​2023年1月20日金曜日。

 

 朝6:15起床。間に合うぞ。パソコンを開いて会社にメールを打って(何度も当日に送れと言われている、昨日の業務報告メール)、着替えて家を出る。


 やるべきことがあるとすんなりと起きられる。会社へのメールを敢えて打たずに寝るとそれが「起きて最初にやるべき」用事として頭の中に残り続けるので、なんか知らないけど起きられる理由になる。


 ほんとはもっと違う理由に起きられる用事つくるべきだね。


 今日は曇り。

 6:50出勤、11時まで施設で働いて。とりあえず外に出たら太陽を眺める。


 13:00と15:30の利用者さん休み。

 11:45、13:30、16:30という間を持て余すスケジュールで3件訪問。


 空いた時間の埋め方は、ひたすら昼寝。セブンイレブンとコープの駐車場を使わせてもらった。流石に寝過ぎ。この時間を有意義に使おうと思うような意欲は、微塵もない。あったらきっと正社員をしているだろう。正社員の時も、訪問の間の謎の空き時を昼寝に使ってしまっていた。その時は、「業務時間中なのにサボっている」という罪悪感。今は、別に委託だから空き時間に何をしていようが構わない。「サボっている」感のないただの自堕落。


 2022年の4月、社員を辞めた。周りの人から散々と言われたのは、「社員なら安定した金額貰えるのに。」や「社会保険に入っていた方が将来年金がたくさん貰える。」といったアドバイス。


 安定した給料も、すでに崩壊している(捉え方だけどね)年金制度にも、何の未練もなかった。というか最初から、何の魅力も感じられはしなかった。ただ、父親からの「正社員以外は認めない。」という言葉に従ってみたら、逆に何かマシな未来に繋がるんじゃないかという限りなく勝算のない賭けをしてみただけだった。


 長かったアルバイト生活から、社員になった時、「これで何かが変わるんじゃないか」という期待があった。高卒フリーターから専門卒正社員へ。少しでも社会的にはまともになれたんじゃないか、そうしたら少しくらい自分がこの世界で生きていることを許容出来るようになるのではないだろうか、そんな薄い期待があった。


 実際は何も変わらなかった(捉え方だな。)。ずっと(はい、捉え方!)、何を積み重ねてもきっと駄目なんだろうなという無力感の中で毎日をやり過ごしていた。社員になってからも当面の目標なんてなかったけど、半年働いたら有給が10日付与されるらしい。じゃあとりあえず半年通ってみよう。そんな程度の意識で毎日をとにかく消化していた。


 「砂上の楼閣」という熟語をどこかで目にした時、あぁ自分の人生だと思ってから、ずっとこの言葉が頭の隅に残っている。土台がないから、何を積み重ねても無駄、自分の行うあらゆる行動をそう捉えてきた。


 それが今、少しづつ足元がかたまってきた感覚がある。かめちゃんのYouTubeを毎日のようにみて、〈安心間、つながり感、自己肯定感〉という言葉を聞くたびに。センターピースで得た感覚を思いだすたびに。


 

 わかっている。十分に想定の範囲内。ただでさえ12月、1月は売上が減ること。それに加えてこの3年間意識から離れることなくすぐ傍にあったコロナ渦。「感染対策」を理由に取引先から度々出禁の通達をもらうこと。


 そういうことを全て理解した上で、社員を辞めて業務委託になって、何ヶ月ks過ごしてみた。わかったことは、「給料なんか安定していなくても暮らせる。」「(自由を取り戻して)今世はきっともう正社員にはなれねえ、ならねえ。」ってことくらいだろうか。


