やっほー、人類。


 昨日のブログに集中力が欲しいなんて願っても無駄!と書いたところ、



 

 「地球で人間として暮らす方法」を教えてくれるかめちゃんからメッセージが来た。


 「集中力が続く方法があるけど知りたい?」という。


 うーん、知りたい!

 「知りたいです」と返すと、


 「毎日30分走るのです」「100日続けたら地球が快適な場所になります」というメッセージがきた。


 うわぁ出たよー毎日。「毎日」とは私のいちばん嫌いな単語である。100日続けるにいたってはそんなに先のことなんて考えたくはない、私は今を生きているのだと思う。


 だけど「地球が快適な場所になる」だって。これは良いぞ🌏 地球って書いてあれば面白い。地球のためなら何でもしようラブ


 どうしてもやらなきゃいけない仕事を終わらせてから、とりあえず家を出て走りに行ってみることとする。


 「走る」とは極めて意味の分からない行為である。移動なら車ですればいい。もしくは歩けばいい。江戸時代なら走るのも必要だったかもしれないが、これだけ交通機関が発達した時代に正直「走る」なんていう行為は不要ではないのかと思う。


 私の想像できる世界線の中では「走った」あとに訪れる状態はきっと「疲れた」のみである。


 だけど、ここ🌍は意味の分からない惑星。だから意味の分からない行為をしてみよう。



 22:00過ぎに家を出て、とりあえずびっくりするぐらい誰も歩いていない道を走ってみる。スマホを持っているので位置情報が移動する。そう、これは位置情報を移動させる遊びである。


 途中少し歩くがまた走るを繰り返す。隣の駅までいって同じ道をまた戻る。びっくりするくらい意味がわからない。行った道をまた戻るという、恐ろしく意味のわからない行動をする。


 帰ってくるととりあえず身体が温まったなと感じた。体感覚が少々バグっている私の普段のシャワーの設定温度は44℃。走ってきた後にシャワーを浴びたら、44℃だと熱すぎたため42℃とする。「走る」ことの成果その1はガス代の節約であった。


 普段は家に帰ったらやるべきことがあろうがなかろうが、とても眠たくなる。風呂に入ろうが入るまいが、夕飯を食べようが食べまいがが、とにかく眠りたい。どんな状況であろうがとにかくよく眠ることが出来る。


 それなのに、、、


 走ってきて帰ると、眠気がなくなってしまっていた。これは困ったぞと思った。私の特技「いつでもどこでもよく眠る」が失われてしまったではないか。


 良く言えば「リフレッシュ効果」「エネルギーがあがった」ということではあるが、私は布団に入って穏やかに意識を落とす瞬間が好きなのである。


 「走る」こと自体はきっと良いことであろうと思うので続けたい。でも眠れなくなるのは困るぞ。ということで、明日から走るのは仕事が終わった後なるべく早めの時間にしようと決める。早い時間の方が良い!とはいえ朝から走りたかぁないもんな。仕事終わりすぐがきっと最良である。


 翌朝、YouTubeで今度はかめちゃんが「なわとびもすると良い!」と言っているのを発見する。


 これは素直に面白そうである。

 「なわとびをしたら何が変わるのか」なんていうことはどうでも良い。飛び跳ねると人は幸せになれるのだ。


 昼休みに100均に行ってなわとびを入手する。走ることは何が面白いかわからないので正直好きではないが、跳ねるのは好きである。「走る」単体だと3日以内に飽きることが確定しているため毎日の習慣に

「なわとびをして跳ねる」を追加することとする。


 「跳ねる」ついでに「走る」。楽しいことをするついでに、そんなに好きでないこともしてみる。これならなんとか毎日出来るのではないだろうか。良い感じ💡


 ということで、今日は18:00に仕事が終わったので、そのまま近場の公園に移動。松伏町みどりの丘公園。



 ここね、日暮れの時間になると全然誰もいねぇの。スケボーをしている若者1人と犬を散歩している夫婦とだけはすれ違ったけれど、見かけた人類はそれだけ。


 しかも必要以上に広いの。必要以上とか言っちゃだめだよ。ムダに土地がありあまってるなーなんて思っちゃだめだよねえ。せっかく税金で公園がつくられて維持されているわけだからさ。公園には心から感謝しておこう。広い場所って良いよね。季節も暑くもなく寒くもなくで丁度良い。



 走る(位置情報が移動してるだけ、やる意味はよく分からねぇ)、跳ぶ(これもやる意味などわかっていないけれど、とりあえず面白いからこれは好き照れ)の2つのやるべきことを手に入れた。



 なわとびというものは素晴らしい。100円というお手頃で買えるとても楽しいおもちゃを入手して、実際に飛び跳ねまくって今日は満足である。


 走るのは好きではないが、せっかくなので続けてみようと思う。



花火


 「自分の生活の延長戦上になさそうなこと」「自分の思考の外にあること」をすると人生が拓けていく気がして。


 「走る」ことを習慣にしている人がいることは当然知っていたし、運動習慣があった方がいいという通説はきっと正しい。だけれどもそれは昨日までの私にとって「ふーん」と思う1つの事象に過ぎなかった。わざわざ用事もないのに「走ろう」なんていう発想はどうしたって自分の思考の中からは出てこない。


 散歩がてらで毎日歩いてみよう、ヨガをしよう、筋トレをしよう、くらいまでは私の世界に現れる可能性のある事柄だけども、絶対に「毎日30分走ろう」とはならない。だって意味がわからないじゃん、走るっていう行為の何が面白いのかマジで謎だよ。面白くないことは基本的にしたくないじゃんか。


 でも、だからこそ人に言われてはじめて「それならやろうかな」と思ってみたのだ。絶対に自分からはしないことこそ、本当はやる価値があるのかなと思ったから。自分の思考の外にあることをしてみると良いのではないかと思ったからこそ「走る」ことをしてみようと決めた。


 YouTubeや友人のブログを読んで「この人走っているんだ。ふーん、マジご苦労。」と思っていた世界線から、急に「走る」という概念が自分の世界に現れた。


 直接「走ったら集中力が上がるよ」というメッセージをもらった時、そしてそれを自分が受けとった時、「走る」ことが自分ごととなった。


スター

 

 ほら、そういえば昨日の走る前まではさ、地球めんどくさすぎと思う割合が高かったけれど。昨日今日と少しだけだけど走ってみた結果。走る前と比べると、少しだけ生きる気力が湧いてきた気がするんだな。これが走ることで得られた効果の2つ目だ。


 地球ではねー、結構頑張らないと、すぐに気力が尽きてしまう。それがもしもだよ、「1日30分走る」ことでその気力が補えるのだとしたら。それってかなり効率の良い方法なのかもなと思ったり。



 じゃあねー、人類。地球ではね、毎日30分走ると良いことあるらしいよ。


 今日は早めの時間に走ったからよく眠れそうだわ。めでたしめでたし。今日も明日も地球が平和でありますように🙏