柳田邦男さんの『零戦燃ゆ』ではほとんど書かれなかった太平洋戦争末期の紫電改の奮闘について、膨大な調査により書かれた『源田の剣(つるぎ) Genda’s Blade』を読了。

副題が「米軍が見た「紫電改」戦闘機隊 全記録」ですから、米国側の戦闘記録を丁寧に調査し、米国軍が見た紫電改部隊の活躍を描き出したノンフィクション。

文献一覧までいれて638ページの大作です。しかも、1ページ上下二段組み。

高木晃治さんとヘンリー境田さんの共著で、この二人の紫電改にかける執念というか情熱というか・・・とにかくすごい熱が伝わってくる一冊です。

 

紫電改は太平洋戦争末期、昭和20年から戦闘に導入された最新鋭の戦闘機で、零戦の後継機とされていました。

この紫電改を操縦する敏腕パイロットたちが源田大佐(当時)によって松山に集められ、紫電改の343空として、アメリカのF6F(ヘルキャット)やB29と戦闘を繰り広げました。もう敗色濃厚になっていた時期、それでも本土を襲撃するB29を撃墜しようと必死に戦った343空の部隊の奮闘ぶりは、源田實さん自身が本に書いていますけれど、より客観的な視点で、米軍側の記録に基づいて、343空の紫電改部隊の戦いぶりを記述したのがこの本です。

 

柳田さんの『零戦燃ゆ』と、この『源田の剣』の両方を読むことによって、太平洋戦争の日本海軍の戦闘機の戦いが完結するかなと思います。

昭和20年なんてB29に日本は爆撃され放題だったと思っていたのだけれど。紫電改部隊が懸命にB29を撃ち落とそうと、8月15日まで必死に戦って、日本人を守ろうとしてくれていたのだなあとわかります。

 

私が紫電改343空のことに興味を持ったのは、菅野直(かんの なおし)大尉(戦死後二階級特進で中佐)という人の存在を零戦の歴史を調べているうちに知ったから。

菅野さんは、イエローファイター、菅野デストロイヤー、ブルドッグなど、もういろいろなニックネームがついていますが、日本海軍の撃墜王の一人であり、B29を撃ち落とすために背面直上急降下攻撃というとんでもない戦法を生み出した人(紫電改をひっくり返して背面のまま、まっすぐB29に急降下して撃墜する方法)。

そして、菅野さんの人生そのものが最初から最後まで超ドラマティックで、逸話が盛沢山な人なのです。

操縦や空戦術は飛びぬけていたらしく、かつ、部下思いの優しい人だったようです。ちょっとやんちゃだったようですが(笑)。

 

菅野さんの最期はよくわかっておらず、屋久島近くの海上でアメリカの戦闘機と戦っているうちに、乗っていた紫電改の機銃筒が爆発し、空戦から離れて低空を飛んでいたことはわかっているのですが、その後の消息がわからない。部下が心配して菅野機に付き添ったのですが、「俺のことは構うな、戦闘に戻れ」と菅野大尉に怒られて、菅野機を離れ、空戦の後、「空戦ヤメ、集マレ」という菅野大尉からの無線電話を聞いて、集合場所の空に行ったけれど、菅野大尉の姿はなかったのです。「菅野1番!菅野1番!」(菅野大尉は1番機だったので)と部下が呼びかけたけれど反応なし。海上に何の痕跡もなし。「未帰還」となり、戦死したとされたのでした。

 

『源田の剣』では当時菅野大尉の集団と戦ったアメリカのパイロット側や戦闘記録を調査し、菅野大尉機を撃墜したと思われるアメリカ側の戦闘記録がないことから、菅野機がアメリカ側に撃墜されたのではなく、機体の故障か事故により墜落したと推察されるとしています。それは終戦間近の昭和20年8月1日の出来事でした。

可愛がっていた菅野大尉の未帰還に、強気の源田大佐もさすがにがっくりきたようです。

 

菅野さんの人生はそのまま小説や映画にできそうなドラマティックで印象的なエピソードもりもりなのですが。

映画にはなっていないと思う(私が知る限り)。

本としては伝記みたいな本は出ていますが。

誰か、菅野さんを主人公にして小説を書いてくれないかなあ、私には菅野さんの人生を描き出す筆力がない・・・と思っていたけれど。

須本壮一先生が、漫画として描いてくれたのでした。『紫電改343』。

私はまだ読んでいる途中なのですが。

この漫画もドラマチックな展開で。連載していた雑誌が休刊になってしまい。しかし、須本先生はクラウドファンディングして完結編を描き上げ出版するという展開になったのでした。

 

菅野大尉そして、紫電改343部隊の奮闘を、映画化してくれないかなあ~と願っています。

 

この本の最後に、昭和54年、愛媛県南宇和島の久良湾の海底に沈んでいた紫電改がほぼ完全な形で発見され、引き揚げられて「紫電改展示館」で展示されている事が書かれています。

この紫電改に乗っていたパイロットは誰だったのか(紫電改の中にはパイロットの遺骸などはなかった)、この本は調査し、武藤金義少尉であった可能性が高いとしています。武藤少尉は菅野大尉の列機でした。

 

いつか紫電改を見に、愛媛県に行きたいと思っています。