去年10月に掲載したショートストーリーの再掲載です。
***********************************(2023年10月5日初出)
私が勤める会社までの通勤は、自宅近くから路線バスに乗って最寄り駅の駅前まで行き、その東口から西口へ地下通路を通って行くのが常だった。
その日もいつもと同じように駅の東口で私はバスを降りて、500mほど歩いたところにある地下通路までたどり着いた。いつもと同じ道、いつもと同じ時間だった。
しかし、この通路を歩いている途中で軽いめまいに襲われた。おや?なんだ?きのう飲みすぎたっけ?いや、そんなことはないよな、なんだろ、これ。還暦を過ぎて体調もおかしくなったのかな?そう思いながらも、通路をゆっくり歩いて出口の階段をのぼって行った。
のぼりきったところで、私は信じられない景色に出くわして驚愕した。いつもと同じ道、いつもと同じ時間にたどり着いた場所は、いつもと同じ街ではなかったのだ。
周囲を見回して、同時に後ろを振り返ってみたら今上がってきたはずの地下通路の階段が消えている。地下通路そのものがどこにもない。狐につままれた気分というのは、今、この状態のことなんだろうなと、どこか他人事のように考えている自分がそこにはいた。しかし、確実に今この場所に私は立っている。それは事実だった。
私は心を落ち着けてもう一度まわりを見回してみた。春の生暖かい風が吹いていた。よくよく見るとなんだか見たような覚えがある風景。私は記憶の糸をたぐり寄せた。
街の風景は2023年とは明らかに違う。歩く人々の服装が地味。道路はアスファルトではなく砂利道。建物は平屋ばかりでビルのようなものが見当たらない。何より走って来たバスがボンネットバスで昭和レトロ。
「ここは西口のはずだから、もしかしたらあの建物あるかな?」と思い、私は駅の方向に歩いてみた。するとあった!あの燃料研究所の建物が!
幼いころ、駅から見えるこの建物はいったい何をやっている施設なんだろうと不思議だった思い出がある。その建物が今、目の前にそびえ立っている。でもこの建物は30年以上前に取り壊されているはず。ということは…ということは…と、私は考えた。
ということは、私が今立っているこの街は昭和の街並みということなのか?次第に頭の中が整理されてきた。もしかしたら昭和の時代?そう思いながら道端を見ると週刊誌らしい雑誌が落ちていた。拾い上げてみると表紙に、「昭和37年3月20日号」の文字が見えた。やはりそうだったのか、ここは令和の時代ではなく昭和なのだ。
駅前からは中央通りがまっすぐに伸びていた。ということは、あの洋食屋「山小屋」があるはず。その店は母がウエイトレスとして勤めていた店で、私もまだ幼稚園のころ、ときどき母といっしょに店に出ていた。「いらっちゃいましぇ」と私は母と共にお客さんを出迎えていた。それがかわいいとずいぶんともてはやされたものだ。
中央通りを駅から歩いたら400mほどの右手に「山小屋」があった。いやはや懐かしい店構え。ログハウスのような作りで店の出入り口の扉の右側には大きな厚手の木の板で作られた「山小屋」と書かれた縦書きの看板があった。記憶のかなたにあるそのままで。
もし母が出てきたらどうしようと少し困惑しながらも、私は10mほど離れた赤い郵便ポストの横で様子をうかがった。しばらくすると客だろうか、ひとりの男性が「山小屋」の扉を開けた。私と店は少し離れていたが、店の中に立っていたのは、確実に母とまだ4歳くらいの私だとわかった。私は呆然とした。
その後、客は食事を終えたのか店から出てきた。それを見送っていたのも母と私。ふたりは店の外に出て、客を見送ったあと母は私を抱き上げて笑顔で桜並木の桜を私に見せるような様子だった。母は私の頬に自分の頬を寄せてうれしそう。わたしは思わずスマホで母と幼い私の姿を撮っていた。
そんなシーンを見ることができて、私はすでに亡くなってしまった母に聞けなかった心のわだかまりがスッと消えてなくなっていることに気がついた。
ちょうど4歳くらいだった私が夜に寝ようとして目をつぶっていると、母は部屋に駆け込んできて、「こんな子いらないよ!」と私を蹴とばした。私はそれに気づかないふりをして、なおさらギュッと目を閉じた。
あとでわかったことだが、祖母と大ゲンカをしてその勢いでそんな行動に出たことは知っていた。でも、一度母の口から、「あのときはゴメン」という言葉を聞きたかった、ずっと。しかし、そんな行動そのものを母は覚えていなかったかもしれない。
その後の母の愛情は強烈で私は常に愛されている実感に満ちていたので…
母は私を抱きかかえて店に入るときに、チラリと私のほうを見た。ほんの一瞬、ん?という表情が見えたが、すぐに店に戻って行った。
私は西口の地下道のあたりまで戻ってみた。さて、こんな時代に来てしまって、いったいどうしたらいいんだろう、と戸惑うだけだった。しかし、さっきの地下道で感じたようなめまいが再び襲ってきた。おや、まただ、いったい……
そう感じていると、遠くで声がした。
「おい、どうしたんだよ突っ立ったままで、大丈夫か?」という声は同僚だった。
私は我に返ってまわりを見回した。いつもの風景の中に同僚が立っていた。毎朝、同じ地下通路を利用している会社の同僚だった。
「なんだよ、立ったまま寝てんのか、声かけても反応なしだったぞ」と同僚が話していたので、さっきまでの経験はもしかしたら夢だったのかと自分でも思った。
そう思ったが念のために私は携帯を確かめてみた。そこには、私を抱きかかえてうれしそうな笑顔の母と安心しきった表情の4歳の私の写真が1枚だけ残っていた。
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【お知らせ】
Cozyさん(井村浩司)のお兄様から連絡がありました。
大変ご無沙汰してます。
井村の兄です。
弟の埋葬が秋に決まり、10月に納骨の予定です。
色々ありましたが、納骨が終わり次第改めて連絡差し上げます。
どうぞよろしくお願い致します。
様々なご事情があったのでしょう。ずいぶんと長い年月を要しましたが、Cozyさんもようやく安息の地にたどりつけるようです。10月といえば、第2回目の追悼展の月。会期を終えたらお墓参りに行きたいと思っています。
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