​絶望って言葉が強い。


 めっちゃ地球破滅させたそうなサムネが出来たよ。良い時代だよ。フリー素材で地球って検索したらいっぱい画像が出てきた。ちゃんとcanvaの使い方習っておいて正解。まあこれサムネって呼ぶのか謎だけど。ブログの最初の画像合成する遊びにハマったところ。風景写真入れるより、変な合成画像入れた方が物語感出るんだよね。あーそうだ変なってのも方言らしいんだよね。小学校の頃とか学校でも家でも使っても何も言われなかったのに(提出物のこと「あの変な紙」とか名前が出てこない時に「あの変な人」とか)、変わったとか奇妙とかいうディスりたいニュアンス全然ないのにさ、ただ「なんか」って意味合いなだけなんだけどねえ、大人になってからいつだか使ったらすげー怒られたんだよな。なんか名前の出てこなかった書類のこと「あの変な紙あったじゃないですか!」とか言ったら「変なってなんだ!」ってすげえ絡まれた。相手のメンタルブロックだね。変なってつけたら否定された気持ちなったんだろうね。何の記憶だよ。そして今文章書いてて思ったわ。「なんか」「あの」「んーとね」が口癖だ。まあいっか。特に困ってないから直す必要もないもんね。


 地球ってさ、破滅させてみたくなるよね。ね!破滅せたいよね!!ねー!!!純真な破壊衝動で。何?純真な破壊衝動って笑 一応今のところ住んでるんだから破壊するなや。地球を大切にね。地球ってさ、だいたいただの投影先だからね。地球に怒ってる時はだいたい自分に何か解放すべきブロックがあるんだよね。




 人は絶望したがる生き物なのだと思う。「めっちゃ毎日希望だらけ✨」よりも「私は何に絶望しているのだろうか」って視点で日々過ごした方が、書きたいことはたくさん出てくる。何事も結局目の前の出来事に投影しているだけだから。


◎クライアント力を高めよ。


 水曜日のコーチングの講座できいたこと。クライアント力について。「なんでも話したい事を自由に話してください。」って言われた時に、話したいことが10個でも20個でも出てくると良いねって。コーチングがいまいちビジネスとして成立していないのはね、そんなにみんな話すことがないから(ちょっと解釈が雑すぎる?大丈夫かな。)つまり、情熱を持って取り組んでいることがあるかってこと。


 コーチングのイメージってどんなもの?知らないよね、きかないよね、普段「コーチング」って言葉自体。かめちゃんのYouTubeみてたから何となく知っている気がするようなもので(ちゃんと顧客教育されてきました、いい意味で)、ふつーに仕事しているだけだったらまずそもそもコーチングに出会わなかったなと思う。


 似たような概念で(概念なのか?)カウンセリングってあるじゃん。カウンセリングっていうとなんか病んでるイメージ。精神科行って、ここは人生相談の場じゃない!って言われて流れ着くところがカウンセリングのイメージ。(ちょっと認知歪みすぎじゃね?)で話聞いてくれるは良いけど、いかにも秘密は守りますよっ顔してさ、守秘義務とかいうくせにさ、どーせ漏らされるやつ。ああ過去と繋がった。学校のカウンセリングルームみたいなところで話したことが翌日には「情報共有」と称して学年の先生に知れ渡ってたこと。もう一生誰にも相談なんてしねえと誓ったあの日の記憶。今ならわかるよ、あのカウンセラーは学校側の人間だ。違う、問題を解決しようとして他の先生に話通してくれただけだ。やー別に恨んではないよ。(ちょっと根にもってるかw)


 あともう1つ。コンサルティングってあるのね。コンサルは問題解決型のアプローチなんだそう。どうすれば良い?原因は?くを探っていく。だいたい誰かに何かをそうだしたらこの観点で物事考えてアドバイスが返ってくるってやつだね。これも個人的にはイメージ歪みまくってるけどね。コンサルって言ったらなんか色々意見押し付けられるやつ!って思ってることに今気がついたね。否定してることは否定外せば良いだけだからあとで外しとこうかね。「意見されること」が嫌なんだよね。



 コーチング講座で聞いた話に戻そうか。
 そしたら、そもそもコーチングとはどんなのもの?

