立春。​


 こんばんは。どうやらこの世界では、昨日(2/3)は節分。今日(2/4)は立春といいます。スピリチュアル業界が忙しい時期ですね。最近そういう検索をしていなかったのに、さっきYouTubeで「立春」と検索してしまったので、「今の決断が豊かさを決める」だとか「ここで完全に分岐する!」だとかいう煽りタイトルのものが今からきっとおすすめされるのでしょう。好きですよ、立春とか節分だとか「世界がリセットされる」とか「ここからが新年」だとか。時節だけでこんなに楽しめる世界観は幸せだと思います。


 毎年毎月言っています。スピリチュアル動画は「ここが分岐だ」と。2極化でも3極化でもしたら良いと思います。さっき再生してみた動画で言っていました。今から「超豊かになる人」と「まあまあ豊かになる人」と「豊かさを得られない人」とに分かれますと。そりゃそうだ。今からじゃなく太古の昔から常にそうだろう。全員に当てはまることをさも重大なことであるようにいうことが悪いわけではない。多くの人が個人チャンネルやアカウントを持ち、情報発信をする中できっと大切なのはその内容ではなく「誰がいうか」「どんな風に伝えるか」そしてそれを「継続すること」である。


 春分から今年が始まる!という動画をみて思うことは、いやー去年の段階では12月から2024年が既に始まっているとか言ってたじゃねーか。また今年がはじまるのかよという胡散臭さ。そして同時に「動画なんていう手のかかるものをつくり続けていて偉いな」という尊敬の念。


 あぁ私に足りないのは継続力である。秒で飽きる習性を「色々なことに興味がある」とかいうポジティブ化をせずに、粘り強さに変えるには、、、


 そりゃ本気で生きるしかないのであろう。いやあ、、ボーっとしていてもさ。仕事も正直あるし、会社は新規のお客さんも紹介してくれるし、それでそこそこ暮らせるし、不満はねえやと思ってしまう。


 文字を打つという簡単なことですら、すぐぬ飽きてしまう。その理由は本気さがどこか欠けているからで。いやー別に良いとは思う。


 変わらなきゃ!ももう思い飽きたし、成長しなきゃ!も恐らくは幻想で。だけど思うのは、会社から仕事をもらっている限りは、本当の意味では自由にはなれないよということ。


 自由という言葉に憧れはするけれども。周りには結構何人もいるのだ。整体や鍼灸院の経営をしていたけれど、それをやめて普通に今は社員として会社に雇われることを選んでいる人たちが。「一周まわって雇われている方が最高」と言っていた。雇われて働くことしか出来ないとすればそれは不自由でもあるけれど、社員も自営もやって、その上で雇われているの最高!だったらそれは豊かだなと思う。


 「自由」にみえる自営業や経営者の苦労や努力がどれほどのものであるのか。色々な人の話をきいてそれが最近は少しわかる。


 これを書いていて思った。私に足りないのは継続力であるよりも前に「決め切ること」


 集客したいなー。という軽さではなく、「稼ぐ」ことを決めること。どうせ今月もどーにかクレカ払えるしなあ、、、どうにかなる未来が見えてしまった瞬間に私はやる気を失くす。追い詰められないと人は結局動けないものである。だから頑張ってお金を使う。支払いをつくるために。そうすると、もっと働こうという意欲が出てくる。


 タイトル回収だけしておこう。立春!だからどーしようと思ったんだ。何かした方が良いのかなとか。今日の朝Zoomでやっていた瞑想会!みたいなのに参加して、あぁやっぱ瞑想って良いなあと思って、ふーんだからそれでこれからどうしたら良いのだろうと考える。


