今回の震災後、自分の考えを書くこと自体の善悪の判断が付かなかったため、静観していました。(もっとも、それ以前からあまり更新もしていませんでしたが)


でも、ひとつだけ、「間違いないだろう」と思えることがあるので、重い腰を上げました。


今できること、やらなければならないことは、


「自分・家族」の命は「自分たちで守る」ということです。


「なるようにしかならない」とか、「死んでもいい」とか、口に出さないで下さい。


あらゆる場面でシュミレーションしてください。 従来の避難方法や避難場所が機能しないときにどうすればいいのか?

夜中に地震が来たときの対応として、靴や手袋、懐中電灯は枕元にありますか?

緊急持ち出しはリュックひとつにまとめられていますか?

考えることは山ほどあるはずです。

乾電池やトイレットペーパー、ガソリン等を購入するために列を成して並ぶ時間があるのなら、他にすることがあるはずです。

本当に必要な人たちに手に入るように購入を控えることはできませんか?


ここで考えてみましょう。


死んでもいいと思っていること自体は本人の自由ですから、いいでしょう。

しかし、運悪く命は取りとめました。 そこへ、救援の人が来ました。 必死になって助けようとします。 死んでもいいと思っている人を助けるために、助かるはずの別な命が犠牲になります。


何の準備もせずに、着の身着のままで避難所へ非難することができました。 事態を想定して自分たちの必要最低限の荷物を持ち出した人たちも大勢います。 その人たちから笑顔で差し出された水を飲むことができますか?



自宅だけは倒壊を免れるという考え方が、買占めに拍車をかけています。

今は生活の足元を見詰めなおす時期だと思います。 今までの生活を維持しようと思うから、不平や不満が湧き上がります。 手に入るもので生活できませんか?

100年前には当り前のようにある私たちの身の回りのものはほとんどありませんでした。 豊かになりすぎた日本への警鐘だと思い、考え方を少し変えてみませんか?



自分たちができる最低限の準備を家族の責任で行う。 その上で地域の人たちと助け合いましょう。



日本全国から、世界から、義援金が集まってきています。 でも、忘れないで下さい。 復興するためには、桁違いの資金が必要だということを。 どうか、1回で終わることなく、その気持を継続させてください。



被災地で生活されている皆様、お亡くなりになられた皆様に不適切な発言があるかもしれません。 しかし、身をもって示してくださった方々からの警告を真摯に受け止め、私たちは「生きる」ことを真剣に考える時期であるとの判断から記載しました。