12年目の8月1日 | **タイトル未定**

**タイトル未定**

在宅酸素歴結構長いです。
2012年夏 敗血症性ショックからの低酸素脳症→高次脳機能障害となりました。
(必死のリハビリが実ってかなりの改善)
2017年春、突然のリウマチ発症。
いろんなことがあったけど…全然諦めてませんヽ(*^^*)ノ

8月1日は「肺の日」。

(もうとっくに過ぎてますが…あせる

 

2012年8月1日。

私は40度の高熱を出していたらしいです。

夕方頃、意識を失い救急搬送されました。

血圧が50位まで下がり

「かなり厳しい状態」と言われながらも救命され

気が付いた時には

何も思い出せない状態になっていて…。

 

当時のことは、今も全く思い出せません。

感染源になったCVポートを取り出した傷も

今では、ぱっと見分からない位に薄くなりました。

 

あれから12年。

小学生だった息子が社会人になり

幼稚園児だった娘が高校3年生。

 

「記憶障害あるある」な失敗は一通りやらかしあせる

周囲の人にも、いっぱい迷惑をかけ

日々の生活も人との繋がりも

一瞬にして変化してしまい…

理解されることの難しさと

理解してもらえることのありがたさを

身に染みて知った12年の月日でした。

 

神経内科の先生との出会いが回復への鍵だったことは

間違いありません。

神経内科の先生やリハビリの先生には

感謝してもしきれないくらい。

当時お世話になっていた呼吸器内科の先生も

すごく良い距離感で接していて下さったことに

感謝しています。

 

そして何よりも。

ずっと傍で生活を支え続けてくれた家族にも

ただただ感謝。

 

まさか5年後の2017年に

関節リウマチと診断されることになるなんて

全く想像もしていなかったけどあせる

 

12年後の今は、こんな可愛い子が家に来てくれて。

10年後の8月1日も

こんな風にのんびりと日向ぼっこしながら

過ごせていたらいいな…。

その時は、老夫婦+老猫の静かな時間を過ごしているのかな。

 

1泊2日で娘が実家にお泊りに行っていて

にゃんこはお留守番。

昼間はごきげんに遊んでいて

夜は、息子が一緒に寝てくれました。

 

2日目夜、娘を迎えに行った夫の車が車庫に止まると

にゃおにゃお騒ぎ出し

娘が部屋に入ってくると、にゃんにゃん鳴いて抗議あせる

 

夫・息子・私の3人で、順に構っていたはずなんだけどあせる

それでも、娘がいなくて相当寂しかったらしく

ぷんすかぷんすか とお怒りで

娘が抱っこしようとすると噛む。

 

普段、噛んだりすることは無いので

とってもとってもお怒りだったようです黒猫

 

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高次脳機能障害の診断~その後の経過の評価で

何度か検査を受ける機会があって

 

発症した頃に受けた検査は

検査を受けた記憶さえも全く残っていないのですが

その後、MMSE・MOCAを始めレーブンなんちゃらあせるとか

とにかく、色々な検査を受けました。

 

発症から8ヶ月後に精神科で受けたWAISⅢと

発症から7年後あたりにも、運転免許の審査のために

WAISⅢを受ける機会があって

1回目は障害年金申請のための診断書で

2回目は免許審査の意見書で、結果を知ることになり

この年になって、自分の知能指数を知ったという…。

 

本当にいろいろありました。

貴重な人生の時間を無駄にしたなぁ…

って思う時もあるけど、それもまた人生なのかな。