 立春だからね。去年の12月から2024年がはじまっている設定で生きていたから「やべえよ。もう2ヶ月も過ぎちゃったけど特に何もしてねえよ照れ」と思っていた。


 もしくは1/1の新年あけおめ⛩から今年がはじまったと仮定するとしても「やべえよ、1月もいつも通りふつーにやり過ごしたぜ!」と思う。


 でもみたびのチャンスが来た。それが「立春が1年のはじまり」説である。


 大事なことは1年がいつはじまるかではなく「自分がいかに行動をするか」ではあるのだけれど。それでもなんだっけ、名前。新しい年とか月とか週のはじめとか、あるいは新しいノートを買った時でも良いや。「新しく始まる!」となると根拠は無いけれどもやる気が出る現象のこと。ああほら何でも調べたら出てくるのね。フレッシュスタート効果だってさ。それよ。フレッシュスタート効果のひとつとして立春も使ったら幸せじゃねってこと。


 あとは12月も1月も「何も」してねえはきっと認知の歪みなので。やったことでも書き出して自分を労うと良いよねって。なに、書き出すだとぉ、、めんどくせえことは嫌いだと言っているだろう。やめろお、めんどくさいとか言うな!頑張れえてへぺろ


 午後から何も予定がなかった日曜日。ゴロゴロした。旅行系のYouTubeをみて温泉に行った気になった。疲れていないと運動をしてリフレッシュしようという気も起きなければ、温浴施設に行こうという気にすらならない。忙しくて体力的に辛い時の方が正直動けるから充実している気がするものだ。疲れていたら時間がないように思えても、なんとか時間を捻出して温泉や岩盤浴に行ったりもしていた。疲れていないと、回復させる意味がないので、風呂につかりたいとすら思えない。これは恐ろしい事態である。


 買い物に行かずとも冷蔵庫にあるものでご飯をつくったらお腹がいっぱいになった。寒波が来ているという噂はきいたが、ヒーターをつければ部屋は暖かい。


 ふーん、幸せ。頑張れえ!えー無理。今私の世界はひどく平和で幸せ。






フォロワーが増えた理由。


 純粋に読んでくれる人がいる。


 それ以外の理由を知りました。きっかけはブログに送られてきたメッセージ。「素敵なブログです!」とおだてられ、何かと思えば「アクセス数を増やすサービスがありますがいかがですか」という営業。調べてみると「自動フォローツール」のようなものがあり、勝手に機械が頭の良いAIが他人のブログにいいねをつけたりフォローしたりしにいくようです。そして私のブログをまだ読んだことのない人の目に触れさせることで認知度を上げますよと。


 そういえば、何度も同じ人からのフォローをくらっていた記憶があります。最初は思います、「ありがとう」と。でも次に通知が来た時に「なんか見たことあるなあこのアカウント、、」まあ2回くらいならね。一回外したけどまた読んでくれたのかなと思います。けどまた来るんだよね。だいたい「幸せ起業サポーター!」みたいなアカウントからね。5回も6回も同じアカウントからフォローをもらうとそのうち「うるせえなあ」と思います。こいつ何のつもりだ?何度もフォローしてその度に通知を見させて単純接触回数を増やして自分のことを認知させようとしているのか?調べたらそうですらなさそうです。相手だと思っていた対象は「人」ですらありませんでした。相手はただの自動ツールです。


 アメブロでは「フォロー申請」をもらって「承認」したらその人がフォロワーになるよというシステムか、誰からのフォローも受付ますという仕組みがあるようで。うぜぇフォロワー拒否をしたいとはいえ承認制はなぁ、、面倒ですね。面倒なことは嫌いです。ということで、「あなたのブログ100万PV達成させます」という営業のメッセージから読み解き、自動集客ツールの仕組みを調べました。ちなみにアメブロの公式はそういったツールの利用はやめろぉと言っています。


