人の話をきくこと。


 人の話をきくこと。それは得意だ。傾聴•受容•共感。それを常に意識しながら普段の仕事をしている。いや、別に意識はしてないような気がする。わざわざ意識などしなくても多分勝手に出来ている。


 普段の仕事は高齢者向けの訪問サービスと施設サービス。利用者さんの半分以上は「認知症」とされている人たち。数秒前に言ったことを忘れて同じことを繰り返す人、別に認知症状があるわけではないけれど同じ話を訪問する度に毎週繰り返して聞かせてくれる人。聞いた記憶があったとしても、「その話この間ききました。」なんて絶対に言いはしない。同じ話ばっかりとも思わない。目の前の人が今この瞬間に話したいことを話してくれている。その事実だけを切りとって、全力で「ちゃんと」きく。その都度新鮮なリアクションをする。それを演技ではなく、心からする。同じ介護職でも同じ話を繰り返されることが苦痛だという人もいるし、「○○さん、それさっきも聞いた。」とか利用者さんに言っている人もいるけれど、私はその感覚が逆にわからない。毎日のように繰り返し話をしてくる事は、よっぽどその人にとって印象深い事なのだろうとか捉えておけば、別に何度だって同じ話をきけるのではないかと思う。仕事だからそうしているというよりは、元々の自分の特性なのかなと思う。


 

​ライフコーチングマスター講座41期〈会場に着くまで〉


 2023/6/7 朝5:00。起きたら双葉SA(山梨県甲斐市)。前日の夜、東名に飽きたので中央道で名古屋まで行こうという遊びを思いついてしまったようだ。


 山梨と長野が好きだ。山が見えると落ち着くから。空が青すぎた。



 まだ休憩はしなくていいけど、諏訪湖は眺めておかなくてはいけない。諏訪湖SA滞在時間2分。




 駒ヶ岳SA、下の写真。すべてのSA、PAに寄ってみたくなる遊びを敢行すると10:30の本来の目的(コーチング講座)に間に合わなくなりそうなので控えたが、駒ヶ岳ってなんか良い名前だからって理由で景色をみるために降りてみた。滞在時間5分。



 ほら、めっちゃ景色がいい。ケムひと撒きもない澄んだ青空。




 YouTubeにあった山間部にトンネルを通すのがいかに難工事だったかを解説した動画で出てきた恵那山トンネル(長野県阿智村〜岐阜県中津川市)を通ってテンションが上がる。知らないで通ればただの長いトンネル。開通までの歴史を知っていれば工事をしてくれた人や管理してくれているNEXCOの人たちに本気で感謝が出来る。





 9:00前に名古屋駅近くのインターを降りて、風呂もよって、会場に。センターピースもそうなんだけど、わざと遠くまで受けに行くからもう基本会場に着いただけで満足。

 【今日の奇跡の気づきコーナー】
 今家でスマホでブログ書いてるけど、台所の床だったら座って起きていられることが判明した件。あとでここにパソコン持ってきて仕事しよ🌱
 行儀が悪くて椅子に座ってられない、畳の部屋行ったらゴロゴロしてそのまま就寝、ソファに座ってもそのまま就寝、とにかく家で起きて作業するのが無理なのだけれど、台所の床ならちゃんと起きていられるぞ。これは素晴らしい発見、大収穫。

少しだけだけど大きな違い。感じた変化。


 ようやく辿り着いた本題。昨日の講座で感じたことを書こう。会場に着くと人間がいっぱいいた。そうだ、人間って書くとね、怖いイメージがまだあるからね、今度から人って言い換えるね。


 会場に着くと人が沢山いた。わかるかな、この「人間」と「人」の違い。人間とか書くと、お前はどの立ち位置だよって問いが生まれる。宇宙から人間たちと交流するためにきました!ポジションになってしまう。楽しいんだよね、宇宙人設定にすると。謎の俯瞰者ポジション。人間を恐れつつ、それでも地球に何か壮大なメッセージを伝えにきた🌏みたいな設定ってさ。だけど、そうすると何だか分離してしまう。自分は周りの人たちは違うんだっていう離人感と寂しさ。人たちって書くと自分も人として在れる気がする。うーん、でもまだね、仲間感が出ない。


 だから決めた。今までは新しい講座に行く度に、会場にいる人類(ほら人類とかすぐ言うんだからさぁ)たちのことを「仲良くなれるか未知の群団」って見ていたけれど、認識を改めて最初からちゃんと「一緒に学ぶ同期」「仲間」としてひとりひとりと関わることにした。何言ってるかわかんねーと思われそうだけどまあ良いんだ。そろそろちゃんと人を認識出来るようになりたいだけ。そろそろマジで相貌失認をやめたいんだ。今年中にねえ。いけるかな、無理かな。全然まだメリット抱きしめてるからね。


