私が若い頃父に、

「エエか、10ある所を10責めたらあかんのや。せめて2か3の逃げ場を与えたらなあかんのやで。男って言うもんはそんな生きもんやねん。○○さん(実母)は10のところ、13か14と責めるからなぁ。俺は逃げ場がなかったんや。」と、言われた事がある。

 

 

 

 

確かに、実母はそう言う性格だった。父に対してもだが誰にでもそうでした。

ブレーキの壊れたダンプカーのような人でした。

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このセリフは実母と絶縁関係になる前に我が旦那が言ったセリフです。

 

 

 

 

そんな母親を見て、やりすぎやねん。言いすぎやねん。そう思っていた。

父の言う事はごもっともと思い、我が旦那には必ずと言っていい程逃げ場とやらを、与えてきた。

 

 

 

「母親の子やなぁ。そっくりとまでは言わんけど、似た性格してる。」若い頃、我が旦那に言われた事がある。

 

 

 

その時の私の心の声

 

「母親と同じブレーキの壊れたダンプカーなら、お前はこうやって、嫌味なんか言えてないわ。即死してるから。」

 

 

 

彼らにここ迄追い込まれて、何故、逃げ場を与えなければいけない?今まで十分な時間と言う逃げ道も、逃げ場も与えたはず。行動しなかったのは、彼らだ。

謝罪する場も設けたはずだ。彼らが選んだ道は、謝罪する事もなく、執拗に責めてきた、嫌がらせも受けた。

 

 

 

父親の意見は尊重したが、相手には通じない。

もうエエやろ。

 

 

 

人生初の攻防戦。今度は私の餌食になってもらう!

10あるところ、15は確実に攻めてやる。

死ぬ前にやれるだけの事はやらねば。

娘の無念をはらさなければ。

 

 

 

 

旦那に対しての怒りは、今は一旦保留にしておこう。

あくまでも保留。

フツフツ煮えたぎる怒りの鍋に、怒りの量を増やす事にはなるけれど、水を足して煮詰め続ける事に致しました。

鍋の火は消しません。

 

 

 

 

帰宅する気配のない私を心配した息子からの連絡で、仕方なく夕飯を買って自宅に戻る事にしました。

それも、我が旦那と息子の二人分。

本当は息子の分だけ買って帰りたかったのですが、保留にすると一度決めた事を覆す訳にはいかない!

そう、自分に言い聞かせ二人分買う事にしました。

 

 

 

 

全く私の怒りの内容を知らない息子ですが、我が旦那とは正反対の性格で人の顔色をよく見る性格の息子。

私の話し方や声のトーンで何となく様子がおかしいのが分かったのでしょう。

駅まで息子が迎えに来てくれました。

息子の顔を見た私は洗いざらい話すと、又涙が止まらなくなり、車内で絶叫してしまいました。

 

 

 

 

「○○の代わりに、我が旦那が死んだらよかってん!」

 

 

 

 

私が我が旦那に対する罵声を、はじめて聞いた息子は、引いておりました。

かなり酷い精神状態になってしまった私をなだめ、

 

 

 

「これは、父ちゃん悪いよなぁ。そんな事したらアカンにきまってるやろ。俺が話すから、取り敢えず今日はすぐ2階の自分の部屋に入って、落ち着き。」

 

 

 

息子にこんなセリフ言わせるなんて、情けない母親ですが、しゃっくりあげて泣いておりました。

 

 

 

自宅に着いた時、車内にいる時に

 

 

 

「お向かいさん外出てるから、取り敢えず泣きやみ。心配しはるから。」

 

 

 

そう息子に言われ、必死に取り繕って笑顔を作り、挨拶をしました。

 

 

 

娘の葬儀、私の救急搬送。

 

 

 

心配ばかりかけているご近所さんに、これ以上心配をかける事はできませんでした。

 

 

 

 

 

入れ直し途中でパシャリ。

この倍以上は放り出された状態でした。

これだけじゃないんです。幼稚園でもらったクリスマスカードに先生が一言書いてくれたもの、お誕生日カードに手形が付いた物。もちろん先生や本人のメッセージが書かれておりました。

ビリビリに破って、ゴミ箱に入っておりました。

拾い集め、セロテープで貼り付けたのも私。何故、自分でしない?

当分仏壇の横に、修復できたカードを並べておきました。

当てつけのように。 いいえ!当てつけです!

 

貞子ってる娘