昔から学校は基本的に嫌いだし、特に中学と高校は牢獄時代として記憶されてる。先生も基本的には嫌いな人だらけで、大人ってなんか安っぽいなというか、薄っぺらいなというか、そういう風に思わせる先生も沢山いた。だから家で愚痴を言いまくったし今だって友達と話す時は揶揄も思いっきるする。

でも、何故か基本的に先生のことを「友達みたいに」、呼び捨てして、タメ語で話しかける、みたいなことは心底気が乗らなかった。そうしたことはあるけど、確か自分でもそれを気持ち悪いと思ってた。

なめてたしムカついてたけど、それはなんか自分にとっては気持ち悪いことだった。

立場の違う人と同等に話すということは大事だし望んでいることでもあるけれど、あのなんか「友達みたいに」振舞うことは全然意味が違う気がした。

だって友達じゃない。

みんなが先生を平気でニックネームや呼び捨てで呼ぶのを見て、いつもなんか遠くからそういう無邪気さが羨ましいなと思う、かなり捻くれた女子だった。あ、なんか上から目線のように聞こえるけどそんな意図はないよ。

だいたいいつも人と同じことをするまで時差があるような感じだった。

そして私のこの時差を知ってる人はほとんどいなかったような気がして、それが寂しくて、思春期が本当に思春期らしいものになったんだと思う。