退職時の説明を受けた後、病棟看護師の方の計らいで、娘が働いた現場を見て頂きたいとの心遣いを頂き病棟の見学をさせていただきました。
娘が数日前までここで白衣を着て働いていたんだ。
そう思うと涙なしに見学するのが難しかったです。
娘がこの病院にこだわり続けた訳が分かりました。
何もその病院にこだわり続けなくても、
実家近くの病院に転職してと、思っていたのですが、皆さんの温かさを感じ、場所じゃないんだ。
人間関係なんだ。
こんなにも温かい人間関係を簡単に切り離す事なんか出来なかったんだ。
それで、ここの病院にこだわり続け、離婚後もこの病院に通いたいから、通勤に差支えのない所で家を探すと言っていたんだ。
医師、婦長、課長、先輩、同期、後輩、ヘルパーの方、義肢の方、事務系の方、色んな方々が挨拶に来てくださいました。
娘が亡くなってこんなにも心が温かくなり、感動を覚え家路についたのははじめてでした。
人を動かすのは人。
私の心は完全に娘が勤めていた病院の方々に虜にされていました。
何となく今日はご飯食べる事が出来そう。
何日ぶりかに食欲が湧いてきました。
息子が買ってきてくれた夕食を、少し食べる事ができて、皆ホットしておりました。
娘が亡くなる数時間後にあった裁判の答弁書の内容や通夜に送られてきたFAX、昨日きたFAXと、把握しておかなければならない。目を通す事にしました。
FAX2通読み上げた時、動悸が激しく襲ってきましたが、気を取り直し答弁書の内容を読んでいる途中の事です。
あまりの酷い内容に、精神的に限界がきてしまいました。
憎い・・・娘婿以上に、crazy弁護士への憎悪が体内で大暴れしていました。
憎いなんて簡単な言葉では済まされない。
脂汗が体全体を流れ、嘔吐、腹痛、胃痙攣。
目の前が真っ暗になり立っていられなかった。
その時、偶然、風呂から上がった息子と鉢合わせし、倒れた私をとっさに、抱きかかえてくれたので、頭は打たずに済みました。
徐々に意識が遠のいていくようでした。
慌てた息子と、我が旦那が救急車に連絡をし、私は緊急搬送される事となりました。
お昼寝で~す。
頭の右上の敷布団におねしょパットを敷いて、寝ていたはずですが、ズリズリ移動してマットの上に寝ながら移動。幼い頃って寝ながらよく動きますよね。
こうやって、移動しておねしょするので、パットの意味はほぼなし
相変わらず寝起きは良し!
バイク移動に最適の時期って限られてますね。
真冬、真夏のバイク移動はチョットきついです・・・