『ファーストキス』感想―― 結婚と人生観を重ねて
この映画をずっと観たかった。日本公開から半年以上も遅れて台湾で上映されたため、その間ずっとネタバレを避けて慎重に過ごしてきた。だから台湾公開初日の朝一に映画館へ駆け込んだ。
結論から言うと――私はこの映画がとても好きだった。
理想的でも完璧でもない。人生の、現実のそのままが描かれていたと思う。
映画の冒頭は衝撃的なシーンから始まる。主人公の男性・駈(かける)が駅のホームから落ちて、事故死したかのような映像。そして一転して日常が描かれる。
ポスターにある「神様、どうか私たちを出会わせないでください」というコピーや、序盤の落下事故から、私は「この二人が出会わなければ悲劇は避けられた」という、よくあるタイムリープ救済系の物語を想像していた。だからこそ、多くの人がこの結末を受け入れられなかったのではないだろうか。
(でも後から思えば、ポスターの駈の顔色、あれ完全に“短命の相”だよね…笑)
35歳までの私だったら、きっと彼を助けたいと願い、ハッピーエンドを望んでいたと思う。でも今、40代を超え、夫と9年間の交際を経て結婚、もう24年一緒に過ごしてきた。
親族を見送り、中年の現実に直面する中で、気づかされたことがある。
――「永遠」なんて、どこにもない。
だからこそ、今の私はこの結末を受け入れられる。私たちは何も変えられない。ただ、今あるものを大切にするしかないのだ。
運命と選択について
もし「過去・現在・未来が同時に存在していて、私たちは今その一点を歩いているだけ」だとしたら――
最終的に同じ結末にたどり着くという“宿命論”も、そんなに悪くない。
過去から運命を変えられないけど、過程が変えられる。
むしろ、後悔や選択の不安から解放されるような気がする。
仮にカンナが駈を救ったとしても、心がすれ違い、交わることのない日常を送る2人は、結局また不幸に戻るだけだったかもしれない。
作中に描かれていた何気ない日常の場面こそが、結婚生活におけるケンカの火種なのだと思う。
駈は好きでもない仕事を続け、嫌々付き合いに出かけ、心は抜け殻のようだった。カンナに「素敵なデザイナーになってほしい」と願いながら、自分自身はただの舞台美術スタッフで、満たされない現実を生きていた。
やりたいことができない2人、報われない自己犠牲、そこに喜びはない。
私とカンナの重なるところ
カンナと私は年齢も性格も近い。私も芸術と文学を学んできたし、片方しか見つからない靴下にも心当たりがある(笑)。
夫は働いて家を支えてくれ、私は「好きなことをして幸せに生きてほしい」と言われている。でも、現実はそんなに甘くない。生きるためには、私たちもやりたくない仕事をするしかない。
ただ、うちの夫はそれを「犠牲」とは思っていない。彼の世界は小さくてシンプルで、「人生なんてそんなもんだ」と悟っているような人。だから、私たちは長年一緒にいても大きな喧嘩はほとんどなく、自由な関係を築けている。
20代の頃は、私も彼もかなり尖っていた。
彼は双子座で外では明るく、家では静かすぎて“家にいるの?”って思うほど。
私は水瓶座で、外でも中でも一貫して率直、空気読まずに人を怒らせがち。
最初のすれ違いや摩擦は避けられなかったけれど、罵り合いはせず、感情的になりすぎないように心がけていた。
結婚生活では小さなことで喧嘩になる。家事、お金、子育ての方針、両親のこと…。何でも揉める理由になる。でも私たちはどちらも物欲がなく、財産は共同管理。お金がないけど、お金で喧嘩はしない。
私は率直で情緒は安定、思ったことを伝えるけど、夫が受け入れるとは限らない。彼は社交的で怒りっぽく、不満があっても黙って溜め込む。
関係の危機と回復
5年目、彼が兵役中に性格がガラッと変わった。髪を染め、オシャレに目覚め、タバコを吸い始めた。私の嫌いなことばかりだった。でも、あの時の彼は自由を求めていたし、私は彼を縛っていた。
