「今頃、そんな事に気づいてるのか。そんなの当たり前だろ。生きるという事は、場所がどこでも大変な事の連続なんだよ」

したり顔で話す係長のメガネ越しの視線が、ドアの向こうに向けられた。

ドアの手前にある看板に隠れて見えにくいが、誰かが中の様子を見ているようだ。

「牧田くん、誰か来ているみたいだよ。見に行ってあげて。観光客が迷っているのかも」

「おぉ、観光客なら大歓迎・・・」

くぅみぃは、いそいそとドアに向かった。

口ずさみながら。

「ババァはいないし〜♪  おったら何しに行くんや、でしゃばった真似をして、とかいうからな〜、絶対。これ、おったらきっと言うに100点賭ける〜」

くぅみぃは、そうっとドアを開けてみた。

やっぱりいた。

女性だ。

まっすぐな髪を、後ろで縛り、化粧は薄め。

おとなしそうな、清楚な感じの人だった。

 

「あの、何か、観光案内でお探しですか?」

くぅみぃは、相手の女性に合わせるように、上品げに話しかけた。

これが倫子相手だと、荒い口調になるところだ。

なんか用? 用がないなら退いてちょうだい!って、退いてちょうだいは、あんたの口癖やろかいさ。

目の前の女性は、うつむきがちに答えた。

「えぇ、あの・・・」

「まぁ、寒いから、中に入ってください」

くぅみぃは、女性を案内所の中に招き入れた。

係長も、ほう、といった様子で女性を見上げた。

そう、こういう清楚な感じの女性は、実は島には、なかなかいない。

島にいるとたくましくなるのかな、いや、でも自分は元からたくましいよな、とくぅみぃはふと思った。

 

「どうぞ、お席にかけて下さい。今、コーヒーを、あちゃ、ミルクなかったんや」

「あれ、出したらどうや」

係長は、棚の中にある、梅昆布茶の缶を指した。

それは、以前焼きそばを作った時に、隠し味に入れた梅昆布茶の残りだった。

くぅみぃは、棚から梅昆布茶の缶を出して、女性に見られないように、こっそり缶についていたソースを拭き取った。

 

「寒いですからね。あったかい梅昆布茶お出ししますから、ゆっくりしていってもらったら良いですよ」

係長のメガネの下の目つきが、何となくニヤニヤしているのが気にかかる。

こんな時こそ、倫子ババァがいたら、引き締まるのになぁ・・・

あんなババァでも、使い道はあるんだ。

尊敬しなくちゃね。

くぅみぃは、再び口づさんだ。

ババァもええとこあるやんかいさ〜〜♪

 

女性は黙ったままで出されたお茶の湯気を見ていた。

くぅみぃは、彼女がただの観光客ではなさそうだと気がついた。

「あのぉ、どちらから来られました?」

「・・・・」

微妙な雰囲気に、メガネ係長が、割って入って来た。

「いや、良いんですよ、ここでそんな事言わなくても。欲しいパンフレットがあったら、持っていって下さい。どこ行きたいです? レンタカーは?」

くぅみぃも、矢継ぎ早に入って来た。

「この島に来るの初めてですか? 色々見所はありましてね、海も綺麗だし、山も緑が濃くて、珍しい鳥が見られたりするんですよ」

「はい・・・あの、実は・・・・」

「実は?」

くぅみぃと係長の声が、なぜがシンクロしてしまった。

「この島、初めて来たのでわからないんですが・・・」

「牧田くん、地図持って来てあげなさい」

「はい、そうですね。わかりやすいのがいくつかあって・・・海が見たいですか? 山に登りたいですか? これ、さっきも聞いたかなぁ?」

女性は、何か言いたそうで言えないでいた。

 

「あぁ、自己紹介しておきますね。私がここの所長をやっています、山中と申します。実際の仕事は、うちのメンバーがやっていますのでね、ウチのものに言ってもらえれば、何でもお手伝いさせて頂きますよ」

メガネ係長が、にっこり笑って、いやニヤついて、女性に名刺を渡した。

 

自分の分の梅昆布茶を入れようとしていたくぅみぃも、ポケットから、作りたての名刺を出した。

名刺入れは、昨日100円ショップで買って来たばかりの物で、昨夜喜んでセットしたばかりだ。

早速使えるのが嬉しくて、くぅみぃの顔はにやけた。

 

「私は牧田久美と申します。でも昔から、皆、私の事をくぅみぃと呼んでいるので、あなたも、私の事をくぅみぃ、と呼んで下さい。で、係長の言ったみたいに、何でも言いつけて下さいね」

くぅみぃは、ニヤニヤしながら、女性の前に、新品の名刺を押し出した。

「ハイっ、くぅみぃです!」

くぅみぃは、振り付きで自己紹介した。

「何やねん、それ誰か芸人さんの真似?」

これをやった時の係長の呆れ顔は、いつもの事だ。

「あ、それからですね、もう一人、私の上司の職員がいるんですけどね、今外出してまして。それも好きなように使ってもらったらいいですから」

くぅみぃの言い方に、初めて凪沙は少し笑った。

「あなたの事は、何とお呼びすれば良いですか? お名前差し支えなければ、教えて下さい」

 

