人は【視覚】に非常に依存している。
目で見えるもので、すべてをハカロウとする。

“目で見ること”が当たり前になり過ぎて、その依存度に気付いていなかったりする。

目をつぶってみて。
視覚以外の感覚で感じとれるもの、こと、きもち。

音、匂い、味、触感、風、あたたかさ、痛み

絆、力、記憶、想いやり、想像すること


* * *

いのちと地域を大切にする、ローカルな農業を広めようと
頑張っている方のお話を聞く機会があって。

今、農業では遺伝子操作生物・作物;GMO(Genetically Modified Organism)が問題になっているらしい。
(詳しいことはネットでいろいろ載ってます~)

その方に聞いた話では、遺伝子操作された作物は、強い農薬にも耐えうるすごい生命力をもつようになっていて、農薬たっぷりまいて雑草を駆逐しても、そのGM作物だけは成長することができちゃう、言ってみればスーパー植物。

一見、強そうに見えるこの作物。草丈もグングン大きく育つ。

でも、根っこが全然張っていない。
中心になる根は短くなんとか生えているが、細かい毛細根が全然ないんだって。
植物は主根から水分を吸い取り、毛細根から栄養分ミネラル分を吸収する。

見た目は強そう、でも地上からは見えていない根っこは。。。

そうやって作られた作物を、食べたいと思う?
食べてもらいたいと思うのだろう?

それについては賛否両論あると思う。
きれい事だけでは片づけられないことが、やまほど。。

これは農家の方々の負担を少しでも軽くするための策の1つでもあるとか。(草取りってホント大変)
GM植物を科学的に安全性を保証し、認めてたりもする。
でも、その作物を食べ続けたら、どうなるのか、 良くも悪くも誰も知らない。



その農家さんが、いのちを大切にする農業をするために大事なことは、言っていたのは、

“見えないものを見ようとすること”


地上に見えない根であるとか
未来に潜むかもしれない危険とか
植物を支えている水とか空気とかミネラルとか
強い農薬で死んでしまう田畑の生き物とか
実った作物を食べる消費者の顔とか


見えないものを見ようとする姿勢には優しさが溢れていた。



目が見えない人に、この地球の美しさを、素晴らしさを
伝えようとしている人がいる。

目が見える私たちにとっては当たり前すぎるこの世界の風景。
それらを見て、きれいだと思える感情。
当たり前すぎて気付けなかったけど、
これはとても恵まれていることなんだ。
目が見えない人にも、この感動を伝える意義がある。

それに気づけるのも、
“見えないものを見ようとすること”ができる優しく清い心。

目が見えない人にも、伝えることができたら
この世界はもっと美しくなるのかな。

目で見える“美しさ”だけじゃなくて。。


* * *


私はこの世界の美しいものを見て、きれいだと感じることが好きで。
それを表せる写真も好き。

目で見ることのできる幸せに絶大に感謝しつつ、
それだけじゃない人になりたいと思う。


“見えないものを見ようとすること”というのは、
決して目で見ようとしているのではなくて
“見えないものを心で感じようとすること”


表には見えない、裏側に隠されているもの

その奥に広がっているもの、繋がっているもの


実は、見えないもので
この世界は保たれている
満たされている

のかもしれない。




ということで、今回の写真はナシ◎