これは父がまだ大部屋で過ごしていた頃のはなしです。
父が亡くなる3・4日前の事です。
芝居がかった事が大好きな父。
ドラマでよく見る感動シーン。
「○○、今度生まれてくる時も、 俺の娘で生まれてきてなぁ。」
「あのなぁ・・・お父ちゃん!私はアホか?学習能力ないのか?
お父ちゃんおもろいから親戚、いや、いや、身内はかなんわ!
友達か知り合い位やったらエエけど、娘なんかに、絶対生まれたくないわ!・・・
丁重にお断りさせて頂きます!」
そう返すと、またまた、大爆笑泣き笑い
してました
それを横で見聞きしていた真面目な妹は冗談が通じない。
父親が言ったセリフを聞いて、
気弱になって、もう危ない状態なんやわぁ。
と、思ってたのに急に笑い出すから?????状態だったとか。
って、笑い事ちゃうちゅうねん
とにかく、私と父の間には親子でしか分からないテンポや間、
があるらしく、真面目一筋の妹にはついていけないとか・・・
家族の中で、親父の嘘を見抜くのもいつも私一人。
真面目一筋の母の遺伝子を、多く受け継いだであろう妹は、
いつも騙されていました。
私は父の遺伝子を多く受け継いだと言うより、
ヤバい家族の下に生まれ育ったと言う経験が大きく、
その経験を基に人格形成されたのか、人を深く信じない子に育ってしまった。
本当に信頼関係を築けるのは、
①お互いある程度の距離感がある。
②血縁関係がない。
③損得関係のないお互いフラットな状態。
これに一つでも当てはまれば、私は必ず猫をかぶってます。
騙された感よりも、ああやっぱりこいつもか・・・
と、感じる様な感じかもしれない。
だからか、人よりショックは少なく済んでいる様に感じる。
ただの臆病者なんじゃないかなぁ・・・
父の向かいにいた患者さん。
お見舞いには奥様が来られていました。
こちらのご夫婦も、少し問題を抱えているようで、
奥様「今度見舞いに来る時は、アンタが死んだって、連絡もらった時に来たるわ。」
と、言うセリフが聞こえてきた。
父「しゅう、今の聞いたか?キッツイ嫁やなぁ。
たまに見舞いに来たらこれや!こら、旦那もたまらんやろなぁ。
ホンマ、キッツイ嫁やでなぁ・・・具合悪いっちゅうのに、旦那可哀想やで。」
私「いやいや、人の心配せぇでエエわ。
ちなみに、オカン筆頭に、お父ちゃんの歴代の女はもっとキツかったでぇ。
アンタ、キッツイ女好きやったよなぁ・・・
それより、何でオカンと結婚したん?それ気になっててん。
顔はぶっ細工やは、気はキツイは、何がよくて結婚したんよ?」
父と私は大爆笑して、結局答えは聞けずしまいだった・・・残 念!
年末になり、一時帰宅される方、この時期に合わせて退院されていく方と、
少し人数は減ったものの、一時帰宅もできない患者さんは数人残った大部屋。
少しづつ食欲が落ち、ジュースや少しのフルーツしか口にしなくなりました。
ほぼ毎日、日替わりフルーツを持って病院に通う私。
担当医に、状態があまりよくないと聞いていたので、
父に来年の秋はないかもしれないと、冬には手に入りにくい秋のフルーツ、
梨や柿が売っているお店を探し回りました。
一番好きだったのは、プラムとイチゴでした。
そして、年が明け平成最後の年となりました。
気弱になった父は、平気で携帯電話で部屋から連絡を入れてくるのです。
(心の声)お父ちゃん、せめて部屋から出ようや
そして、泣きながら、
父「しゅう、今どこにおるんやぁ・・・はよこんかぁぁぁ・・・」
幼稚園児かよ私にも用事はあるっちゅうねん。
私「墓参り終わったら、すぐ行くから待っとき!泣いたらアカン!泣きやめ!
私が子供の頃よう、言うってたやろ~泣くなぁぁぁぁぁって!」
普通男親って、娘の涙に弱いって聞くんですが、うちの父はその反対。
涙を見ると逆に怒り出しよるんですわ!
涙をこらえてにらみ返すくらいの方が、怒り方がましでした。。
変わったおやじです!
そして、1月4日の事
翌日も病院に行ったのですが、部屋にいない!
どこいったんやろ? キョロキョロしてると、
「あ!しょうちゃん、こっちの部屋に移りましたよ」
と、案内されたのは一人部屋。
それも、ナースステーションの真ん前。
「ヤバい!大部屋で泣きながら娘に電話するから、苦情出たんやわ!
ご迷惑おかけして申し訳ございません。これからは、おとなしくさせますので。」
そう、案内してくれた看護師さんに言うと
「大丈夫ですよ~。しょうちゃんは明るくて私達看護師の人気者ですから、迷惑だなんてちょっとも!」
はい!看護師アルアル!
ムカつく~~~~って、思ってても絶対顔にも出さない、
口にもしない。ストレスたまるやろ~なぁ。
って、思ってたんだけど、父の場合はお世辞ではなく、
本当に看護師さんとも仲良しだったようです。ここでも、モテ男してるんかい!
まぁ、父親の顔の広さは半端ではありませんでした。あちらこちらに仲良しさんがいるのです。年齢も男女もとわず。
しかし、その時私はただただ、苦情で移されたと思っていました。
それが、1月4日父親の79歳の誕生日の事でした。
真面目な妹は家から大きなアルバムを抱えてやって来ました。
懐かしい私達の幼少期のアルバム。
若い頃の父の姿もありました。
そのアルバムを見て、元気取り戻して欲しいと思った妹の気持ちを、
あっさり無視した父に内心、やるなぁこの親父!
