肌寒かった | 岡安夏菜オフィシャルブログ「Fluttering Summer」

肌寒かった

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今日の私服ちゃん♪笑





一応長袖だったけど
したノースリーブだったので、肌寒かったです(/_・、)





足元は調子こいてサンダルを履いちゃったのです…笑




新しかったから履きたかったのです(^^;)笑








今日もアントラーズ勝ちましたね☆、






VS柏レイソル!!





2-1ですます。


興梠選手2得点!!




すごいですね☆、





ACLを観に行ったとき
興梠選手、スタメンでしたが、運動量がハンパないなって思いした。




ずーっと動いてました。あの身体能力は素晴らしいものだと私は感じました。



それがこうゆうふうに点に繋がった形で出てくると、興梠選手も嬉しいのかな~??
って思いました。








皆さん暖かいコメントありがとうございます。








だがしかし!







私また昨日誤算をしておりました(>_<)






16年前の5月15日、私産まれてました!!!






Jリーグが始まったのは
1993年5月でございまして、
私が産まれたのは
1992年7月でした!






自分の歳も計算できないお馬鹿でごめんなさい(pω・q。)








ちゃんと私は0歳でした。笑




そう考えたら
もしかしたらTVで観てたのかも!?
しれませんね。笑い







じゃあ今日は、はなさんのコメントにもあるように



アントラーズがJリーグに参加できた奇跡!について…





1989年10月 日本サッカー協会から届いた1通の手紙。
その内容はプロ化が検討されていたサッカーリーグに参加の意志があるか?
89年→NO
90年4月に届いた正式なプロリーグ参加へはYES!

住友金属が企業として描いていた『将来は家族や地域全体に喜んでもらえるような企業になりたい。』という、2000年ビジョンが新しいプロリーグに参加して地域を盛り上げようという気持ちが一致したそうです。


しかし実際にプロリーグに参加するためには、15000人収容のスタジアムを確保することなどいくつもの高いハードルがありました。
このときチームは日本リーグの2部に降格。実に厳しい環境での参加表明でした。



最初の段階でプロリーグへの参加意志は約20チームあり、その後立候補の取り下げなどがあり最終的には13チームが残りました。
プロリーグ初年度に参加できるチームは8チームの予定。
住友金属は13番目の評価だったそうです。


初代Jリーグチェアマンの川淵三郎氏は『鹿島のJリーグ入りは99.9999%だめだと思っていた。』と後に語りました。


プロリーグ参加は地域全体の願いとなっており、関係者は諦めることなく協会から出された高いハードルを次々とクリアー!!

そのもっとも象徴的だったのが『15000人収容のサッカー専用スタジアム』をつくること。
日本にサッカー専用のスタジアムが一つもなかった時代でした。


そして1991年2月14日
プロリーグに参加するチームを決める最終検討委員会が開かれました。

サッカー専用のスタジアムの新設を決めた住友金属でしたがまさに当落線上だったそうです。


発表された結果は見事当選!!
当初8チームとされていた初年度参加チーム数は10チームに拡大され、
川淵委員長の『企業ではなく地域のチームとして参加しようとしている彼らは、我々が目指すプロリーグの理想ではないか』という賛辞が添えられたそうです!!





まさに地域の団結が勝ち取った夢でした。





いやー
すごいです!!




これは本当に鹿嶋の団結力だな!!と思いました。







それではまた次回~♪