春が来るということは、別れの季節がやってくるということ。
島の別れは、特に切ない。
離島では行政関係、先生方、警察など仕事で島に赴任してきた人たちが任期を
終えるなり諸事情なりで島を離れていく。
都の職員の方々は最後のギリギリ3月31日まで島でお仕事して、皆さんその日の船に乗って島を去る。
この日は夏の観光ピーク時並みに、港が人で溢れる。しかし、ほとんどが見送る人たち。
三宅島などの離島、田舎では地域のつながりが強く温かい。
たった数年だけでも、近くなれる。子連れだと家族ぐるみで地域にどっぷり浸かる人が多い。
だからこそ、別れがこんなにも切ない。
もう会えないわけではないけれど、次会うときにはご近所の仲間ではない。
わかってはいることだけど、切なすぎる。
この日は風は強く波も荒めで伊ヶ谷港に入港。
でも、空は青く青く晴れ渡り、去りゆく人々の前途を祝すように。
お世話になった感謝の気持ちを込めて。
汽笛の音が響き渡る中、いつまでも手を振り、
元気でね、ありがとう、またね、叫ぶ。
別れは苦手だ。
胸がきゅーとなって、もうちょっと一緒にいたいといつも思ってしまう。
どんなところでも、どんな場面でも切なくて、泣きそうになって苦手だけど、
この島のこういった別れを、直に味わうのは10年ぶりで。
噴火前、島にいたころも、お世話になった先生や駐在さん、その家族の子供たちとは仲良かった子も多くて。毎年のようにこの時期は港に見送りにいって、何度となくお別れを経験してきた。
でも、10年経って少し大人になって帰ってきて、島の人との関わり方も広がって、深まって。
あの頃よりも何倍も何倍も切なくなってしまっていた。
しかも、まだたった1年だけだったのに、仲良く近くなれた人も多かったから、今回は特に。
いや、でも、これは“別れ”じゃない。
離れてしまうけど、ずっと繋がっている。
想いがある限り、ずっと繋がっている。
一緒に過ごせた時間は短くても、また必ずこの島で会える。
だから、切ないけど、悲しくはない。
島の春の風物詩が過ぎ去り、島の春は新たなスタートをきる。