​コーチングセミナー名古屋行ってきた!


 7月4日火曜日17:00。仕事終わりに車中で「埼玉 名古屋 夜行バス」と検索する。急げ!止めていた駐車場の無料利用時間が迫っている。当日検索で良いの出てくるかな!都内まで電車乗りたくはないから埼玉発を探せ。あったぞ、大宮発23:45、明朝名古屋着7:00。これならよく眠れそうだ。




 先月までのどこまでも車で行こうブームが終わった。理由は単純、昨年7月6日に納車した車がちょうど1年経って走行距離が30000km(正確にはあともう少しだけど、四捨五入して実質3万キロいったとみなすことにした)いったからだ。なんかいっぱい走ったなってことに満足した。この間はボンネット点検してくれたガソリンスタンドのお兄さんに「走り過ぎ!」と褒められた。(まさか褒めたつもりはないだろうけど、褒められたと捉えて私は嬉しかった。)


 逸脱したことが好きだ。普通やらねえよ!ってことをしてみたい。一応世間の平均値が知りたくなった。「年間走行距離 平均」とか調べてみる。



 よしよし、年間10000km走れば充分なようだ。3倍走ったから良しとしよう。この間の3月から先月6月までの4ヶ月で、名古屋にも大阪にも何度も車で行った。東名高速道路に満足した。だからもう自分で運転しなくても良くなった。


 今回の名古屋への移動手段、車という選択肢が消えて、ふと悩んだ。新幹線、、?なんかワクワクしないなあって感じがする。東海道新幹線とかもうだいぶ乗ったことあるからなあ。あんまり新鮮味がないというか、、でも車じゃないなあ。。


 2択で迷ったら、そこに答えはないという。天にきいてみる。(なんか面白い方法なーい?)すぐに答えがかえってきた。降ってきた正解選択肢は高速バス。平日は安くて素晴らしいねえ。3600円で7時間15分も楽しめる乗り物。(10560円(東京−名古屋 自由席)払って1時間40分しか楽しめないどっかの速い乗り物よりもバスの方が面白いような気がした。)




 18:00前、家についてお湯浴びる行事をする(シャワーっていうやつ)。お茶を飲んでぼーっとして、リュックに何だか色々詰めて、大宮駅へ。


 ガストで時間をつぶして、23:35に時刻通りバスがきた。運転手のおじさんめっちゃいい人。大宮駅から名古屋駅まで実走距離はおよそ380キロ。高速バスの検索をしまくっていたら大阪までだったら乗務員2人だけど、関東から名古屋は大体1人で運行していることに気づき、そこから高速バスの乗務員の配置基準を調べまくるという遊びをしばらくしてみた。乗り物オタクだからこれは楽しい。


 自分が何度も埼玉ー大阪、埼玉ー名古屋を運転したからわかる。380kmは結構長い。好き勝手YouTubeでも再生しながら、饅頭でも食べながら、疲れたらテキトーに仮眠をとりながら名古屋まで行くのならそれは楽しい。けれど、多くの人を乗せて、深夜に、定時運行をするバスの運転がどれだけ大変だろうか。いまなら何となく想像がつく。運転なんてしなかった頃は「酔うなあ、狭いな、早く着かねーかな。」という感想しか持たなかった高速バスだけど、今乗れば本気で感謝出来る。夜通し走ってくれる運転手の人に。

 

 

 そんなことをしている乗客は他に見当たらなかったが、せっかくだから外が見たい。遮光カーテンと窓の間に頭を突っ込んでしばらく車窓からの景色を眺めていた。月が綺麗。


 与野JCTから首都高速、たぶん中野長者橋で降りて、バスタ新宿。またカーテンの隙間に頭突っ込んで外を眺めてみた。とてもとても楽しかった。都会は苦手だけど、夜の街並みは綺麗だ。



 新宿を出てからウトウトしはじめた。途中足柄SA、2:00過ぎ。2:00なんていちばん寝るべき時間に運転してくれる高速バスの運転手さんはマジで神。



 その後も何か所かパーキングに止まっていたけど眠っていた。降車地は東岡崎、三河豊田、終点名駅まで3か所。そのたびに高速を下りて、時間通りに降車地に到着する。凄えなって思った。終点名古屋に7時に着くだけだったらなんかいけそうだけどさ、道路状況もよめないなかで3か所も降車地があるのを定時運行する技術。本気で凄いなって思う。


 こうして名古屋に着きました。満足!って書きたいところだけれど、7月5日まだ朝の7:30。よく眠って元気だったので、名古屋駅構内を徘徊してみる。地下鉄東山線かな、改札外まで人が並んでいるレベルも混雑をみて、名古屋人類いっぱい居すぎ!って考える。


