「どうしようもない」ことはない。


 玄関を入ってすぐに言われる。「私もう歩けない!」(今目の前で杖もつかずで歩いとるやないかい。)という心の声はなかったことにして穏やかなトーンで「そうなんですね。それは辛いですね。」と上手に共感してみる。




 「娘は私のことを嫌いになったんだわ!もう何もしてもらえない!」その後すぐに「一緒に買い物に行った」「化粧品を送って来てくれた」という話をされる。(それだいぶ娘は優しいと思うよ。めっちゃ色々してくれてるぜ。)この心の声も目の前の利用者さんには不要であるのでカットすることとする。


 「もう何も食べられなくなって死ぬんだわ!」(めっちゃ家にお菓子あるやん、だいぶ恵体やし。飽食の時代によぉ、そんな簡単にこの世の中では死なねーぞ。)以下略


 「こんなに身体が悪い人は私以外ににいない!」(みている患者さんの中であなたは元気なトップ3に入ります。)こんなことを言ったら大問題である。


 言いたいことはすべて破棄して、穏やかなトーンで「うん、そうなんですね。」と言う。


ウインク


 高齢者向けに訪問でマッサージや機能訓練をする仕事をしている。


 どこが痛いですか?に「全部!」いつから痛いですか?に「ずっと!」とこたえられると、それもうどうしようもなくね?と思う。


 1回30分程度のマッサージでその何十年分の痛みが一掃される方法があるのならば、こんなに街中に整体やマッサージ屋が林立しているわけはないのだ。


 「この人の痛みを取り去ってあげなければならない」そんな意識で仕事をしていた頃もあったけれど。今はもうそんな意識はない。


 規定時間の中で全力は尽くす。施術も傾聴も共感もそりゃするよ。


 でもそれ以上は出来ないししなくて良い。「それ以上」あれもやって!これもやって!


 お願い!私こんなに辛いの。もっとやって!それなら自費延長?あなた、年金暮らしの人からそんなにお金を取ろうとするなんてひどいわ!お金は払わないけどもう少し!ここも痛い、今度はこっち!


 どうしても要求が過剰になっていく利用者さんがいる。それが終わったと思えば次の家では「こんなに重症な人は私以外にいない!私、もう死ぬ!」と言われたりもする。


 決して大変ではない。ある程度は本気で共感して、どうしても理解出来ない部分は当然自分の心の声は切り捨てた上で共感している演技をとても上手にして、最善を尽くしてやってきたつもりだった。


 でもどこかでストレスが溜まっていたことに気がついた瞬間「もうやめよう」と思ってしまった。なんだかこれ以上今の仕事をしているとお客さんのことが嫌いになりそうだなと思ってしまった。何かが限界を超えていて、今後目の前のお客さんに100%は優しく出来ない瞬間が増えるような気がした。



ニヤリ


 「優しい」「親切」「何でも話を聞いてくれる」「ついでに余計な用事を頼んでも引き受けてくれる」、、、


 2:8の法則なのであろうか。10人患者さんがいたら8人は健全。だけど2人は度を超えた要求をしてくる人があらわれる。


 何よりの問題は、過剰な要求をしてくる人に対してノーと言えない自分である。仕事の範囲を大きく超えた頼みごとを受けまくっていくとどうなるのか、、患者の要求は笑えないくらいにどんどんと肥大化してゆく。私は不健全なモンスター患者を何人もつくりあげてしまっている。


 正直思っていた。今の仕事をするのはあと2ヶ月だけだから。今さら過剰な要求を断るのも面倒だから、受けておこう。引継ぎをして、次の施術者がどう対応するのかは申し訳ないけれど、私の責任の範囲外である。そういうことにしていたのに、、


 決定的にダメな出来事が起きた。私の責任でどうにか出来る範疇を超えてしまった。要求過剰がヒートアップした患者がもはや他社の他人にまで迷惑をかけた。他人の行動に責任をとる必要は断じてないが、今回の件の一端の責任は私にあろうと思った。過剰な要求を受け入れ続けたが故の、患者の行動が、広範囲に迷惑を及ぼした。


 

 だからもう、ちゃんと言う。その患者に「もうこれ以上の要求は聞けない」と伝える。もう規定時間内で決められた行為以外は一切しない。時間外に電話とか、かけてこないでくれ。それで納得出来ないならサービスの継続は出来ない。


 あぁ、とてもめんどうである。ぜったいにごねられる。過剰にファン化してしまった客は、こちらがその要求に応えなくなった瞬間、翻って過剰なアンチになるのである。あぁ面倒だ。


 