 コーチングとは、何でも話をして良い場だよって。悩みや不安でも良い、望みや叶えたいことでも良い、日々の気づきや学びでも良い。あとひとつは「情熱をかけてやっていること」だって。


 そしてコーチングは問題消滅型のアプローチ。クライアントのテーマをそもそも問題としてみない。相手のことを完全な存在として認めて、「その出来事が最善だとしたら?」「その出来事がもたらしたギフトがあるとしたら?」そう問いかけることで、思いもしなかった未来がつくられる。


 「相手のことを完全な存在としてみる」とか、ジャッジしない、否定しない、アドバイスしない。言うのは簡単で、でも正直あまり感覚的に入っていなかった。技術として入れることは出来ても、実感としてはまだまだ薄かった。水曜日に講座のデモでかめちゃんからコーチングを受けてみて、それが感覚としてわかった。あえて言語化するのであればその源は愛だった。


 だけど多くに人はさ、そんなにアウトプットしたいことがそもそもないんだよね。「会社やめたいです、でもお金が不安で!」くらいはあるかも知れないけれど、夢とか希望とかそんなにないよね。気づきとかそんなにないよね。情熱持って何かに取り組むよりも、休みの日は寝ていたいよね。そりゃそうだ。講座通ってはいるけど私もそうだ。夢とか希望とかない方が楽だぜ。努力しなくて良いんだもん。別にふつーに働いとけば月20万あれば余計なことしなけりゃ暮らせるし。なーにも学ばなくて良いよ、気づかない方が楽だよ。DSとかいうシステムに気づいて闇堕ちしかけた2021をもう一度再体験したいのかって話だろ。悩みもなくて良いよ、あっても気づかないふりしとけば良いじゃん。黙って耐えろよ、会社の言いなりになっておけよ。今までそうしてきたんだろう。なんで急に覚醒しちまったんだよ。情熱なんて持たない方が良いよ。笑われるぜ、「やりたいことをしよう」なんて言うなよ。もっと現実みろよ。


 何かをしようとやる気を出す度に、そんな声がきこえる気がする。そうやって教育されてきたし、安定を求めることも悪かったわけではない。


 情熱かあ。なんか久しぶりに聞いた言葉だなってまず思った。ぼーっと生きていたら対極にある概念だよ。熱ねえ。熱あったらどこも行っちゃダメだよってこの3年くらい言われて生きてた気がするけどその熱ではないねえ。


 情熱かあ。あーそうだ、ブログいっぱい書こうかね。書きたい!ってなるもんね。


 あなたは毎日を一生懸命生きていますか?それは言い換えると、怖いことにチャレンジし続けていますか?ということになるそうだ。


 怖いことって何だろう。やったことのないパターンを試すこと。ブロックがあっても、怖れと向き合ってそれに気づくこと。行動すること。行動すれば自然に外れるブロックもたくさんあるから、とりあえずやってみること。


 だから、クライアント力を高めるとは「一生懸命何かに取り組んで毎日を過ごすこと」になるそうだ。やっべー毎日寝て、スマホいじってるばっかりだあ。。という自己卑下もやめた方が良いよって前に言われたなあ。


 YouTubeでもブログでもInstagramでも媒体は何でもいいけれど、ふわっと100日連続チャレンジでもはじめてみたら、わりとすぐにインプット枯れが起きてしまう。言いたいこと、言うべきことがなくなってしまう。


 なんかさ、良いよね。100日チャレンジとかしてみたいなあって思うけどね。しないね。理由は簡単。続かないから。続けたいとも思わないから。書きたいけど毎日!とかいう制限がついた瞬間、学校で課題が出されたイメージになってやる気が滅するからね。それでもうちょっと浮ついた理由つけてみようか。【世間の設定した24時間と私の感覚的な1日が合わないから。】これ屁理屈でなくてマジで思ってるからな。毎日とか言われるとね、思うんだ、誰だよ1日が24時間なんて決めたやつは!って。みんな納得してますかー?1日が24時間とか、1週間が7日とか、1か月が30日とか、1年が365日とか。うん、納得しておいた方が生きやすいから納得しておいた方が良いね。だけどそれでも違和感があるんだよ、時間とかいう概念に。面白くないんだよ、時間管理しなきゃいけない生活がさ。


 会社の業務報告をさ【当日中に】してね⭐️って言われているんだけどねえ。忘れるんだあ。そうすると催促がくるわけ。だから言う「○○(会社の最寄り駅)と□□(自分の家の場所)、ちょっと時差があるみたいです!地球がちゃんと今日も周っているせいですね!」もしくは「あーまた時間軸ズレちゃいました⁉︎」堂々と言うね。そしたらね、全然怒られない。世界は今日も平和です。あ、これ書きながら思い出した。また送ってなかったわ。ちょっと一旦ブログ書くのやめて、先週の業務報告書いてこよう。