 名鉄も見に行ったり新幹線改札眺めたりして1時間くらい徘徊したら疲れたので、星野珈琲で座る。



 あっ星野じゃないぞ、このカップはコメダ珈琲。間違えちゃったあ。


 9:00過ぎ、また歩いて今度は会場の近くまで行ってみる。座ってくださいではなくてゴロゴロしてくださいと言わんばかり椅子を見つけたので靴を脱いでパソコンをしていたら警備のおじさんに睨まれた。行儀が悪いよ。無視してしばらく時間をつぶす。


 10:20、会場に着いた。みんな居たー!


 あーもう会場に着くまでに遊び過ぎだね。楽しかった。


 今日はコーチング初級の2回目。


 かめちゃんに「お!人間っぽい靴履いてる!」って褒められた。服装も全体的に人っぽくなったみたいだ。良かったよかった。


 この間買った。



 ケンタッキーのおじさんみたいなのが描いてある履き物。でも靴は苦手。出来たら裸足で生きていたい。江戸時代くらいまではきっと裸足で許された。良いなあ、靴履かなくても良かった時代の人。でさこれ似てるよねえ、フライドチキンのおじさんに。人の顔認識する能力低いからさ、人の顔の区別があまりつかないんだ。見えてる世界がおかしいんだってさ(知ってるよ、そんなこと!散々言われてきたんだよ)、他の人に言ったらそんな似てないって言われてなんかとっても寂しかったねー笑




 

 誰とも闘わない世界で生きてるんだけど、ひとつだけこっそり勝負していることがある。vsかめちゃん。3日前のセンターピースでは勝ったんだけど、今日は負けちゃったな。自分とかめちゃん、今日はどっちがなるべく長い時間靴という文化に耐えられるか勝負。どーせ脱ぐんだけどはやく脱いだ方が負けってルール。みんなも参加してみてね。今日はね、私が先に靴を脱いだ、ああ負けちゃった。これ勝つと嬉しいんだよね。まともに靴履いて生きてた!人っぽーい!って達成感出るじゃん。



 職場でも事務所で履く用のスリッパがあったけど、玄関で履いても数歩で脱げるからいつも廊下に落としていた。社長がいつも騒いでいた。「誰だ、廊下にスリッパあるぞ!」って。考えなくてもわかるじゃん、犯人1人しかいねーよ。脱げるってわかっていても一旦履いてみてたって意欲が素晴らしいね。他の人は脱がないで履いてられるのにねー。みんな凄いよね、靴とかスリッパ履いてられる才能があってねえ。羨ましい度合い0.2%。



 なんの話だっけ。なんかね、人間ぽくなったねって。で話変わるけど、一般的な現代の日本の人間てね、名古屋から東京とか埼玉帰るとしたらね、新幹線使うんだよって教えてもらったわけさ。だから帰りは新幹線で帰ってみた。



 懇親会行ってー。いっぱい喋ったらみんな聞いてくれた。過去生/未来生リーディングも開催したら面白がってくれた。楽しかった。つながりブロックがゼロにはならないんだけどね、またすごく溶けた。





 これね、ほんとはコーチングの講座の内容と、デモンストレーションでかめちゃんからコーチング受けたから、それを書きたかったわけさ。なのに前置きと寄り道が長いね。これからが本題やで。かめちゃんから受けたコーチングの着地が神だった。いつかYouTubeに上がるかな。


 ⭐️


 コーチングの講座に行ってね、講座中にペアでコーチングの練習をした時に感じたこと。聞く側(コーチ役)の時は、概ね相手の顔を見て聞いていられる。だけど、自分がクライアント側になった時、どうしても目を開けていられない。自分の気持ちや感情と繋がれば繋がるほど、思考が明確になればなるほど、相手の顔を見ていない。自分の世界に入ってしまう。ペアワークをしながらそれをすごく感じた(それは今日だけでなくて日常生活にあらゆる場面で。zoomやラインで画面通話をしている時も。)。相手の顔や、オンラインだったらカメラのレンズや画面に映っている相手の映像をほとんど見ていない。前からそれを改善事項として課題として認識はしていた。人に相談したこともあったけど、結論は大体「目線を意識して」とか「人を信頼して」とかというアドバイスをもらう。それはある角度からみれば確かにひとつの解決策で、だけどそれは本当に自分が求めている答えではなかった。ずっと考えていた。どうすれば目をつぶらずに、まともに人と話が出来るだろうか。



