この前、素敵な写真展に行ってきた。
小さいギャラリーだったけど、とても素敵な空間だった。
世界の美しさ、光の柔らかさ、空の広さ、人々の想いと歴史。
私たちがこの星で生きる意味―。
この竹沢うるまさんの写真からは、そんなことを考えさせられる。
素敵な心の栄養になる。
竹沢さんの想いが写真から溢れ出ている。
気になった方はぜひ。⇒http://
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想いを形にして創出すること。この時空間の中に存在を残すこと。
想いを言葉にして伝えること。その人の心の中に刺激や温もりを残すこと。
どちらが先?
どちらが難しい?
どちらが大切?
それはそういう基準で比べることなの?
それはアプローチの手法の違いであって、どちらがどうってことではない、と思う。
でも、 まずは後者なのかな。
形にするには、竹沢さんのような写真だったり、建築家のような建物を建てるとか、
アーティストのような音楽や芸術だったり、政治家のように制度だったり、
それなりの才能と技術と経験を必要とする。時にはお金も。
だからまずは、
人間、誰にでも与えられた“言葉”という手段。
全人類共通の手段ではあるけれど、しかしその効力は不確かでもある、と思う。
その人に向けてもその人に届いたときには歪曲されていたり、伝わりきってなかったり。
届いたとしても、その刺激は陽炎のように消えてしまったり、その温もりは温度を保てなかったり。
でも、時にその刺激や温もりは人を突き動かすエネルギーとなり、
そのエネルギーは社会を変える大きなうねりになるかもしれない。
それはある意味、一種の賭け。
オバマさんは、その能力に長けていて、その賭けを確実なものにしたのだと思う。
社会を変えるほどの規模にならなくても、
まずはそばにいる人たちに、自分の想いくらい、
刺激や温もりを残せるだけのレベルで伝えられるくらいにならなきゃだ。
言葉に力を。
言葉に温もりを。
その前に、その伝えたい想いを熟成させるのが先か。
もう少し熟成させよう。