第154号 2022早春 山陰への旅 | 燃え上がれ!NATTO-TIMES 21st century

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 ロシアのプーチンが遂に破滅への道を歩み始めた。彼にしてみれば、掛け替への無い「ロシアの一部」であるウクライナが欧米に組み込まれるのを阻止するには、もう時間がない、と追い込まれての挙動であっただらう。

 

 2014年のクリミア占領のときのやうに、一気に制圧して傀儡政権を立てるつもりだったのだらうが、この8年、米国の訓練を受けてきたウクライナ軍は予想に反して強化されていたやうだ。

 

 ロシアは、イラクやアフガニスタンに侵攻した米国と同じ道を辿る。いや、基軸通貨のドルとは違って、ルーブルは弱いので、ロシアの経済と社会が混乱して、プーチンは引きずり下ろされるだらう。

 

 ミサイルも空母もロケットもウクライナが作っている。ボルシチもコサックダンスもウクライナの発祥だ。エカテリーナ女帝もチェルノブイリ原発もウクライナだ。リオ五輪で内村航平に最終種目で抜かれて銀メダルになったベルニャエフ選手もウクライナだ。

 ウクライナはロシアの故郷である。仲良くすれば良いものを。今後長く憎しみ合ふことになるのだらうか。

 

 さて、今日は珍しく旅の話だ。

 

 なぜか2月27日から3月3日まで、5日も連続で休みになってしまった。これで来月の給料は想像するのも恐ろしいほど安くなるが、なにせこんな長い休みはもう20年以上取ったことがない。何か有効に使へないものかと思案した。

 

 島根の出雲に次男がアパートを借りていて、そこに行けば宿代ゼロで神話の世界を訪ねることができる(次男は帰省中)。夜行バスなら片道1万円以下だ。しかも今なら青春18切符で各駅停車を乗り継いで帰ってくれば実質4千〜6千円で済む。現地での移動には次男の自転車を借りればタダ。これは行くしかない、と思ひ着いて行ってきた。

 

 

 2月27日20:20東京駅八重洲口をでたバスは、明け方鳥取へ抜けた。雪を頂く伯耆富士大山が美しい。

 

 出雲のアパートに着いたのが9時。一休みして10時頃、自転車で出発!まづは、現地の人にもあまり知られていない「出雲市トキ公開施設」へ。自転車で西へ20分。

 

 トキと言へば佐渡島だが、鳥インフルエンザなどで絶滅してしまふのを防ぐため、出雲市で分散飼育をしているのだといふ。入園料200円。見学者がほとんどいないので、係の方に細かい説明を聞くことができた。歩く姿は上品で、ふはりと軽やかに木の先に舞ひ上がり、「クワァ」…えっ!似つかはしくない声で鳴くんだなぁ、と思ったら、係の人が「カラスみたいでしょ」。然り。

 

 お次は東へおよそ20分、西谷墳墓群と出雲弥生の森博物館。無料だ。ここも見学者がほとんどいないので職員の方に話を伺うことができた。出雲は元は海で、西からの火山噴出物の上に川による堆積物が平野を作ったのだといふ。

 

 さうなのだ。前回来た時も感じたのだが、出雲を歩くと方向感覚がうまく取れない。昼の太陽が緩やかな山脈の方から照らしてくる。これが分からない。関東育ちの者は(みんなではないだらうが)、山があるのは西北だと感じてしまふのだ。山陰では、山のある方が南だ。となればまだ良いんだが、出雲では、振り返るとこちらにも高い山がある。あれ?南?北?と、混乱する。山と山に挟まれた盆地のやうな平地、それが出雲だ。

 

 弥生時代、この地にどこからかやってきた騎馬民族が独特な文化を築いた。その象徴が四隅突出古墳だ。真四角の墳丘の四隅が突き出ている。ここが上り口になっていて、上で儀式を行ったらしい。発掘されるまでは、ただの森だと思はれていたやうだ。

 

 実際に上ってみると出雲平野の北側が遥かに見渡せる。西に高校があって、そこから走ってきた可愛いお嬢さんが古墳を駆け上がって木々の間に消えていった。出雲の高校生は古墳の高低差を利用してトレーニングをするのか。ロマンチックだなぁ。

 午後1時半、日暮れまであと4時間。北東の宍道湖方面へ、スサノヲの産まれた地に建つ宇美神社を目指す。斐伊川が宍道湖へ流れ込む少し手前で小さな橋を渡ると「木綿街道」といふ看板が掛かっていて、川岸に古い蔵屋敷が並んでいる。だうやら昔、船で荷を上げ下ろししていた名残りのやうだ。この街道沿ひに宇美神社はあった。お賽銭100円を入れて、手を合はせ、ご加護を願ふ。

 午後2時半を回った。いよいよ出雲大社を目指す。スイスイ行くだらうと思ったのが甘かった。西に向かふのだが、午前出ていた雲が消ゑて気温が上がったため、西からの海風が強くて速度が上がらない。おまけに海に向かって川沿いを走っているといふのに、川は背後の宍道湖へ流れている。つまり僅かに上り勾配なのだ。神々の住む街はどこまでも不思議だ。

 

 北に高い山があり、その麓を東へ西へクルマが流れてゆくが、こちらは遅々として進まない。山裾には石垣の上に立派な家々が並んでいる。こちらの川沿いに建っているのは新しい家や工場、倉庫。あ、さうか、洪水で氾濫する場所には古くからの家はないのだ。とすれば、山裾に古い生活道路がある筈だ。

 

 

 

 と思って行ってみると、やっぱりあった。多少の上り降りはあるが、風は弱いしクルマも来ない。それでも出雲大社に着いたのは午後4時50分。日暮れまでもう間がない。資料館を見る時間がないが、カネを遣はなくていいから、ま、いいか。感想、広かった。以上。

 

 海岸へと下りる途中に出雲の阿国の墓があった。稲佐の浜に下りると自転車道があって、北から南へと快適に走れる。午後5時40分、水平線に日が落ちてゆく。前回来たときは松江で宍道湖の向こうに日が落ちていく神秘の光景を見たが、カメラが無かった。今回はカメラはあるのだが、雲が多くてあまり美しくなかった。残念。

 

 

 午後6時40分、アパートへ戻る。朝からここまで、ハッピーターン16個と水筒のカフェオレだけで済ませ、飲食代ゼロ。シャワーを浴び、一休みして、再び自転車で街に出て食事を取らうと思ったが、マンボウ下のため、飲食店は午後8時閉店。ガーン!仕方なくスーパーで、純米酒と発泡酒、肴を買い込んでアパートに戻ったのであった。

 

 2022早春 山陰の旅 第1日目 終了

 

(2022年3月8日 第154号お終ひ)