​セルフイメージは?


 みなさん、自分にどんなセルフイメージをもっていますか?


 私は「あほ」が入っている。あほって可愛いよねー。アホでも阿保でも良いけどさ。いやー好きなんだ、アホって。


 アホだとさ、どんな行動をしても許されるじゃんか。若干のマイナスイメージを入れておくことで、珍しく自分がまともな思考を持った時に「今日は良いぞー!天才だぁ」と思うことが出来る。


 今日の天才さはねえ、「駐車場でもクーラーつけておけば結構涼しく昼休みが過ごせるではないか」という発見よ。もったいないじゃんかーガソリンが。どこの駐車場にもだいたい書いてあるじゃんか、アイドリングストップってさ。でもまあいっかー昼間だし。住宅が真横にある立地じゃないし。




 快適だがや。今日の昼は素晴らしいぞ。車で昼ごはん生活は今日でラストだ。


 なんかさー、昼休みってさみんなどうやって生きてるの?昼休みの変遷とか書いたらちょっと面白そうじゃないかな。


人類の昼休み。


 小学校から振り返ろうではないか。


 小学生。「給食の時間〜🥛🥗🍝」あれはさ、食育の時間なんだってさ。だから休み時間じゃねーんだよな。子供は良いけどさあ、つまり学校の先生って昼休みないってことだよね。かわいそうにねえ。炎上してたよね、#教師のバトン だっけか? しかも小学校の昼休みってさ、(令和の時代は違うのかもしれないけどさ)当時は「外で遊べ」って厳命されていたよ。雨の時以外は教室から追い出されたもんなあ。意味わかんねーわ。「休み時間」も指示された通りにしか動けなかったもんな。つまりあいつら(小学生)って「昼休み」とか存在しないってことだ。「休み」ってなんだよって話。うわー6歳からブラックー。こうやって洗脳されていくんだ、こわーい。にっぽんこわーい。


 中学生。中学になると「外で遊べ」というしばりはなくなって。12歳にして少しだけ人権を手に入れる。休み時間に室内にいることを許された。わたしの地元の八王子は市がビンボーだったから(なのか知らんけど)給食とかなくて弁当だったぞ。おぉ、っていうことは毎朝弁当をつくらないといけないという役割を背負って今度は親がブラック労働だ。子どもの学校生活って誰かの犠牲の上に成り立ってるってことだよねえ。人間社会こわーい。


 高校生。高校は良いよ、だいぶ自由だ。弁当でも良いし、学食もあったしなあ。あれは良いよ、誰かの犠牲の上に成り立ってない産業だもんね。食材の仕入れで経済がまわって、食堂のおばちゃんという雇用も生まれて、先生は給食の時間を見張っていなくて良いし、みんなが幸せだわ。


 でも高3の時には言われたよ。「お前らまさか昼休みにゆっくり弁当なんか食ってるわけないよなあ。昼休みは受験勉強をする時間だ、わかってるよな。」って。弁当は3限と4限の間に食べるか昼休み開始10分で食うか、ゆっくり食いたいなら「単語帳を見ながら食べろ」っていうことだったぜ。ふぉー、ブラック!終わらない仕事でパソコン作業しながら片手でおにぎり食ってるサラリーマンみたいなことさせられてたぜ。こわー、まじでこの国はよく出来ている。こうして社畜が順調に養成されていくわけだ。


 そして大学生、アルバイト時代、社員になってから、、、あぁもう暗黒学生生活を振り返ったら疲れちゃったなあ。この記事はこれくらいにしておこう。


 今は幸せだよ。車でひとりでゴロゴロしながらごはんが食べられてさあ。最近地球があっついから車もあっついけどな。


 でももうこの生活は満喫したぞ。だから、次の仕事では誰かと昼ごはんは一緒食べるんだー。楽しそうだぞ。良いぞー、知らんけど飽き果てた今の生活よりは楽しそうだぞー🧑‍🌾


 じゃあねー、人類。車で昼寝すると熱中症になりかけるから気をつけて生きてねー🥵