「私は・・・白井・・・白井凪沙と言います」

係長のニヤニヤがさらに続いた。

「なぎささんねぇ。良い名前ですねぇ、いや、失礼」

くぅみぃは少々呆れ気味に言った。

「どうもすみません。でも、なぎささんって素敵なお名前ですね。差し支えなければ、私、凪沙さんってお呼びしても良いですか?」

凪沙は、穏やかな笑顔を見せてくれた。

「えぇ、どんな呼び方でも良いですよ」

「じゃ、凪沙さんにしますね。早速ですけど、凪沙さんは、海がいいですか? 山がいいですか? パンフレットや地図も、だいたいどちらかがメインになってるんですよ」

くぅみぃは、いくつかパンフレットを手に取って、凪沙の前に並べようとした。

 

「ありがとうございます・・・・でも、それは、いいです・・・」

「え、でもこれ、地図があるから便利ですよ?」

「私、観光に来たんじゃないんです」

「へ? でも凪沙さんは、地元の方じゃないですよね?」

「はい・・・あの、実は、調べたい事があって・・・」

「調べたい事?」

「あの・・・、戦前戦後あたりの、住民の資料なんて、どこにいったら見られますか?」

「へ、そんなの聞いた事もないや。いや、でもこちら民族資料館の所長さんもされてますからね。所長さん、ご存知ですか?」

「何を急に持ち上げてるの。僕も実は、任されてるだけだから、内容はよく知らなくて・・・」

くぅみぃは、ここぞとばかりに、また口ずさんだ。

「ひゃ〜、こちらの所長さんは〜、何も知らんと仕事しとるで〜、こんなんでええんかな〜〜♪」

「いや、なんかあるとは思うんですよ。でもちょっと記憶にないかな・・・」

「何かあるんちゃいますの? それこそ資料館はバイトで回してるから、バイトの人に聞いてみたら?」

「そうねぇ・・・・島岡さんなら知ってるかな?」

「あぁ、あのアルバイトのおじいちゃん? あの人長そうだし、知っているかも。電話してみましょ」

「ありがとうございます・・・」

「で、凪沙さん、戦前戦後の何を調べはるんですか?」

「それは、その・・・・」

「うん、いや、今無理に話す必要ないですよ。島岡さんって物知りのおじいちゃんがあそこにはいますから。島岡さんに直接話されたらいいですよ」

くぅみぃは、電話機を取って、資料館へ繋げてみた。

 

「あー、もしもし、民族資料館ですか? 私は、観光案内所の牧田くぅみぃです。はは、そうそう、くぅみぃです!もっ回言いましょか? はい、くぅみぃです! ハハ 島岡さんですよね? あ、そうだ今所長がこっちにいるんですよ。何か話されます? えーと、話をする前に、今お時間よろしいですか?」

メガネ係長は、ボソッと呟いた。

「もっと落ち着いて、順序よく話せんのかな、あの子は。まぁ、そこが面白くて採用したんではあるけどな・・・」

「えーとね、案内したいお客さんがいるんですけどね、島岡さんがいたほうがいいんじゃないかな、と思ってお電話しました。え、じいちゃん、今日午前中まで? 孫が来るから? はぁー」

くぅみぃは、メガネ係長をチラリと見た。

「まぁねぇ、資料館の方は、バイトできっちり回せるから、帰れる時は帰ったほうがいいですよ。うん、うん」

くぅみぃは、凪沙の方を見て言った。

「凪沙さん、今から民族資料館行ってみましょうか。今なら物知りじいちゃんがいますから。急かすようで悪いけど、せっかくですからね」

凪沙は、そっと頷いた。

「じゃ、午前中にそちらに伺いますから、よろしくお願いします。所長がちょうど、そっちへ行くって言ってましたから、所長がご案内すると思いますので。はい、よろしくお願いします」

 

電話を切ったくぅみぃは、所長、つまりメガネ係長に向かって言った。

「係長、今日、資料館に行くって言ってましたよね」

「あぁ。次に行く予定だよ」

くぅみぃは、ニヤッと笑った。

「係長、今日行く用事って、大事な用事です? 今行かないとダメです?」

「いや、ここと同じように、うまくやれてるか見に行くだけだけどね。あそこは、ここと違って、うまく回ってるから」

「ですよねー。あっちはうまく言ってますもんねー。では係長様」

「何だよ、一体」

「私が、凪沙さんを資料館にご案内していいですか? 係長は、ここでゆっくりされてるといいですよ」

「はぁ? どういう事や」

「係長に凪沙さんを任せるのはどうかな、と思いまして」

「嘘だろ。右田さんとここで二人でいるのが嫌なんやろ」

くぅみぃは、ニヤニヤと笑った。

「所長、わかってるじゃないですか。あの人、係長の前だと大人しいんですよ。もう直ぐ戻ってきますから、美味しいコーヒー入れ直してくれますよ」

「二人だけだと、そんなに嫌な雰囲気になるか」

「えぇ、そりゃ、あの人、人をネチネチいじめるのが快感になってますからね。二人でいると、どんな風に嫌味言おうか考えてる人ですから。それに、所長より私がご案内したほうが、気が楽ですよねぇ、凪沙さん」

くぅみぃは、凪沙の方を振り向いて、ばちばちっとウインクして合図した。

 

「えぇ、じゃぁ、くぅみぃさんにお願いしてよろしいですか? 申し訳ない・・・」

「申し訳ないなんてとんでもない。今から一緒に資料館に行って、探し物があるか調べてみましょ」

「ま、牧田くん・・・」

係長には、くぅみぃが、右田倫子から逃げるように出て行こうとするのを止める理由がなかった。

凪沙は、係長にお辞儀をして、ウキウキと出てゆくくぅみぃの後をついて、案内所を後にした。