彼から別れを切り出された時、私はどうしても受け入れられなかった。
「こんなに合っていて、好きな人はもう二度と現れない」――そう思ったから。
私はありったけの言葉で引き留めた。
泣きつき、変わると誓い、まるで“ダメ男”みたいに(笑)。
彼の優しさにすがった。結果として彼の“反抗期”は早めに終わり、社会で挫折を味わい、戻ってきた。
「外の世界はそんなに良くない」と学び、私からも逃れられないと観念したのだろう。
その後は映画のような普通の日々――仕事をし、生活をする。
時に波はあるが、私はいつも彼を選び続けてきた。
一番しんどかったのは、子どもが生まれてから。
日中働いて、夜は育児。睡眠不足、過労で倒れそうだった。
彼はほとんど手伝わず、私たちの関係は氷点下。
でも、なんとか乗り越えた。
彼が家事を分担し始め、私もプレッシャーの少ない仕事に就き、子どもの成長と共に、私たちの関係も少しずつ回復していった。
「もう若くない。明日何があるかわからない。」そう思うようになってから、自然と彼を大切に思えるようになった。
映画の構造と結末について
正直、映画の中盤は少し散漫な印象もあった。
タイムリープの描写が細切れで、少しテンポが悪かった。でも、それは尺の都合かもしれない。多すぎれば散漫、少なければ展開が薄くなる。でも毎回のやり直しは重要でした。
駈が未来を知ったうえでカンナにプロポーズしたシーン――
カンナは当然のようにOKする。でも、なぜ?
私の推測だけど、カンナは芸術肌で、直感型。
**深く考える前に、心が先に動くタイプ。**だから、あのとき自然と「うん」と答えたのだと思う。
命の選び方と愛のかたち
駈がなぜ救助を選ばなかったのか。
それは、彼が「そういう人」だから。古代生物を研究し、人生は一瞬だと知っている。
この映画は恋愛ものだから、カンナとの関係にフォーカスされていたけど、もし彼が結婚していなければ、もっと自由に生きられたかもしれない。
私も夫に聞いたことがある。
「世界の終わりの日、何をしたい?」
彼の答えはこうだった。
「いつも通り、仕事に行くよ。」
結婚していなければ?と聞いても、**「特にやりたいことはない。流れに任せる。」**と言っていた。
そんなところが、駈に似ている気がした。
good/badルートを超えて
作中、2人は子どもがいない。
カンナはきっと努力していたけど、結局舞台美術という道にとどまった。
駈は夫としての“理想像”を演じる一方で、自分を押し殺していた。
badルートでは、最期の日が離婚届の提出日。
「別れた方が幸せ?」…私はそうは思わない。
あの2人は「愛し方と、感謝の仕方」を知らなかっただけ。
人生に期限があると知った時、人はようやく「大切にする」ことを覚えるのかもしれない。
それは恋愛映画的には「物足りない」と思う人もいるかもしれないけど、この作品が伝えたいのは――
**「限られた時間を、今そばにいる人とちゃんと生きること」**だったのだと思う。
結びに
完璧な脚本ではないけれど、坂元裕二さんのセリフはどれも自然で、どこか笑えて、心に残る。
既婚者として共感する場面がたくさんあった。
恋は、いつか片方の靴下みたいに消えてしまうもの。
でもそれを自然に思えるのは、相手がカンナだったから。
結婚とは、欠点を4Kで見ること。
四六時中、一緒に踊り続けるダンスのよう。
最初は楽しいけれど、次第に疲れて、イライラして、「もうやめたい」と思うときもある。
でも、もし子どもがいない2人だったら、少し距離を置いて、それぞれに元気なときに会えば、相手のことがもっと可愛く思えるかもしれない。せめてこれは私夫婦たちの感情を保つ方法である。
…まあ、それは映画の主題じゃないけど、つい語ってしまった(笑)。