近所を歩いていると、町内会のお知らせが貼ってあり、「〇〇さんが〇月〇日に〇歳で亡くなりました」という、訃報が書いてあることがあります。
〇歳が、90歳を超えていると、ああ、長生きされたのだなあ、と思うし。
70歳くらいだと、ちょっと早いなあと思います。
人生100年時代だというけれど、町内会のお知らせでは、まだ100歳で亡くなったという訃報は見たことがありません。
最近は、訃報を見ると、自分の年齢と引き算してしまいます。
「この人のように70歳で亡くなったら、私にはあと20年も時間がないなあ」とか。
「90歳まで生きるなら、まだ結構時間あるなあ」とか。
それでも、私に残された時間が50年より短いことは、ほぼ間違いない。
桜をあと50回見れることは恐らくない。
そう思うと、自分がこの世を去る時は、どこで、どういう風に去るのだろうと考えてしまいます。
理想は自分の家で最期を迎えられること。
病院でいくつものチューブに繋がれて・・・という事態は避けたい。
私にはこの世を去る時の理想図がありまして。
西行さんの
願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃
この短歌のごとく、この世を去りたいと思っています。
「花」とは桜のことです。
旧暦だから如月(2月)ですが、新暦でいえば3月下旬です。
3月の桜が満開の満月の時に、桜と月を見ながら目を閉じたいと願っています。
そのためには、自宅で最期を迎えられるような健康状態でいる必要があるし、
桜が見れる場所にうちがないといけない。
できれば庭があって、そこに桜の木があるのが理想。
それが無理なら、窓かベランダから、桜が見れるような場所に最後の日々は住んでいたいです。
今住んでいる所はとても気に入っているけれど。
桜は近くに見えないから、天寿を迎えそうな頃んは、桜が見れるところに引っ越したいと思っています。
どういう場所がいいかな~と、「理想の最期のうち」を探すのも、これからの目標の一つです。