乃木希典 | ナツレのツレヅレなる何か

乃木希典

NHKさんのドラマ『坂の上の雲』から~乃木希典(のぎまれすけ)将軍をかきかき

『坂の上の雲』では柄本明さんが乃木閣下を演じてらっしゃいます。
有名人ですので他にも映画『二百三高地』の仲代達矢さんなどはじめ数々の名優さんが演じています
個人的には『日本海大海戦』の笠智衆(りゅうちしゅう)さんが良かったなぁ。

『坂の上の雲』のドラマは結構CGとかも美麗で見ていて違和感ないですね
(大河ドラマ「~江~姫たちの戦国」の江戸城とか・・・もうちっと頑張って欲しかった。


乃木希典はロシア太平洋艦隊(旅順艦隊)の根拠地である旅順口攻略を命じられ、多大なる犠牲を払って落とした司令官として、そのお髭スタイルとともに有名です。

先の大戦までは軍神と崇められていましたが、戦後は評価が180度変わって愚将のレッテルを貼られてしまったという、希有な人物です(評価は本人のせいではありませんが。)
この扱いの変化はひとえに旅順要塞攻略に対する戦前と戦後の評価の変化といえます。
戦前は~肉弾といわれる程の損害をものともせずに、永久要塞旅順を攻略した堅忍不抜の将軍と評されたのに対し、
戦後は~要塞正面への肉弾攻撃こそ、無策無能の証左で、無駄に犠牲を出し続けた愚将と評されるようになりました。
 

乃木希典 写真がある人は書きづらいですが~笠智衆さんをすこしイメージくわえたつもり

乃木さんは左目が不自由だった為、双眼鏡を片方だけにして使っていたそうです。

 

さて、乃木将軍ですが~。
名将・愚将どちらが実際に近いかは今でも侃々諤々議論されていますが
ナツレ的には愚将の評価は厳しすぎるかなぁと思います。

なぜなら・・・名将愚将論で引き合いにだされる旅順要塞攻撃に焦点を合わせるなら、 
乃木の兵力が5~6万であったのに対し、旅順に籠もるロシア軍は4~5万、さらに旅順艦隊から転用された兵力を加えると6万近くであったという事実です。えっ

古来より、攻城戦を行うなら攻め手は籠城側の10倍、最低でも3倍の兵力が必要というのは常識中の常識でした。
ところが参謀本部は分析を誤り、旅順に籠もるロシア軍の兵力を3万程度、実働では1万5千程度と見積もりし、乃木大将をその前提で攻略に当たらせたのです。
(小説などでは乃木第三軍が1万5千程度と見積もって準備したと乃木の戦力分析能力を批判しているようですが本来は参謀本部が批判されるべき事案かと

ロシア側にしてみたら、コレってまんまと堅固な要塞前面に乃木第三軍をおびき寄せたも同然です。
よくまぁ最初の総攻撃で撃退されただけで全軍崩壊までしなかったのが不思議に思えるほどです。

また、あまり評価をされていませんが、第一回総攻撃に失敗した後は、

要塞攻略方法として戦国時代から盛んに用いられた「築城攻撃戦法」を採用し、

兵力の損失を抑えるよう工夫しています。
この日本古来からの築城攻撃採用も乃木将軍の旧態依然とした体質と批判されているフシもあるようなのですが~、
では当時最新の戦法として他に最適なものがあるかというと
ちょっとあるとは思えましぇ~ん

この10年後の第一次世界大戦においての欧州軍事先進諸国でさえ、

ヴェルダンやソンムで攻撃側はやはり歩兵の突撃をもって塹壕などはり巡らされている要衝に攻撃をしかけています。
その攻撃は旅順の10倍以上の犠牲も厭わないものでしたが、攻撃側は旅順の乃木ほどの戦果を上げることもできず手も無く撃退されています。
ここから塹壕攻略の切り札として新兵器の”タンク(戦車)”が登場するのですが~、
残念ながら明治のしかも後進国の日本に登場する余地はありえませんでした。
しかも新兵器の戦車が登場したから攻撃側が勝ったかというとそんなこともないですしネェ


ついで旅順要塞への正面攻撃も工夫が無いと批判される対象なのですが
鉄道があり補給路が確保できる要塞正面を確保しつつ、他方面へ兵力を裂く余裕が、先に述べたとおり全く無い状況というのが実情でした
(乃木への指令は要塞攻略であり、二百三高地攻略など一部地域占拠では無かったのもあります)。

なにより一番やっかいだったのは乃木には、要塞攻略の時間的猶予を与えて貰えなかった事です。
先ほどの築城攻撃は時間をかなり要する戦法となるので、

海軍から矢の催促で要塞攻略を求められると、必然的に犠牲覚悟の力攻めを中途採用せざるを得ませんでした

で、結局要塞攻略は海軍の要請日までに間に合わないと思われた為、

二百三高地を攻略し観測所を設けるという妥協案を受け入れました。

ナツレとしてはこの二百三高地攻略という方針への評価こそ、もう一度見直しをする必要があると思います。
確かに、この二百三高地を落としたことで湾内の敵艦隊掃討が完了しましたが、