 コーチングのデモンストレーションで「人の目を見て話が出来ない。人の顔を見ていられない。」そう相談した。問題を解決したかった。人を怖いと思っていて、いつまでもそれを引きずっていて、だからだめなんだと思っていた。ずっと苦しかった。人から否定されているのでは、ない自分のことを否定しているのは自分だとわかっていながら、それでもなお「出来ない」ポジションが欲しかったし、なんだろうな、人から優しくされるためには不完全でいなければいけないと思っていた。


 「人の目を見られないことが最善だとしたら、どう最善だろうか。」そう問いかけられた時、あまり意味がわからなかった。目を見ることが出来ないのは悪いことだ、失礼だ、そう言われたことがあったからそうだと思っていたし、なぜこんな簡単なことが出来ないのかと考えていた。


 目を閉じれば、空想の世界にいける。だけど空想ってしてはいけないと思っていた。空想と言えば、机上の空論だとか、妄想だとかとにかく現実から逃げている感じで、あまり良いイメージが湧かなかった。


 目を瞑ると、穏やかになれる。安心出来る。ほっとする。小さい頃から、目の前の現実世界よりも空想の世界で生きていた。想像の中にはたくさんの友達がいた。家族がいた。学校があって、街があった。


 空想の中で生きているのは、とても心地が良かった。だけどそれは良くないことだと思っていた。いつも自分に言い聞かせてきた言葉がある。「現実をみろ。」現実ってなんだろう。わからないけれど、なんか大変なもの。物騒なもの。人がいがみ合っている世界。こわい場所。だから逃げる、安全な世界に。でも逃げたらだめ、そんなループ中にいた。



 それが全て幻想だったとしたら。真実の世界は優しいものだとしたら。癒しとは怖れからの解放。


 現実世界が怖かった。怖いと思いたかった。だけどもう良いよ、そんなに怖がらなくて。そんな許可を出してくれたような感じがした。


 相手を完全な存在としてみなす、そう教えてもらった。


 そのままで大丈夫だよ、そんな言葉をずっと誰かに言って欲しかった。自分で自分を信じられなくて、だから誰かに言って欲しくて、だけどそうではないんだ(誰かに求めるのではなく、自分が自分のことを好きになれば良いんだな)と最近はわかってきて、自分を自分で認めよう、そのままの自分を受け入れようと決めた。


 どちらが先なのかはわからない。自分が自分を受け入れようと決めたから「そのままで良いよ」という観点で人から見てもらえるようになった、かめちゃんという存在があらわれたのか。それとも

どちらでもないというか、どちらも正解だ。


 時系列ってね、ないんだよ。未来も過去もないんだよ。時間なんて時制なんて幻想だからね。自分を否定してた時期も、肯定出来るようになったことも、全ては幻想だ。幻想祭り。休憩時間にね。、かめちゃんがケーキ食べながら「なっちゃんって40さんみたいだね。」と言ってくれた。


 

 

かめちゃんからのプレゼント。


 人の目を見れなかったとしても何も問題ではないよ。むしろそれが最善だとしたら。目を閉じることで空想の世界に入ることができて、それを文章にする才能があるからそれがギフトだよって。小説家になれるよって。前に思っていた、作家になりたいなって。だけど無理やろって考えていた。だけど、文章書く才能あるよって、かめちゃんが言ってくれた。それがとても嬉しかった。


 泣いたのは、すごく安心したから。





 かめちゃんは写真撮るのが上手。


 人間の言葉ってね、難しいと思っていた。テレパシーが使えないこの世界線の不便さに幻滅していた。だけど、DSさんが政府が義務教育という制度をつくって日本語の書き方と文法を教えてくれた。ありがとう。だから文章が書けるようになった。


 コーチング講座受けて、ああもっと人間っぽくなろうと思って(宇宙人設定やめようと思ったのに、宇宙設定の方が楽しいからちょっとしばらくこの設定でいこう)、普通は新幹線!って教えてくれた通りに新幹線に乗って帰ってみた。偉いねえ(何が⁉︎)



 新幹線空いてた。あーそっか、いつもセンターピースの時は日曜だから帰り混んでたのかなあ。平日は空いてて良かったなあ。

 

 22:15に東京駅に着地。新幹線はやっ。便利だねえ。高速バスだったらまだ出発もしてないよ。速ければ良いと思ってんじゃねーぞと思ってたけど速いのも良いねえ。


 常磐線も好きだなあ。知ってる?上野駅ってめっちゃ楽しいんだよ。電車の写真ばっか撮るんだよな。願わくばずっと移動していたいんだよな。



 家着いて、即寝して、翌日は昼過ぎまで寝ていました。おわり。