風船カメレオン:小池百合子については6月にも書いたので、宜しければもう一度お読み下さい。

 

深2号 「風船カメレオン」小池百合子氏の原点

https://ameblo.jp/natto-times-21century/entry-12607513922.html

 

その小池百合子について、膨大な資料と時間、綿密な取材に基づいて書き下ろした書物を図書館にリクエストしていたが、8ヶ月目に順番が回ってきて、やっと読むことができたので、内容の一部をご紹介する。

 

『女帝 小池百合子』著者:石井妙子 発行所:株式会社文芸春秋

2020年5月初版 400ページ強の大著である。

 

小池百合子の人生は、嘘と真が入り乱れたまだら模様である。といふよりは、虚偽で塗り固められていて、真実が全く見えないのだ。

 

まず、生ひ立ちも学歴もウソで、そのウソを元にテレビ界に入り、そこでのウソの姿を売りに国会議員・大臣に成り、そこでデタラメな政策を掲げて都知事に当選、再選され、現在に至っている。

 

生ひ立ちのウソ

 

本人は『芦屋の令嬢』だったと述べているが、高級住宅地があるのは芦屋川周辺で、小池家のあったのは、宮川周辺の田畑が広がる地域であった。

 

毎日、とてもオシャレな服を着ていたが、それは高級子供服店のデザインそっくりに、母親がミシンを踏んで手作りしたものだった。

 

これは「ウソ」と直接の関係はないが、右頬に赤いアザがあって、とても目立つために、両親はなんとか治療しやうとしたが果たせず、後には化粧で隠すやうになった。

 

小学校5年生のとき、校内弁論大会で優勝。題は『ウソも方便』!

 

父のウソ

 

父:小池勇二郎は、昭和19年9月に中央大学専門部商学科(今の専門学校)卒業後、海軍に召集された。終戦時は「海軍中尉」だと自称し、「生き残りとしてお国のために働きたい」と言っていたといふが、戦争が終わるまでの1年足らずで、専門学校卒の学歴で中尉になるのは到底不可能である。

 

しかも、「満州鉄道にいた」「満鉄の野球部で活躍した」などとも述べている。中国大陸の満州鉄道に海軍中尉がいるわけがない。完全に矛盾している。

 

この父と百合子とは、瓜二つといへるほどよく似ている。

 

学歴のウソ

 

エジプト大首席卒業を売りにしているが、あり得ない。これについては深2号を読んでもらへればいいのだが、小池自身初の著書『振り袖、ピラミッドを登る』には「一年目は留年して」と自分で書いているのださうで、1972年入学では、日本に帰ってきた1976年には卒業さへできない。

 

1976年10月、エジプトから大統領夫人と娘が来日する際、夫人と娘とはエジプト大での顔見知りだとして、エスコート役でマスコミに売り込む。コロッと騙されたマスコミに、小池は「日本の男社会なんてチョロイもんだわ」と思ったことだらう。

 

飛行機事故のウソ

 

2010年、評論家の渡辺昇一との対談で、小池は語った。

「たしか73年の5月、商社マンの通訳としてリビアのトリポリに行ったときのことです。リビア石油公社との交渉だったのですが、結論が出なかったので、乗る予定だった飛行機をキャンセルして一日滞在を延ばしたんです。

 

飛行機は地中海の上を通ってシナイ半島のところで南下し、最後は北上してカイロ空港に到着する予定だったのですが、その途中で、イスラエルの領空を侵犯したとして戦闘機に撃ち落されました。…(中略)…『一歩たりとも自分たちの領土には踏み入れさせない』という意識を、身をもって学んだんです」

 

「実はもう一度、同じような経験があります。76年にカイロ大を卒業し帰国する際、卒業証明書の発行に時間がかかり、一日、一日と帰国を延ばしていました。年内には、と思い、クリスマスの日にエジプト航空を予約したのですが結局、搭乗日をのばしていました。

 

すると、その飛行機はタイのバンコクで、飛行場の1キロ手前で工場に突っ込み、全員死亡しました。…(中略)…話を中東に戻しますが…(中略)…日本の主権意識の薄さといったらありません」

 

これらは呆れたことに、すべてが作り話なのである。誰も疑問に思はなかったのか!.

 

選挙でのウソ

 

 2016年の都知事選では街頭演説で、対抗馬の鳥越俊太郎のことを「病み上がりの人」と言っておきながら、討論会で鳥越から「私のことを『病み上がりの人』と言いましたねっ」と指摘されると、シラっと「いいえ、言ってませんねぇ」と返した。ウソでも何でも堂々と述べれば、それで通ってしまふのだ、といふことを体得しているのだ。

 

ある意味、達人である。

 

 阪神淡路大震災の被災者である芦屋の女性たち数人が1996年、議員会館に小池を訪ね、窮状を訴えたときの対応が、彼女の人となりを強烈に表している。

 

 女性たちの訴えを、小池はマニキュアを塗る指先を見ながら聞いていたが、やがて「もうマニキュア塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」

 

 また、こんなエピソードもある。

 

 2002年9月17日、外務省板倉公館には北朝鮮拉致被害者の家族が待機していた。そこへ「5名生存。8名死亡」といふ情報が入る。記者会見で涙に言葉が詰まる、横田めぐみさんの父:茂さんの後ろに黄緑色のジャケットで目立つ小池百合子。

 

記者会見が終はり、政治家・記者たちは引き揚げた。すると、慌ただしく戻ってきた小池百合子が叫ぶ「私のバッグ、私のバッグがないのよっ」そして「あったー。拉致されたかと思った」

 

 拉致被害者家族の耳にはだう聞こゑたことだらう。

 

 アスベスト問題では「(被害者を守るために)崖から飛び下ります」と言ひながら、被害者救済は何もせず、築地移転問題では「築地は守る、豊洲を生かす」と言ひながら、築地の女将たちを見捨てた。

 

 その場しのぎの人気取りのための言葉を、多くの人々が信用し、裏切られる。

 

著者の石井氏は去年、ラジオでこんなことを言っていた。記憶が正確ではないことを断っておくが。

 

「小池さんという人は、調べれば調べるほど、中身が何もない。人々は、何か素晴らしい飛行機が飛んできたと思う。しかし中を調べてみると、パイロットもいなければ、エンジンもないんです」

 

 さう、まさに風船カメレオン。

 

さて最後に、石井氏がさう言っているわけではないが、私が感じたことがある。

 

良くも悪くも彼女のエンジンはコンプレックスだ。ミニスカートこだわったのも容姿に対するコンプレックス。学歴を詐称しているのも勉強の仕方が分からないことへのコンプレックス。カタカナの標語を連発するのも、欧米に対するコンプレックス。

 

そして、なぜ「エジプト大を首席で卒業」したことにできるのかといへば、その根底には人種差別の思考があると見なければならない。

 

「どうせ日本人にはエジプトのことなんか分からないし、アラブ諸国なんかレベルも低いと思っているから、『首席卒業』にしてもバレやしない」と高をくくっているのだ。つまり、欧米に対するコンプレックスの裏返しで、アジア・アフリカを蔑視している。

 

それを許しているのは、そんな欧米コンプレックスとアジア・アフリカ蔑視を共有している日本人なのだ。つまり、小池百合子とは、日本人全体に向けられた重大な問ひなのである。

(深5号 お終い)