​ふへへ。



 今日は随分と雨が降っていた。午後イチで行ったお客さんの家。駐車場から玄関の屋根があるところまでわずか10メートル。でも明らかに車を出た瞬間ビシャビシャに濡れるなって量の降雨。いつも玄関のカギは開けてくれている。そして相手は奥の部屋で待っているだろうと確信し「ひゃーーい!雨だあ!」と叫びながら車から飛び降り玄関まで走る。その間わずか数秒。


 その数秒の間にちょうど玄関のドアを開け出て来て迎えてくれようとしたお客さんと鉢合わせをする。やべえ、「ひゃーーい!雨だあ!」を聞かれた。お客さんにめっちゃ笑って「あらぁ元気ね。」と言われた。明らかにひとり言を叫ぶタイミングを間違えた。ダサい。この叫びはシンプルにダサい。聞かれたくなかったあ。最悪である。


 そして玄関にタオルが用意されていた。すごくない、この気遣い。雨だからタオルって。いやー、良いお客さん。尚更あの変なひとり言は聞かれたくなかったなあ。


爆笑


 タイトルに書いた「消化試合が3ヶ月は長すぎた」という話。


 次の施術者への引継ぎなどを考えて、辞めるのなら3ヶ月前に言って欲しいと言われていた。法律的には2週間前で良いとか、流行りの退職代行を使えば即日辞められるとか、常識的には1ヶ月前が妥当とかまあ基準や説は色々あるけれど。一般論や知らない誰かが決めてくる基準はどうでも良くて。3か所の会社で仕事をしているけれど、その中でいちばんお世話になっていた会社の社長に言われていたのが「3ヶ月前」だったから。そこは3ヶ月を守って今までありがとうございましたという感謝を伝えて、平穏にやめようと決めた「3ヶ月」という期間であった。


 3月の20何日かに決めたんだよね。今の仕事と生活はもうやめようって。ちょうど春分を過ぎたあたりの頃だった。春分は宇宙元旦、新しい流れがくる!とかいうスピリチュアル業界の話までを後押しの要素として、その時は「やめたい」という思考ですらもなくてそれは「あぁ今がやめ時だ」っていうただの直感で。


 その直感と7月って良い季節だよなっていうただの感覚と、会社に対する恩義とを複合して決めた「6月まで今のところで」という期間。3月の20日過ぎに決めてから3ヶ月以上。


 長い!正直ちょっと長かった。だってそれで最初の2ヶ月は何も起きないからね。お客さんにいうのは1ヶ月前がおそらく妥当でしょ。3ヶ月後に担当変わりますなんて言ったらさ、遠いよ!いつだよってお客さんも思うぜ。だから3月末には会社に伝えたもののそこから2か月特になにがあるわけでもなくふつーに働くじゃんか。


 なんならやめるって言ってるのに新規も紹介してくれたりするじゃんか。「女性施術者希望の依頼だから!とりあえず行って。訪問実績つくっちゃえば、引継ぎが男性でもケアマネと利用者には押し通せるから。最初から男性しか居ないって言うと他の会社にされちゃうから、とりあえず入って!」などと言われ、「私の後続で引き継いでやってくれるの男性しか居ないのわかってそれやってるなら利用者さんとケアマネに対してそりゃどうなんだい。良くねーんじゃねーか。」と言いたくなるのは営業担当の職域を侵すことになるので言わずに「行きまーす♪」と言って新規のお客さんのところに行っていたりもしながら。


 そこから引継ぎ日程の調整と実際の同行とって動き出したのは結局今月(6月)に入ってから。まあせめてさ、1ヶ月前とは言わずとも2ヶ月前で良かったんじゃねーのと思ったり。


 毎日、ちゃんと目の前の人に最善を尽くす。毎日お客さんの話を全力で聞いて、(会社のマニュアルからちょっと外れた手技を入れつつ)施術をして、家族からの圧強めの要望にもこたえつつ、ケアマネや施設担当者に良い顔をしつつ、社長からの「お前考え直したか?農業は大変だからマッサージの方が良いって」という至極真っ当に思えるアドバイスを流しつつ。


 意識はどこか7月以降の生活にとんでいる。「やめる」ということが自分の中で決定事項になり、会社にそれを伝え、お客さんに伝え、他の施術者への引継ぎの調整をする中で、ただ引継ぎを事務的に(たまにお客さんに寂しいと言われ多少は感情的に)進める中で、どこかで瞬間意識が今やっていることから離れていく感覚があった。


 全力で目の前の仕事をしよう。それがいちばん大事だし、唯一やるべきこと。そう思いながらも意識がもうここにはない。


 「終わり」を決めたあとの仕事は言ってしまえば結果の決まっている消化試合のようなもので。その期間が3ヶ月はいささか長すぎた。その終わりがようやく見えはじめたこの週末。あと1週間。あと5日だけ、仕事に行く。概ね引継ぎは出来ているから来週行くべき件数はかなり少ない。残りの期間を確実にやりきれば良いだけ。長かった消化試合がようやく終わる。