 ツールを使うと自動でAIが他人のブログにいいねをつけたりフォローをしにいったりするそうです。怖いですね、自分が読んだわけでもない記事にいいねをつけてまわる優秀な部下なんて私は欲しくないです。あぁ要らねえ、、そう思って、その先も調べると、なるほど、すると同時にツールを使っている人からのフォローやいいねが自動で届きます。これで数字上はアクセス数が増えるという仕組みです。アメブロでは「ランキング」が大事だそうでこの記事何位!とか◯◯のジャンル何位!とかが表示されます。単純にアクセス数が増えるとこのランキングが上がるのでそうするとブログ信頼度が上がるよということらしいです。


 幸せ起業コーチみたいなやつからフォローされるじゃない。相互フォローでもしておこうとして自分もフォローをするじゃない。でも「フォロー上限」とかいうのがあるらしい。一定のフォロー数を超えたらもうフォロー出来ないよ!ということは新たに別の人をフォローするためには既存のフォローを減らさないといけないわけだ。そして新しい対象にリーチする。それを性懲りも無く繰り返してくれるのが賢い自動ツール。増やして減らしての永遠のサイクル。こいつ何度もフォローしてきてどういうつもりだ!と一瞬思ったけれど、そこには憤るべき相手すらもいなかった。ただの自動ツールの仕組みの中に組み込まれただけだった。結局そうしたら何が悪かったかって。それはもう「私が幸せ起業コーチをフォローしたこと」よね。


 こいつ何なんだよ、と相手にベクトルを向けているうちは問題は解決しない。相手の行動変えることは出来ないからだ。そもそも今回ここに人の手はもうかかっていない。相手はただの自動ツールだ。同時にそんな自動ツールがあるのはおかしい!だとかそんなシステムが使われているのにアカウントを停止させない運営は何をしている!などと環境に対して怒ることも無意味である。やるべきことは私が自動ツール使用者のフォローを外すことである。基本的には相互フォローを目指してくるので、私がヤツをフォローしなければ、ヤツからフォローされることはない。そして解決。


 

 幸せ起業コーチも良いのだけどさ。いちばん目にしてウザかったから書いちゃったてへぺろ笑 人を幸せにする前に不快にしない方法で集客して欲しいわな。でも幸せ起業コーチっていうフレーズはまんまと覚えたもんね。身体に悪い商品を売っている割にテレビで広告を流しまくるからみんなに認知されて莫大な収益を上げている大企業みたいなもの。結局快だろうと不快だろうと単純に接触回数を増やして「相手に自分の存在を認知させる」ってこの経済社会においてはいちばん効果的なアプローチ方法だってことだよね。


 最近何だかフォロワーが不自然に増えたり減ったりするなあと感じていた要因はここにありました。おそらくフォロワー150人をこえたあたりから、尚且つ自分がブログで告知や集客をしはじめたあたりから、自動集客ツールでフォロワーが増えたりいいねがつけられる対象になったようでした。幻想って幸せでした。純粋にフォロワーが増えて喜んでいた頃にはもう戻れません。「仕組み」を理解してしばらく萎えていました。


 自動で相互フォローをし合ってフォロワー数を多いようにみせかける。星新一の本で読んだオウムの話を思い出しました。セールスマンが客の家を訪ねます。彼の肩にはオウムが乗っていて彼はそのオウムに言うのです。「買え。」すると肩に乗ったオウムが丁寧な口調で話しだします。「お忙しいところ恐れ入ります、本日は我が社の新商品をご紹介に参りました、、」その喋りかけている相手の肩にもオウムが乗っていて、営業マンの肩に乗ったオウムから丁寧な挨拶を聞いた相手のオウムは丁寧な返事をしてから主人に言います。「営業にきたようですよ。」主人は言います。「で、何?」するとオウムが今度は営業マンのオウムに向かって喋り出します。「それはそれは、わざわざお越しくださってありがとうございます。是非ともお聞かせ頂けますか、、」