えー


 「私ほど辛い人はいないだと?そんなこと言ってるからダメなんだよ!花粉症?毎日パン食ってりゃ腸も荒れらぁ。カップ麺も菓子もやめろぉ!一日中寝てないで歩けるのだから少しは動けと言っただろが!」とは決して言わないように。


 毎週毎週「どんな人よりも私がいちばん大変!」という演説をきかされると正直萎える。客観的にみたらあなたはだいぶ元気な方である。


 そんな患者さんの家に今日も行った。なるべく刺激をしないようにしている。相手の発言を肯定することすらしない。否定しても肯定しても、それをネタにさらに「私可哀想」という世界が展開されていくのが目にみえているから。


 どれだけ感情をフラットにして行ったとしても、この人はそういう人だからと思ってしまう。ありのままで相手のことを見ていない。「あぁまた世界への呪詛を今日も聞かされるんだ!」そう思いながらインターホンを押した先にいるのは、「私可哀想でしょう!」と数分おきに言い続けてくるそんなに可哀想ではないおばあちゃん。これは私の「どうせまたこの人は、、、」という思い込みが作り出した相手の姿とも言える。


 登場人物みなが自作自演である。「私は可哀想」という役割を演じてくる患者さんと、そんな患者を今日もまた「ああ言ってるよ」と思いながらヘラヘラと(よく言えば穏やかな笑顔で)対応する自分。そして同時に冷たい心で「マジで今日もマイナスエネルギーすげぇな、貰わんようにしとこ」と考えている自分。


 だけど言ってしまった。


 「今の時期で私これだよ?冬になったら身体が冷えて冷えて。私どうなるのかしら。」という患者さんの言葉に、私はとても冷たい心で言った。「今から冬のことなんか考えてるから鬱になるの!まだ夏も来てないんだから!」言い方は穏やか且つ明るく、だけど冷め切った心で言った。


 そうしたら案外ウケてしまった。すごく冷えた心で言ったのに、なんでそこで急にツボるの。あなたそんな笑えたっけ?鬱設定どうした?


 「そうよね、これから夏よね!あはははは!」あはははは!


 こわっって思った。ずっと笑っとるやん。さっきまでこの世の終わりみたいなトーンでボソボソ「私はもうダメ」とか言っていたのに、なんで急にそんなに笑う?こわっ、まじで。


 っていうかさ。「深呼吸して」って指示聞いてる?そんなにいつまでも笑ってねーで、黙って深呼吸でもしてくれないと、終われねえのよ。


 笑わすつもりもないのに患者さんが笑った。そこに良いも悪いもない。別に笑ってくれたから嬉しいとも思わない。


 「どうしようもねぇな」と思ってしまう相手がどうしてもいる。施術は当然最善を尽くすけれど、傾聴も頷きも少しも共感出来なくでも上手にやりきるけれど、なるべくからまれないように。無難に終わらそう、とにかく刺激しないように。そう思っていたはずの患者さんが今日はばかみたいに笑った。どんな相手でも「どうしようもない」ことはない。笑わそうと思わなくとも、人はいつかは勝手に笑うものなのだ。


 そして「あなただけは私のこと好きでいてくれるから嬉しいわ。」と言われた。いやマジで悪いけどさ、超苦手なんだわ、あなたのその感じが。好きとは言えねーんだわ。それでもヘラヘラ笑いながら、「えーそりゃそうですよ!◯◯さんのこと好きですよ!」とテンション高めに言える自分の演技力に絶望しながら「ありがとうございました!また来週!」と言って玄関から出てお辞儀をする。お辞儀をきちんとすると年寄りには特にウケが良い。


 ドアを閉めて、車に乗って窓が開いていないのを確認してから叫ぶ。「あぁマジ今日も暗すぎ!可哀想とか自分であんな何回も言うなし!あんなに丁寧に接遇するほどの金はもらってねえ!」


ショボーン


 100パーセントお客さんが好きでやっていたはずの仕事で自分がほんの一部のお客さんに対してだけではあるがイラついていることに気がついてしまった時。今の仕事をやめることを決めた。




 だいたいにして、お客さんなのか患者さんなのか利用者さんなのかが定まらねえ。様をつけた方がいいのか?お客様!患者様!利用者様!


 ブログでお客様!とか書くとなんか違うなあ。患者って言葉は嫌いである。利用者さんと言っとくのがいちばん良いのかね。まあどれでもいいやな。


 普段は書かないようにしている。お客さんの話は。それは色々理由はある。でもなんか今日は書いたね。特定の個人ではなく複数の人のことを混ぜているし、多少は話をブログ向きに改変しているし、名前は当然出さないし、いやーなんならこれ全部創作かもよ。まあこのくらいは書いても問題ないでしょう!知らんけど。


 あーあー今日は文章が長くなっちゃったねえ。まあいっか。じゃあねー、人類。また明日。