​ちゃんと座る。


 苦手なものがある。椅子だ。地べたに寝そべって生きていたいといつも思っている。





雪だるま


 一人暮らしをはじめたとき、畳が落ち着くので和室のある部屋を借りた。実家に住んでいた頃のベッドで寝るという行為がほんとうに好きではなかった。床に布団を敷いて眠りたかった。一人暮らしをすることでその夢が叶ってとても満足した。


 一人暮らしというのは素晴らしい。もうひとつやりたかったことをしようと、実家では禁止だったコタツを設置した。ひとしきりコタツで快適ごっこをして満足したところで、コタツであたたまりまくっていると身体の体温調節機能がぶっ壊れそうだということに気づき、コタツは廃止することとした。電源を抜いて布団をはがし、ただのデーブルとして使うこととした。その後はコタツのテーブルが大きくて邪魔になったので小さいテーブルにしたところ部屋が広くなった。


 コタツのテーブルを撤去してからだいぶ部屋が広く使えるようになり、快適といって満足していた。畳に座布団を敷いて座って、小さいテーブルでごはんを食べていれば良いなと思っていた。


 私が状況に飽きるのが早いからなのであろうか。それとも空間が出来ると人はモノを新たに増やしたくなるからか。それともいちばん考えられるマトモな理由はZoomをする時間が長くなったからであろうか。床に張り付いているのが好きだったはずが、「椅子と机が欲しいな」と思いついてしまった。


 椅子といえば実家から盗んできた丸椅子しかなかったところから。



 文明開花。机と椅子を買ってきた。




 床から立ち上がって進化した気分。



 ようやく人間になった気がする。


 床に座っているよりは椅子に座っている方が意識を保っていられる気がするのね。いつも家に帰るとすぐに寝てしまうから。


ニコニコ


 何年も前、以前の一人暮らしの時はほんとうにもっとひどくて。よく生きていたなと思い出す。洗濯も料理も風呂に入ることすらもままならなかった。終電で帰り家に着いたらそのまま倒れる。4〜5時間後、始発に乗ってまた出かける生活を好んでやっていた。家に帰ることはゴールではなく、起きて翌朝乗りたい電車に乗ることを1日のゴールにしていたように思う。その頃の家とは「着替えがおいてある場所」「夜勤の無い日に寝るだけのために帰れる場所」「毎晩帰りついたら奇跡」という場所だった。そのために家賃7万円近くを払っていた。良い思い出である。



餅


 あの頃に比べたら家に居ることが出来るようになり、今の生活はとても快適だ。「家を片付ける時間がある」「買い物にいく余裕がある」なんてまさに奇跡である。




 

 ツッコミどころといえば、納豆と漬物の期限が切れていた(けど特に問題もないから食べる)くらいのもので、ごはんをお椀によそる時間があるとかいう時点でだいぶ文明的だと思う。この数年で私の生活はとても良いものに改善されたようだ。


 あとは弟に「お前の家の扇風機なんで朽ち果ててるの?」と言われた扇風機が写真に写り込んでいるけれどこれはこれで合っている。この上に干した洗濯物も乾かすために買って使っているものだから、この扇風機はこれで最善の役割を果たしているのだ。


🥔


 今は懐かしい思い出話。

 

 死にそうに生きていた時には「家でごはんをつくって食べる」などという高度な生活技はもっていなかった。コンビニで買ったじゃがりこにお湯を注いでマヨネーズを加えてつくった「ポテトサラダ!」を主食にして生きていた。あれはとても合理的なごはんであったと思う。ジャガイモも主食であり、おかずであり、塩分もとれる。お湯を入れたばかりの出来立ては温かいから美味しい。あーよく生きていた。


 歩くハートのバルーン


 過去と比べて今の生活がなんて楽だろうと感動したので今日はオッケー。終わりにしよう。


 おやすみなさい。