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我が子の不登校…
苦しくて辛い。


少し前までの私ですが
 
行けない子どもの方が苦しいだろうと頭では理解出来てるけど、

それよりもやはり自分の苦しさが1番辛かった。



子どもが学校に「行った」「行かない」で一喜一憂してしまう自分。

学校に行ってる周りの子達がキラキラ輝いて見えて、我が子が情けなく見えてしまう自分。

学校に行かせることが出来ないダメ母のレッテルを貼られていると思ってしまう自分。

理想の子育てができず、理想の子どもと現実の我が子を比較しては落ち込んでしまう自分。

子どもを責めてしまい、子どもが母親の顔色を見て気を使ってることがわかっているけど、責める態度を止められない自分。

他人を羨んだり妬んだりして、自分自身の嫌なところをこれでもかと見せつけられる現実。


自分が世の中で1番苦しい。

しんどいであろう我が子よりも
絶対絶対
私の方がしんどいしえーん


波があるし、今でも平気さ〜〜毎日がhappy〜〜とまではなかなか行かないけど



自分の考え方を変える。


世間一般の「普通」の概念を見直す。


狭い鉄格子のような「枠」の幅を広げる。


自分を変える。



そうすることでラクになりました。




以前「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎氏の講演会に行った時

幸せになるではなく
幸せであることに気づく

と何度も仰ってました。

幸せって何かを得たり失われたりするもの(お金、地位、名誉、出世、学歴、資格、肩書きなど)はそもそも幸せではない。


それは
幸運【lucky】であって
幸福【happy】ではない。


幸運【lucky】≠幸福【happy】






幸福って

地味で刹那的です。

些細な出来事や瞬間です。


晴れたから洗濯物がよく乾いた♪

スーパーの特売で買い物できた♪

家にある食材だけでご飯が作れた♪

温かいお風呂に入れた♪

ビールが美味しい♪

欲しいものが買える♪

寒くても暖房で暖をとれる♪

家族で暮らせている♪

夫が働いてくれている♪

家族のふとした笑顔。

すやすや眠ってる寝顔、寝息。

「お母さん」と呼んでくれること。

ご飯を食べてくれること。

頼ってくれること。

頼ろうとせず頑張ってくれること。




地味すぎて気づかない。

瞬間すぎて見過ごす。

この小さな幸せ感を思いっきり感じることが

幸せであることに
気づくポイントだと思います。

辛と幸って横に1つ線が入っただけ。
 
その1つの線を入れれるのは自分しかいない。

それがめちゃくちゃ怖いことでも

勇気を出して変えてみると

自分を変えると必ずラクになります。



学校に行くか行かないかに焦点を合わせすぎると

他の些細な小さな幸せが霞んでしまいます。

最悪、見えなくなってしまいます。

不登校だっていい

受け入れる勇気。

変わる勇気。

1本線【自分軸】を入れる勇気。




1月からアドラー心理学をベースにしたパセージ講座に参加します。


勇気づけで有名なアドラー子育てを深めたいと思います。

もっともっとラクに楽しく生きれるような気がして

今からワクワクです♪


最後まで読んでいただき、ありがとうございます♡