やる気の再創造。


 ぐったりしていた。最近眠たくて。人間界でのやる気がどうも出なくて。


 正直毎日楽しい。地球🌏に居るごっこはこれからも続けようと決めている。


 だけど同時に、自分がやるべきことは、やりたいことはと考える。今の昼間の仕事をあと5年後にはきっとやっていないから。生活の糧としてもだし、本来の魂レベルでのやりたいこととしても、まっとうに暮らしていけるだけの収入をどうやってこれから得ていこうかと。


 もう一昨日だ。日曜日、シータヒーリングの復習会に行った。それはとても楽しくて、少しだけ、地球で生きるためのやる気を取り戻した。宇宙でふわふわするのはもう少し先だ。肉体から離れることが出来るのはもう少し先だ。めいっぱいのやる気を出すと、またすぐにスイッチが切れるから。やる気とは温存しておくべきものである。


 前世とか現世とか来世とか。そんなものがあるとしたら、、今世でやり残したことがあったらば来世の自分が苦労することになったらそれはとても申し訳ないことだから。今世地球で出来ることをやり切ってから空に帰ろう。


 私はきっとこの先も何度でもやる気を失う。やる気を失わないようにする対策などは意味がない。何度でもやる気を失う自分を認めて、やる気を失ったら、また取り戻せば良いだけだと考えてみる。何度でもやる気は再創造することが出来る。もう1度ではなく何度でも。


 めっちゃいっぱいある。やるべきこと、やりたいこと、連絡したい人、連絡しないといけないもの、、その全てが面倒になって、ぶった切りたくなる瞬間も相当あって。学べば学ぶほど、「いまここに在る」だとか「過去の延長線上で他者をみない」とかとはきくのだけれども。


 現実は「いまここ」よりも「過去」を評価され「未来」をつくれといわれたりするもので。


 正直全てが面倒だと感じる瞬間が何度でもやってくる。人生への虚無感が晴れきることはないのだと思う。どれだけ「この世界は素晴らしい」と思っても、毎日を楽しく過ごしていても、それでも心のいちばん奥にある空虚さを拭い去ることが出来ないから。その虚無感を消してしまうことが出来たとき、私はもうこの世界にいない。闇がなければ光を見つけることは出来ないから。


 たまーにやる気を出してみて、陽のエネルギーで動いてみて。そしてある日スイッチが切れる。ずっとそのままだと仕方がないので、またやる気を再創造してみる。私はきっとそれを繰り返して生きていく。穏やかであるために、緩徐に生きる。


 じゃあねー人類。また明日🌖