そもそもそれまでに落とした大狐山観測所からの観測砲撃で港内の敵艦はあらかた撃滅されていました。

結局多大な犠牲を払って二百三高地を奪取しましたが、それまでの攻撃によるダメージで、かろうじて浮いているダケで既に主砲も外され陸揚げされている鉄屑ハリボテ戦艦にいらぬ止めを刺しただけという、犠牲に比べてささやかすぎる戦果をあげましたが、主目標の要塞攻略の役にはたっていません
海軍としては、この湾内の敵太平洋艦隊が本当に撃滅されたいう情報が、喉から手が出る程欲しかったものだったといわれますが・・・そんなもの、大狐山からの観測情報と旅順市内のスパイ等からの情報だけで十分足りていたはずと個人的には懐疑的にみてしまいます。
本当にこの時まで旅順太平洋艦隊の撃滅が全く不明だったのか、今後の研究で言及してもらいたい所です。
(乃木第三軍はそれまでの観測情報等で旅順艦隊全滅の判定をくだしていた・・・その為、海軍要請は無視して要塞正面攻略のみに専念していた・・・という方がしっくりくるのですが・・・まぁコレは完全に私見です。

他に効率的に戦果を上げる方法として現実的なものとしては~。
二百三高地を攻略ソコを観測所として軍港では無く・・・
ロシア軍要塞高官家族が居る、一般居住地域への測量砲撃を宣言して利用する
そして、ロシア軍高官家族ら非戦闘員をある意味人質にして、恫喝をもって旅順要塞を降伏させる
・・・というえげつない作戦もありえると思います。
ただ、そんなことしたら長音記号1それまでの諸外国の日本軍に対する賞賛と好意が一変する可能性がありますので、

乃木さんの性格ウンヌンの前に政治的に当時の日本はこの作戦を取りえなかったでしょう。


乃木希典(のぎまれすけ)
長州藩士乃木希次(のぎまれつぐ)の子。
戊辰戦争には従軍していないが、明治4年(1871)帝國陸軍少佐へ任官され軍人となる。
明治8年(1875)、小倉第十四連隊・連隊長心得となり、同10年の西南戦争で初陣する。
この時、田原坂の戦闘において連隊旗を喪失するという失態を犯した。

明治11年(1878)、東京赤坂歩兵大一連隊連隊長に補任され、同13年には大佐となった。
その後ドイツ留学などを経て近衛歩兵第二旅団長、歩兵第五旅団長、休職をはさんで歩兵第一旅団長など歴任した。

明治27年(1894)8月、日清戦争に参加。旅順を一日で突破する勲功を上げた。
明治28年中将へ昇進し、仙台第二師団師団長、次いで台北へ転出し台湾総督に任ぜられその善政を評された。

明治34年(1901)5月休職し予備役へ編入される。

明治37(1904)2月、日露戦争開戦に際し復職し留守近衛師団長に任ぜられた。
次いで5月2日新しく編成された第三軍の司令長官に補任され大将へと昇進し、旅順要塞攻略の命を受ける。
8月、5万の兵を要して行った要塞正面に対する第一回総攻撃において1万5千もの戦傷者を出し、満州軍司令部を慌てさせた。
乃木はこの攻撃で敵の戦力と要塞の堅固さから容易に落とせないとして、これまでの砲撃と突撃から築城攻撃へと作戦を転換させた。

10月、バルト艦隊(通称:バルチック艦隊)から第二・第三太平洋艦隊が編成され極東へ進発したとの報に焦った海軍からの要請により第二回総攻撃を敢行する。
日本から送られた28サンチ砲の威力と築城攻撃による日本軍損失の低下、また一戸(いちのへ)少将の活躍でP堡塁という要塞攻撃の足場を確保するなど善戦したが要塞攻略はならず失敗。
ただし、この時の攻撃の損失は日本は3千8百余りに対し、ロシアは4千5百余りと、以降ロシア軍の損失が日本のそれを上回っていった。

11月、第三次総攻撃に際し海軍より要請が出た旅順西方の二百三高地奪取を行った。多大な犠牲を払ってこれを11月26日攻略。湾内の敵艦にとどめを刺し、海軍を安堵させた。
その後はまた要塞正面に主目標を戻し、12月18日に東鶏冠山(ひがしけいかんざん)、同28日二龍山、同31日松樹山と要衝を突破。さらに1月1日に要塞正面の最高峰の望台を占拠し旅順の死命を制し、翌2日要塞司令官ステッセル中将の降伏を受け入れた。
この後の1月5日の水師営でステッセルと会見した乃木は、敵将に帯刀を赦し酒を酌み交わすなど武士道精神に則った対応をみせ世界中の賞賛を受けた。
また、直後の戦没者招魂祭における態度も世界中を感動させ激賞された。

明治38年(1905)3月、旅順より北上した乃木第三軍は奉天会戦に参加。
旅順要塞攻略を成した乃木第三軍の名声が絶大なこともあり、露軍クロパトキン大将は過度に乃木第三軍を脅威としてとらえた事が知られ、その勝利に貢献した。

日露戦争後は軍事参事官、宮内庁御用掛、学習院院長など歴任した。

大正元年(1912)9月13日、明治天皇の大喪の礼直後、赤坂の自邸で妻と供に明治帝に殉じた
享年64歳。



色々乃木将軍の作戦に批判はまだありますし、すべてに反証はしつくせませんので
とりあえず乃木将軍が軍神という程の名将であったかの判定はさておいて
” 参謀本部が敵兵力分析を誤っていたにも関わらず、そのミスを補って当時最新鋭の永久要塞を抜いた”
この一事だけで少なくとも愚将という評価を下すのをはばかられる・・・と、わたしゃ思うのですが・・・
いかがでしょうか

2012/12/14一部加筆修正)
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