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7月は自分を深く深く知る時間だったように感じます。

ここに産まれた理由に気付き始めたように感じます。


繊細な話しになるけど、少しだけ書き残しておこうと思います。



私は小さい頃からスポーツが大好きでした。

スポーツの世界に導かれたのは、
私自身の存在を1番認めてもらえた!と感じる場所だったからです。

特にスキーは7歳で始めて滑った時、家族みんなが私に注目してくれた。

一緒に行った親の友人までも。

そこに自分自身を認めてもらえたという安心と自由を感じました。


私が私でいられる場所を見つけた瞬間だったと思います。





私が私でいられる世界で、どっぷりと自分と向き合う事を両親は許してくれました。

どんな怪我をしても、やめろとは一度もいわれませんでした。

とことん自分が何者なのかを探してこられたように思います。

2015年の1度目の引退まで長い間、理想や点数を追いかけて、自分ではない形を作っていました。
理想とする(競技に認めてもらえる)自分に近づくために。
それが、真の自分なのではないかと信じてやってきました。


真の自分に出会えると信じていたあの日々は、無我夢中で突っ走っていました。




復帰した時、
「本当の自分じゃなきゃ意味がない」と感じ、

それは何かを探していました。

復帰から3シーズンが過ぎ、
半分以上はその答えが見えてきているように感じています。

一度、自分ではない姿を求めてがむしゃらにやってきて、自分じゃない姿を知ったから、
本来の自分の姿のありがたさを知りました。


ジャッジされ、理想の形がある競技の中で本当の自分を探す事は沢山の矛盾があるなと。
それ自体矛盾しかないなとも思っていました。

だけど、この場所でなければ描いた理想の自分にも出会えなかったし、その後に見つける本当の自分には出会えなかったなと感じます。





何故競技を今もやっているのか。
何故、愛と平和の祭典なのか。
何故調和なのか。

直感的に閃いた事が何だったのか。
本当の自分を見つけ始めた今、辻褄が合ってきました。

この7月。
私がここのフィールドにいて、これをやっている最大の理由を見つけました。



産んでくれた母のためだったのです。

母は産まれたままの私の姿を1番知っています。

母が私の試合に一度も来たことがないのは、まだまだ私が私自身は愛として産まれて来たんだという事を思い出せていないからなのかもしれないなと気付きました。

いつか、母が私の試合を見てみようかなと感じてくれた時がそうなれた時だと思います。

その姿を見た時に、
この子を産めた事、幸せだなって感じてもらいたい。




2022年北京オリンピックという、時間と舞台を目指す事の理由はこれだったんだと、ストンと自分に落ちました。


また、スキーと出会わせてくれたのが父だという事も含めて私の中で全てが繋がりました。

確かな愛の中で生きてきたのだと気付きました。

人生の目的を明確に見つけた今、
これまでよりも一層、まっすぐに進みます。

読んでいただきありがとうございます😊🌈