 基本的に楽しかったし、お客さんは(少しはヤバい客もいるから全員とは言えねえから)概ねみんなのことが好きだし、感謝は毎日されるし、職場も良い人がいっぱいいた。


 でももう次に行こう。ばいばーい、高齢者業界よ。未だにマスクだ手指消毒だ面会強要される世界線、面会制限がまかり通っているような環境はもうゴメンだぜ。未来があるのかねえのか未来は働いている人間がつくれるのか厚労省の言いなりかわからねね世界で生きていく気力はもう無いぜ。


ニヤリ


 「やめます」という話をすると必ず聞かれることはその理由。「なんで?」と何度言われたことだろうか。


 色々考えた、嘘ではないように自分の心にしたがってつけた理由も、その時々に相手が分かりやすく納得してくれそうなそれっぽい理由もたくさん考えた。


 「一区切りかな」「シンプルにもう疲れた」「他の業種もやってみたい」「開業を考えていて」「30歳の年でやめると決めていた」「この先に望む未来がない気がした」「転居!」「そろそろ彼氏と一緒になろうと思って!」「実家の近くに住もうかと思って!」「放浪します🏕️」


 まあ適当に色々言った。そのどれもが嘘ではないけれど、本当でもなかった。「飽きた」とだけは言わないように努力して色々な理由を捻り出すことに結構全力注いだ。そして改めて考えても、やめるに至る決定的な妥当な理由は見当たらないなと思った。


 今の生活、仕事、収入に大きな不満があるわけではない。社員としての雇用をされていないからお客さんの家に直行直帰で良いから毎朝とても楽だし、たまに認知症状の強いおばあちゃんが暴れる以外は特にストレスもないし、6月から療養費も上がったし(単純計算で収入20パーくらい増えるぜ、ラッキー)、バイト先もこちらの希望通りにシフトを入れてくれて、働きやすい環境だし、収入的には凄く良いわけではないけれど絶望するほど悪くもない(概ね満足している)。だから正直、今の仕事をやめる必要なんて本来はない。


 けれど。。決定的なやめる理由はないけれど、今の生活•仕事をこれからも続けたいという決定的な理由がないことに気がついてしまった時「あーあーこれが潮時か」とわかってしまった。


 そう今の仕事を続ける理由がもうないのだ。在宅訪問をして直接支援がしたいとか、施術の技術向上をしたいとか、高齢者施設がどういうものなのかみてみたいとか、なんだかいっぱいあった過去の目標や今はもうない。それらを達成しました、やりきりましたとは到底言えないけれど、「目指す先がそこではないのだな」と気づいてしまった。


 「やめる理由があるからやめる」のではなく「続ける理由がないからやめる」のだなと気がついた時、それ以上「やめる理由」を捻り出そうとすることをやめることが出来た。


 「不安はないの?」とも聞かれるけれど。不安は、ない。残念なほどに皆無である。不安不感症になってしまった。


 細かいことをいえばそりゃあるよ。寮はWi-Fiが通っているらしいけど通信速度まともなのかとか、部屋に扇風機しかないらしいぜ。クーラーなしで生きていけるのかとか、あとはー?北海道広すぎて移動が大変らしいとか?あーあーひどいぜ、ぜーんぶどうでも良い。もっとまともな不安が出てくれば良いのにな。


 「仕事が出来るか?」とか?出来るやろ、初心者歓迎って書いてあったやろ。「キツい農家の人がいるんじゃないか」とか?平気やろ、JAから派遣されたバイトに強く当たって問題にされたら損をするのは農家さんの方やで、今時パワハラ、コンプラがうるせーんだからそんなパワハラ農家みたいな環境はないって。


 ただ新しいことを体験しに、住んだことのない場所での生活を体験しに、あとは綺麗な空気を吸いにだけ北海道に行ってみよう。知らんよ、空気が綺麗ってことはそれだけ不便さもあるってことだし。時給は悪くはないけれどすごく良いわけではないし。パーフェクトな環境ではないと思うけれど、それでも行ってみたらどうにかなるだろうから。


 基本的にやる気がそんなにない人間は、目標を高く持つべきではない。だから北海道に行ってやるべきことはひとつ「新しいことを体験する」ことだけで良いと決める。知らんところに住んで、やったことない仕事をするだけで、この低い目標は簡単に達成することが出来る。目標を達成したら北海道生活は成功だからな。つまりもう実質私のこの夏の生活は成功することが決まっているんだ。いえーい、嬉しいぞ。


 ということで、もう夜遅くなったのでおやすみなさい。良い子はとっくに寝ている時間ニコニコ ばいばーい人類。おやすみなさいスター