やる気がゼロでも生きる方法。


 「何のために、仕事をしているのか。」


 とかいう問いがあったりして。その答えは、だいたいみんなが欲する「お金!」とか、子どもがいれば「家族のため」とか、やる気でも出して生きていれば「社会のため」とかまあ色々ある。


 だけど私の答えは「朝起きるため」である。なーんにもすることが無かった永遠に寝ていられる人間である。やる気など皆無。だから人っぽく生きるために毎朝起きたい!そのためにやる事が欲しい!だから仕事などということをする。ということになっている。





 小学生の頃に推奨されていた暇つぶしは「勉強」。大人になってから推奨されている暇つぶしは「仕事」。だから今日も仕事に行く。どの世代にも暇つぶしのネタが与えられているという幸せな社会である。最近は年寄りになっても「デイサービス」という暇つぶしが用意されている。素敵なことである。


 やることがないと、行く場所がないと人って病むからね。やることがあるってマジで幸せな状態である。


 毎日約8時間、規定の暇つぶしをすると、労務管理の人とか銀行のシステムが頑張ってくれて、翌月給与が振込まれる。現代は資本主義ということなのでお金があると便利に暮らすことが出来る。


 働くことの最大のメリットは暇をつぶせること。そして副産物としてお金が振込まれるということ。


 なんだかよく出来た社会システムである。「お金なんていうシステムがあるからロクなことが起こらねえんだ現代は」と思うことをやめて、「うわぁお金があると便利で良いねえ🌱」と思うことにした。


 「お金を稼ぐ」という大義名分が設定されているお陰で暇つぶしが半強制、自動的に出来てラッキーな時代だと今は思う。


 どれだけやる気のない私でも「今日やることがある」ならば朝起きることが出来る。予定とは起きるために入れるものである。


 遅刻だとか、欠勤だとかリカバリーが面倒くさくなりそうなことはしない。だから正直そんなにやる気はないけれど、とりあえず身を職場やお客さんの家に運ぶ。


 面倒くさいことを回避することだけは得意である。クレームが来たりやった仕事がやり直しになるのは面倒なので、基本的に仕事自体はちゃんと仕上げる。やる気がない故にちゃんと最低限のことはしておく。「面倒事回避するためだけにやる気を出す」これが基本的にやる気のないやつの実態である。


 なーんにもやる気がない人間が生きていく唯一の方法、それは「まっとうに仕事をする」ことであった。


 「生活のために働く」という意識は全くない。はじめてバイトをした大学生の頃には「暇がつぶせる上に預金まで増える」という恐ろしく都合の良い趣味を見つけたなと感動した覚えがある。仕事をすることによって得られる最大のメリットは「暇つぶしができる」ことである。


 それからずっと、毎月給与がくるたびに「ふーん、今月もお金が振り込まれた、ラッキー!」と思っている。お金のために働くことがどうしても出来ないというのは悩みにするべきか、アホで幸せだからそれで良しとするべきか。どっちでも良いな。


 毎月適度に働いて、至極テキトーに使う。先月は残ったぞラッキー!今月はだめ!まあいっか、来月に期待!を繰り返して適当に過ごしているが、大きくは困らない。結局そこに必死さはない。


 雇われでなく「自分で仕事を生み出せる」人になれたらきっと豊かになれる。でもそれには必死さが必要だ。


 必死さが欠如しているうちは、雇われで良い。誰かが生み出した仕事を手伝っているくらいが幸せである。


 「朝起きたらやる事がある、行く場所がある。いぇーい口笛これが私の定義する幸せだ。今日も明日も明後日も仕事がある。だから幸せである。


 あーあーこんなに適当に生きているのになーんにも困っていない。人は困らないと努力なんてしない。





 これからも私はもうしばらくこの調子でぼーっと生きていこうと思う。ぼーっと生きていれば、どうにかなる。


 今日もとりあえず生きていて偉いよ、人類。明日もみんなで生きようね。