 人が少しずつ怖くなくなっていっている。だから今回はかめちゃんの講座に行った中では今までで一番、初回ではじめて会った人がいっぱいなのに緊張しなかった。自然でいられるってこういうことなのかなって少しだけわかった。


すべてが夢の中で起きているだけの話。​


 コーチングは習うものではなくやるもの。人生で人の話をきいてきた経験があるから、すでに全員がコーチである。良いコーチングだったかは、お互いが癒されたか、楽しかったかどうかでわかる。役に立たないコーチングというのは存在しない。

 正解があることを習うわけではないからね、ほんとうはテキストなんてなくても良いのだけど、せっかく講座にきたから「習った感」があった方が良かったりあとで復習出来るようにテキスト作ってんだよってかめちゃんが言っていた。

 フィジカル(目に見える物資世界)とスピリチュアル(目に見えない精神生活)を両方とも取り入れたのがアラン•コーエンさんの真髄。世の中の他のコーチングはだいたいどちらかに偏っているんだよという説明。フィジカルが右の車輪なら、スピリチュアルが左の車輪。両方が上手くまわることで、人生が思う方向に上手く進んでいく。

 最初に7分感コーチングをペアで行った。習わなくても出来る。相手の話を遮らずにきく。クライアント側は他人ではなく「自分のこと」を話す。やってみて感じたのは「話す」ことの難しさ。何も思いつかなかったら沈黙でも良いよと言ってくれたけど、何か話をしようとした。遮られずに、5W2Hの質問をされずにに誰かに話をちゃんときいてもらうって、日常ではほぼない体験なのではないだろうか。話をしながら自分に向き合おうとした。自分が何を考えているのか、どんな気持ちなのか。言語化が苦手って言って逃げるのをやめて、自分のことをちゃんとわかろうとした。自分の事がわからないと思い続けてきた今までだったから。そこからようやく抜け出せるチャンスが今なのかなと考えた。

 「話す」は「放す」ことでもある。自分の思考や感情を言葉にすることで、不要なエネルギーを手放し解放することが出来る。
 
 目の前の人にマイナス感情を抱いたとしても、相手に感情をぶつけるようなことはあまりしてこなかった。内向的だから何かしらの問題が起きたら自分の中で抱え込む。人に相談など決してしない。しないのではなく出来なかった。人に話しかけるということがいちばん怖かったことだから。自分のことがわからない、自己主張をしないかわりに、あらゆる行動や決断を人任せにしてきた。自分がどうしたいかよりも優先すべきは目の前の人を怒らせないようにすること、悲しませないようにすること。耐えきれなくなったら改善を求めることはせずに、自分が立ち去る。つながりをぶった切ることで自分が壊れるのを防いできた。他人軸で他人の目を気にしてきた中で、目の前の相手を直接言葉で責めることはあまりしてこなかったけれど、目の前の出来事を心の内で他人のせいにしていることは多々あった。その他責の念ががやがて「学校がおかしい」「社会がおかしい」「この世界はイかれている」という実体のないものに対する不安や憤りに変わっていき、希望がないこんな世界で生きていたくないという感情に苛まれていたところがあった。

 上手くいかないことを他人のせいにしている限り、世界は、自分の人生は何も変わらない。成長出来ない。「自分に指を向けて」考える事が出来た時、目の前の出来事を自分のこととして受け止めることができた時、自分の思考や行動が変わっていく。

 この講座はコーチングのテクニックを習うのではなくて、生き方そのものが良くなる、奇跡に満ちたものになる講座だよ。かめちゃんがそう言っていた。噂通り、めっちゃ輝いていた。

 みんな、初級5ヶ月間よろしくね。



 
 懇親会もめっちゃ話した。1年前くらいまで、人と全然会話出来なかったという話をしたら「今めっちゃ話してるじゃん、大丈夫だと」と言ってもらってとても嬉しかった。みんな自分がちゃんと伝えようとして話をしたら、ちゃんときいてくれるんだってことがようやくわかった。ありがとう。




 ようやく人類と仲間になれました。あーだめだよ、人類っていうと離れちゃう。みんなと仲間になれそうです。


 終わり。


 

 おまけ。【今日の出来事】

 仕事の書類つくったのにプリンターの機嫌が悪くて印刷出来なくて悲しいです。ペーパーレスにはまだまだならない業界です。FAX現役です。