 ちゃんと会社のメール打ってきたよ!偉ーい。(当日中に出来てないから偉くなーい) この間会社の人が「ぶっちゃけ当時中にメール来なくてもそんなに困らないけどな。鎌尾(あ、かまおの苗字かまおだよー、普段の一人称もかまおだよー)は急ぎの用事には意外とちゃんと返事してくるからな、やり方うまいよな。」ってぼやいていた。やり方上手いらしいわー、それなりに社会順応ごっこ出来てるみたいでよかった。


 今日の悩み。

 昼寝してたらパーカーにヨダレがいっぱいでくさい。目を閉じて幸せだなあと思っていると眠りに落ちてしまいます。この世界で用事をつくって必死に起きようと毎日努力しています。あぁそうだ、わかった。最近矯正のリテーナー入れるの忘れてたからだ。たぶん関係ないけど思い出した。


 あ、ブログタイトルの回収だけしておこう。七夕の絶望は、【15時に仕事終わったて一瞬だけ昼寝しようと思ったら翌朝6時まで寝ていたこと。15時間は寝過ぎやろ。】でもなんかさ、頑張って毎日起きなきゃいけないのも思い込みだよね。だいたい毎日ってなんだよ。ただ24回時計の針がまわったら1日が終わった!ってそれただの幻想やで。仕上がってる証拠。なんかさ、高校生の時に英語の教科書に載ってた話でさ、どっかの島では「時間」て概念がないんだって。年齢とかの概念もないから攻め入った列強の国の人がそこの長老に「何歳?」とか聞いてもわからないって答えたんだって。それをふつーの人が見たらさ、「文明が遅れてる」ってみるんだよね。近代化のために支援してあげなきゃ!って。とんでもない救済者ブロックだよね。わたしはあの文章を読んだ時に心底羨ましいと思った、時間の概念から解放されている人たちのことが。高校生の頃思っていたんだ、「1日に何度時計を見れば良いのだろうか」って。時間で管理されて、それを守るのが美しいこととされている社会通念に憤っていた。父親がめっちゃ正確なスケジュールで生きてる派だからさ、自分もちゃんと仕上がってたけどね。毎日5時台の電車で高校通って通知表に書かれていた。「朝から毎日自習していて素晴らしい。」って。今なんか会社の提出物遅らせまくって怒られても何が悪いんだかわかないから笑顔でやり過ごしてるのにな。当時仕上がり過ぎ、今ダラけすぎ。中庸に戻ろ。


 毎日頑張らないでね、目を閉じてて良いことにしたら幸福度が上がったねえ。15時間も寝たとか書いたけど、厳密には途中で耳元に蚊が飛んでたから何度か目覚めた。どっから蚊が入ってくるのかなあって思ったけど、起きてみてびっくりしたね。網戸めっちゃ開いてた。テキトーすぎるんだよな、ぜんぶ。これは認知の歪みなくぜんぶよ。何度か目覚めた時も外が暗かったから時刻の確認すらしなかった。暗い世界に用事はない。しかもzoomが8時からあったらなんとか起きただけで、なかったら全然昼か夕方か夜まで眠れた予感。めっちゃ痒いんだけど、これ最善に捉え直し出来るかな。うーん、蚊が飛んでると夏っぽい!しっくり度75%。結局地球には絶滅してないね。自分の雑さにちょっと幻滅したね。自分の雑さに幻滅とか毎日してるから今日の気づきではないんだけどね。これ写真撮るのにめっちゃ腕クルってしたよ。くるっをね、まともに説明しようとしたけど出来ねえ。回外と外旋?ほんと解剖学習ったのに全然身につかなかった。見えてるものに興味がなさ過ぎた。毎日仕事の報告書書きながら思うわ、来世は運動学と解剖学が理解出来ますように!って。嘘です、別に理解できてないけどあんまり困ってはないです。あと毎日は書いていないです。月末にまとめて書くので毎日書かないで溜めたことに絶望しています。あ、それも嘘。月末に書き終わらないから月初に侵食させています。




 昼も夜も、時間もすべて幻想。24時間あったら何をしようかではなく、私の24時間はどこからどこまでということにしようかって考えた方が人生はよっぽど楽しいな。


 さっきね、車洗う行事してきたら、そーいえば今日雨だった。でも綺麗になったから良かったね。あれ楽しいよね。車の中でビシャビジャ水が飛んでくるのを窓閉めて防御するアトラクション。500円で自分が濡れないで水遊び出来るって楽しいね。ついでに車綺麗になるからコスパ良いね。



 今日の夜も夜行バス乗って遊んできます。ばいばーい。おわり。