父としてではなく男を選択するんやなぁ・・・
しかし、元気を取り戻そうとしていた体に対し、
心がもうダメ感を支配していたようです。
その後も、アルバムを持ってきた妹の思いは通じず、家族愛を再確認する事はありませんでした。その分私が見ておきました。
数日後、父の携帯の履歴を見てみると、私と妹が病院を出た後に、
亡くなる直前まで付き合っていた彼女に、お別れの電話を掛けていたのです。
やっぱり、最後まで父親と言うより、一人の男として存在したかったようです。
私の推理は見事正解!
二人の看護師さんが部屋に来た時、
父親に誕生日おめでとう!と言い、その場にいたナース二人と私達姉妹計4人で拍手すると、「ありがとう!」
ピースしながらと、ニッコニコ顔
で喜んでおりました。
鼻に酸素を送る管を着けているものの普通に会話してました。
それから、お芝居第2話がはじまるのでした。
父は両親の写真(祖父:新兵衛スーツ姿、祖母:みやの着物姿)を、ずっと部屋に飾っていました。
その写真が頭をよぎったのでしょう。
普通に会話していたのに、急に宙を見て、虚ろな目つきで、
「あれぇ?みやちゃん(祖母)は、着物着てるのに、新兵衛さん(祖父)は、
なんでスーツきてるんやか?」意味わかりますか?
これが終演、自分の両親がお迎えにやってきたと言う。
私にはそれが芝居だとすぐに分かりました。
父親の事を熟知していたから。
私「おじいちゃんとおばあちゃんが、
迎えに来たって、言いたいんやろ!
あのなぁ、看護師さんも先生も何とか助けてあげようと、
頑張ってくれてるのに、そんな、しょうもない芝居するん
やったら、今、体に付けてるくだちゅうくだ、
全部ブチ抜いたろか!」
と、一喝!私のセリフを聞いた父がニヤリと笑った顔を、
私が見逃すはずなどございませんでした。
父はM体質なのか、優しい言葉を掛けるとダメになるんです。
自分はもう、死ぬんだ!だから、みんな優しくするんだ!
に、つながるのです。
以前も、私が少し優しく接した時に、
父「しゅう、ホンマの事言うてくれや。この前(担当医)先生に、
もう、お父ちゃんアカンって言われたんやろ?
最近お前、俺にエエもん(態度が優しい事)」
と、目をウルウルさせながら、聞いてきたのです。
私「んなぁ訳ないやろ!それなら、そうで、やっと介護が終わるわ!って、
ルンルン気分になるやろ!残念ながら私の思いはとは逆で、
今ある腫瘍を焼き切ったら、元気なるんやて!
そこまで、元気になられたら、私も困んねんけどなぁ・・・
また、おっかしな事するやろ~」
と、言うとメッチャ張り切って、
父「手術受けるわ!」
と、言って乙女の様に、目をキラキラさせてました。
私の優しさは裏目に出るんかい!
そんな父に必要なのは優しさよりも、面白さと、𠮟咤激励の叱咤の部分。
しかし、妹は本当に幻覚が見えてたんだ!おじいちゃんとおばあちゃんがお迎えに来たんだ!もうダメなんちゃう?と、思っていたようでした。
私「ほら、見てみぃ!おじい、笑ろてるやんか!」
慌てて顔を覗き込む妹。
真顔に戻そうと必死な父。
しかし、老体ならぬ老顔は、すぐには言う事は聞いてくれません。
鼻はヒクヒク大きくなったり小さくなったり。
口角も徐々にしか下がっては来てくれません。
はい!残念でした!お父ちゃんの負け~~~
ばれる!ちゅうねん!私には!
妹は呆れて無言。
私の読みは正しかった。
父の弟から聞いた話ですが、彼女は私より一回り以上年下で、早くに実父と離れたせいでかなりのファザコンだったようです。彼女よりその母親の方が年齢が近いと、言っておりました。
父も、独身やからエエんやけどさぁ・・・複雑よ!
相手の女の子も、どうやら本気で父の事を好いていてくれて、私と会いたい。
しゅうさんに会って、お許しいただき、結婚させて欲しい。
と、言っていたようです。
ど~~~~ぞ、ど~~~~ぞ、止めはせん!
この話は息子から聞きました。
それより、息子にまで合わせてたんかい
もちろん、女性遍歴は、息子にも知られているのです。
おまけに、男はこうでないとな!じい、若いやろ!と、自慢げに言ってたようで、
息子は、
「おい、じじい~~~!これやから、母ちゃんが苦労したんやんか!勘弁したってや!俺も頭おかしなりそうや!」
と、言ったとか・・・もちろん、娘にもバレバレ!
旦那は男同士の暗黙の了解で生前は、見ざる聞かざる言わざるを通しておりました。
2018年12月16日、娘と娘婿がお見舞いに行った時の写真です。
この時はまだ元気で、大部屋にいました。
そして、この時娘夫婦は仲良しでした。
娘が生まれた病院は、母子同室で感染を防ぐ為に
ガラス越しの面会でしたが、抱きたくて仕方ない父は
病室の前を動物園のクマの様に、ウロウロ、ウロウロしておりました。
見かねた職員の方が、ほんの数分病室に入れてくれました。
その時撮った一枚です。厳しくなっている今なら、許されない事でしょうが・・・
1994年4月3日に撮った一枚です。父54歳・娘生後4日目。