 オウムとオウムは丁寧な会話を重ね、それをその都度要約して人間に伝えます。人間のほうはボソッと面倒くさそうに呟きます。「買え。」「何の用事だ。」「いいから買え、上司がうるせえんだ。」「要らねえよ。」、、そんな呟きをオウムが丁寧に脚色して相手のオウム伝える。「自分が直接伝えなくとも肩の上のオウムがコミュニケーションをとってくれる文化」が広まった近未来の世界とが描かれてるというお話。


 すみません今調べたらオウムではなくインコでした。ちなみに絵文字ではオウムでも🦜が出てきてインコでも🦜が出てきます笑 どっちもお喋りする鳥ですね。このミスは誤差の範囲で許容しておくとしましょう。


 今の時代ならば、人間と会話の出来る便利なAIだなとイメージが簡単につきますがこれは1961年に発表された話だそうです。すげぇなあ。60年以上も前にこの発想をした星新一さんはすげぇなと思います。お話のタイトルは『肩の上の秘書』。実質これは今でいうとスマホということになる。何でも瞬時に教えてくれて、コミュニケーションの手段となる便利な秘書だ。


 ツールが発達したことで人と人との繋がりがより豊かになれば良い。離れた場所にいる家族や友達といつでも連絡が取れるようになったどころか、会ったことのない人とのコミュニケーションも今や取るのが当たり前。最近フェイスブックというものを使いはじめましたが、あれも訳の分からない日本語片言の人から友達申請やDMがきて鬱陶しいなと思ったり。


 勝手に自分以外の存在が何でもやってくれるという仕組みは確かに便利で。AIにおすすめされるがままにクリックをしてしまうことも増えてきて。そこに今はまだ虚しさや多少の違和感を感じている。


 アメブロのアクセス数を上げるツール関しても、確かに良い面もあるのではあろうが、機械が勝手にどうにかしてくれるというところに気持ち悪さを感じてしまった。そこで得た数字って結局何のため?という疑問を生じてしまった。

 

 最近の流行は「どんな出来事にもプラスなる学びとマイナスになる側面が同量ある」というメソッドだ。


 きっと自動集客ツールやアクセス数を伸ばしてくれるサービスにも良い面がある。お金を払ってでも数字が増えたら単純に嬉しいとは思うし、そもそもそんな自動集客ツールの営業のDMがくる程度に自分のブログがなったということも嬉しくはある。うん、まあ勿論あのDMも自動ツールで送っていることくらいは分かるのだけれどね。最近チラホラ「電子書籍を出版しませんか!」みたいなメッセージがきたりするのも、どうせそれがただの営業とわかっていても、そんな営業がくる程度には自分がなったのかなと嬉しく、、あれもただの数打ちゃ当たる作戦やろうなあ。うん、嬉しくならないようにしよう。


ニヤリ


 世の中には色々な営業があるもので。先日訪問でお客さんの自宅に行っていた時のこと。インターホンが鳴ったので、私は部屋の中で待っていたのだけれど、玄関から「今ね、たまたま通りがかったんだけどね、昨日も今日も風が強いでしょう。家の瓦が飛びそうになっている箇所があるからね、修理した方が良いですよ。見積もり出しましょうか。」というフレーズが聞こえてきた。「まじか」と思う。そんな、テレビで注意喚起を聞いた通りそのまま「屋根の修理しますよ」なんていう別に詐欺ではないのかも知れないけどさ、通りがかったら瓦が飛ぶそうだから修理してくれる業者がその辺を歩いているのだなと感心してしまう。ちなみににこの営業は先週も同じ曜日の同じ時間にピンピンを押して同じことを言ってきている。これも定期的にまわってきて単純接触回数増やせばどこかのタイミングで契約が取れるであろうという見込みなのであろうか。




 今日はヒッキーだったけど、一昨日くらいの写真があったからこれをのせて良しとしておこう。


 みんなも立春にかこつけて、目標でも立てて、だらけながら頑張ろうぜ。


 気を抜いて生きていく。それでも大丈夫な時代に生まれたからさ。


 おやすみなさいオーナメント歩く