こんにちは
見てくださってありがとうございます
突然ですが、科学の世界では、物質に圧力をかけると構造が変わったり、全く別の性質になったりするんですって〜
それって愛も同じじゃないかな?と思っていますそう感じたお話です
私が幼い頃、父は酔うととても暴力的で、シラフでも常に口の悪い人で、まともなコミュニケーションがとれた楽しい記憶がほとんどありませんでした
それが70を過ぎた頃には別人のように丸くなり、本当に迷惑をかけた、悪かったと口にする事が増えました。
でも私は、自分の人生がうまくいかないのを父のせいにしていたし、一番甘えたい時期や困っている時に何もしてもらえなかったという思いが癒えることなく、父に話しかけられた時の返事はいつも
「何!?」
と苛立ちを露わにしていました。
「わかったよ!」
「知らないよ!」
語尾には必ずマークが付いてしまうのです
そんな父が突然亡くなりました。
亡くなってみると、あの、自分でもコントロールできなかった苛立ちが全く無くなっていることに驚きました。
苛立ちが消えて、やり取りしたメールを読み返して見ると、そこに残っているのは愛情だけでした。
全てのコミュニケーションは、愛情から生まれていたと確かに感じたのです。
「何?」
「わかったよ」
「知らないよ」
私の「」マークの中には、寂しさ、被害者意識、自信の無さ、トラウマなどがぎゅうぎゅうに詰まっていて、父への愛情に圧力をかけていたのです
「大丈夫?」という一言が愛情から生まれたとしても、そこに、嫉妬、責任感、罪悪感などの諸々の圧がかかってしまうと、口に出る時には全く別の性質を持ってしまうことがある。
同じように、「大丈夫?」という相手の愛情さえ、こちらが圧をかけて受け取ると全く別の意味に感じてしまうことがあるかもしれません
だけど見えない圧力の正体は、流動的で掴みどころがなく、相手が死んだら全く消えてしまったりする、絶対的な存在ではありませんでした。
相手が死ぬのを待たずとも、気づけば消える可能性があるのです
私がもっと早くにその正体に気づいていれば、愛を愛のままに与えて、愛のままに受け取れたかもしれないなと思うのです
ご家庭や職場で。
語尾にとか
とか
とかが付いているコミュニケーションに気づいたら、まずは自分から少し圧を緩めてみませんか
愛を愛のまま与えて、
愛を愛のまま受け取れたら