​シータヒーリングが好き。


 シータヒーリングに出会ったのは2022年5月のこと。品川で開催されたかめちゃんのお話会。どんな流れだったかは憶えていないけれども、80人くらいが入っている会場でシータヒーリングの誘導瞑想を聞いた。原理は分からないけれど、すごい世界があることを知った。それまでYouTubeで「瞑想 誘導」などと検索して聞いていたものとは何かが違った。


 目を閉じて、地球の中心にエネルギーをおろして、そこからなんだか宇宙を超えて遠くの世界にいった。宇宙の先に何があるのだろうと思った。白い白熱する光。何もない世界。よく分からない。分からないけれど、それは疑いようもなく心地良いものであった。「ありがとう、出来ました、出来ました、出来ました。」と言っていた。何が出来たんだろうと思った。「この世界のすべての人に無条件の愛が送られるよう命じられました。」というフレーズをきいて、そんな優しい世界があるのかと思った。


 思考レベルの理解では及ばない、何の判断も価値基準もない真実の世界。愛で満たされた世界。その一端を体感したのが2022年5月のこと。


 〈当時はまだコロナの隆盛期。世の中が不安で満たされていた。鬱屈していた。〉ように感じていた。自分が外側の世界から受ける影響があまりにも大きかった。


 目の前の世界が自分の内面の写し鏡でしかないということが今ならばわかる。コロナによって世の中が疲弊しているように感じていたのはダミーだ。実際に疲弊していたのは自分の方であった。あまりにも不安が強かった。この世界に絶望していた。


 その後、気がついたらシータヒーリングの講座を申し込んでいて。1回目に受けたのが2022年8月のお盆のこと。


 人を恐れて生きていた。人と関わることはとても危険だと思っていた。この世界には希望がなかった。講座を受けた時点で「ヒーリンが出来るようになった」実感は正直そんなにはなかったが、それよりももっと価値のある体験をした。人に対して抱いていた恐れが解かれた時、そしてそれが過去世から引き継いだものだったと知った時、「地球(この世界)は楽しい」と聞いた時、そして「もう大丈夫だよ」と言われた時の安堵感。


 その後2022年12月に応用講座を受けた。この時は解放されすぎていて、ふざけきっていた記憶が強い。宇宙に恋をしていた。あとは結局、男性経験のトラウマが多すぎるからこれはシータでは取りきれないからセラピーの領域だよと言われた。


 それから基礎と応用の再受講もして。ディグディーパーとかその先も受けた。急に話はしょり出したな。どういうことだ。いやーもうホテル着いてさ、そろそろ温泉に入りにいきたいんだ。そういうことか、それなら仕方がないぞ。だってさ、今日のシータの話を書こうと思ったのにさ、随分前の話から書き始めたもんだからさ、まだまだ長いぜ。


 一旦風呂入ってきまーす。ばいばい立ち上がる


 良いけどさ、あとで続き書いてよ、私。




 

 さて風呂に入ってきたぞ。眠くなっちゃった。もうちょっと頑張れよ。いやーもう充分頑張っている。そうだ、嬉しいんだ生きる喜び、愛と勇気だけが友達さ。


⚓️

 

 シータヒーリングとは。

 色々出来るけど、集約すると「瞑想のテクニック」ということになる。


 また前の話に戻るけど、初シータの講座を受けた数日後(2022年8月半ば)に発熱をした。会社から数時間おきにかかってくる電話は「陰性?陽性?」うるせえとは言えない。その時の上司は取引先(高齢者施設)からの「早く検査結果を教えろ」という電話に困り果てていた。その時自宅には自分で出来る検査キットを持っていなかった。「病院には行かない主義です!」と主張する。主義というよりはアホなので保険証を持っていなかったのである。陰性だろうが陽性だろうがどうせ熱が下がるまで寝ているしかない。無駄な出費は不要である。


 その後検査キットを入手して無事「陽性」を獲得し夏休み延長が決まる。正直ホッとした。シータの講座を受けて、今まで知らなかった素晴らしい世界を体験してしまったことで、対比して普段の仕事環境への違和感が強まってしまった。


 熱が出てそれ以外にも色々と症状があって、横になっていると呼吸が苦しかったので座っているしかなかった。数日もたつと暇つぶしに見ていたYouTubeにも飽きてしまった。相変わらず横にはなれない。ずっと座っていると休まっているのか疲れているのかも分からなくなる。スマホで積極的に情報を得ようとしない限り、世の中がどうなっているのかも分からない。水を飲み込むにも喉が痛いし味もおかしいから水すらもいらない。そこまできた時、ようやく思考が止んだ。


 ただ目を閉じて一日中座っていた。身体感覚がなくなり、不安も恐れもない、その代わりに楽しみや喜びもない、そこにあったのは無の世界だった。世界は真っ白で、闇がないということは光すらもない。創造主とつながるために誘導する時のフレーズとして「白い光に包まれて」という言い方をするしそれはイメージとしては合っているのだけれど、本気で飛んだらそこには光すらもなかったけど、優しくて柔らかな、明るい世界があったと感じる体験をした。


 10日以上家に居るしかないほどの生活をするということを通して、ようやく真の瞑想状態に入るという体験をした。


 発熱すらも何かの導きなのか、それとも職場から「電車に乗るな」「東京に行くな」「外食も控えろ」令が出ていたのに無視して東京やその他観光に行って遊びまくったのが原因か。どちらでも良いのだけど、それはシータを受けたことで、その後人生が変わりはじめたと感じた出来事だった。


 つまりは何が言いたいかっていうと。普段の生活をしていたら、どうしても判断をしたり思考をしたり、利益を考えたり、成果を出さなくてはいけなかったりしてしまう。そういう生活の中で失った「直感を信じること」「目には見えない存在を信じること」「自分自身の価値を認めること」が出来るのがシータヒーリングと出会った本当の価値だ。



 そろそろ今日習ったことを書こうとしたのだけれどね。なんということでしょう。テキストは会場に置いてきてしまいました歩く 大丈夫、大切なことはすべて憶えているからね。


 「創造主につながる」ことが常に自然と出来ているといいよって。インターネットの例を出してくれたのがとても分かりやすかった。初期のインターネット回線は今から考えたら信じられないほど遅くて。わざわざダイヤル回線を使って時間をかけて接続していた。それが今やページを開けば一瞬で繋がることが当たり前で、常に電波を受診し続けているのが今の常識だ。通信できる量も格段に上がった。スピリチュアルな世界もそうなるよって。


 創造主とつながる方法を習った時。最初はつながるまでに時間がかかる。多くの手順踏まなければならない。つながれてはいるけれどイメージが鮮明ではない。


 それがいつの間にか自然に繋がることが出来るようになっている。他のことをしている時でも、そのベースに「創造主とつながっている」という観点があるか無いかで自分の創り出す世界が大きく変わる。奇跡を簡単に起こすことが出来る力を取り戻す。

 

 明日の朝ね、ちょっとやることが多いからね、そろそろ寝るよ。お休みなさい。


 明日はね、観覧車に乗りたい🎡

 高いところから地上を眺めて遊ぶんだ。

 高いところから地上を眺めると神になった気になれるもんね🗽


 私は神になりたい。