で聞いてみると

「今回は行かなアカンような気がしてん」

娘は小さなころから勘が鋭く転機、転機に何か伝えたり、行動したりするところがあったのです

 

では、何故自分の亡くなると言う大きな転機に気付かなかったの

 

この事が今でも悔やまれてなりません

 

なんでなん・・・

 

 

 

 

後日談ですが、義父が長時間苦しそうに息をしていたのに義兄が帰った数分後に息を引き取った事を知った親戚一同が言った言葉

「○○がおったから心配し過ぎて逝かれへんかったんやろなぁ」

でした。

義父の四十九日も自分主催で甲子園に阪神タイガースの応援に行かないといけないから違う日に変更する。墓にも行かない。

義父には助けてもらった恩返しのつもりで、墓参りや法事などは私が引き続き私が執り行っております

息子は高校の入学前に祖父の葬儀で制服を着る事になったのでした

 

 

しかし・・・墓守相ねぇ・・・私の手相

 

 

本日もお付き合い頂き有難うございました🙇🏻‍♀️