 政府が5類にしたとしても、介護業界のコロナ騒動は終わらないだろう。コロナによって受けた恩恵が大きすぎるのだ。まだまだ甘い汁を吸いたい頃合だ。


 未だに毎週検査の陰性を求められる現場

。未だに入居者さんが面会制限を受け続けていること、そんな目の前の現象に腹が立つ。この仕事をやめれば、目の前からコロナ渦が消えることが分かっている。もう車に積んであるフェイスシールドを捨てたい。家に大量にある、あのくだらない検査キットを会社に返却したい。何度も辞めようと思うそんな気持ちを宥めてきた。「待ってくれている利用者さんがいる」そんな大きな勘違いから。


 最近やっと腑に落ちるレベルで納得が出来るようになった。別に自分が居なくとも会社の業務はまわること。利用者さんは確かに訪問を楽しみのはしてくれているけれど、別に自分が行かなくても引継ぎと情報伝達さえしてしまえば他の施術者が行けば良いだけのこと。「利用者さんへの想い」がいつの間にか執着に変わっていたことを認識して、もう充分(3年経ってないけどな)出来ることはやった気がしてしまって、ああ今の仕事はやめ時だなと感じてしまった。考えたというよりも、感覚でわかってしまった。


 もう充分にコロナ禍を満喫した。それによる不利益も恩恵も受けきった。目の前に出現し続けるコロナ渦の終わらせ方を模索して。〈①Twitterから離れること〉を意識的に年末からした。毎日反ワクばかりを呟いていたアカウントのタイムラインは、いつしか反ワク、反マスク、シェディング、反政府の投稿で溢れかえるようになっていた。もちろんそれ以外の有益な絡みも有りはした。けれど、毎日それを見ては溜め息をつく。(なんでこんなにコロナネタばっかり、、)そう考えて、気がつく。自分の投稿がその原因をつくっていたことに。ワクチン危険!に投稿にイイねを押しまくっていたことに。自作自演だった。Twitterが情報収集や情報発信として役に立つこと理解した上で、自分が使い方を誤ったせいで新たなストレスの原因をつくっていたことがわかった。そうして年明けに機種変更をしたタイミングで完全に今は一旦Twitterを見ることもやめた。コロナから離れるために、必要な過程だったとは思う。


 だけど、それでもまだ終わらないコロナ渦。それは今の仕事をしている限り。目の前にある鬱陶しいこの騒動消すために出来ることを考える。それが〈②介護業界から離れること〉なんだろうと思う。


 3年前、やっと自分が順応出来る業種を見つけた気がした。実際めちゃくちゃ現場は楽しかった。色んな制限がある中で、それでも出来る限りのことをしてきた。


 だけど、もう充分なんだ。そう自分に言い聞かせて、最初に業務委託契約を結んでくれた会社を辞めることにした。感謝を込めて。


 なっが。また長いこと書いたなあ。結論:今の仕事、しんどいので辞めます!


 続きを書いとこう。

 1/20金曜日。

•暇すぎる訪問の間に行ったいつものガソリンスタンドで、給油。なんかのキャンペーン中でスタッフが大量にいて声をかけられる。割引券お持ちですか?持ってる。エネキーお持ちですか?持ってる。アプリも入れて頂いて、ありがとうございます!こちらプレゼントしています!500ミリくらいのデカい消毒ジェルのボトルを貰う。いらねー。会社に寄付!全部お持ちですね!スタッフ撤収。かと思いきや1分後に現れる。エネオスのクレジットカードはお持ちですか。持ってねー。「こちら、自動的に毎回5円引き(そこの店舗限定だけど)になるんですよ!」の文句が魅力的過ぎて、入会。最近走り過ぎてほんとうにすぐガソリン無くなるからな。「えっまともに働いてないけど審査通りますかね?」の質問に「大丈夫です!」の回答。ほんとかよ。そのうちカードが来るでしょう。入会した方に、とボックステッシュももらった。


•いつもバナナとゆで卵をくれる利用者さんの家に行ったら、今日は遂に鍋料理が用意されていた。「ほら、今出来た!」この好意は無碍には出来ない。ありがたく頂く。そしてもらった鍋セット。野菜とかはたまに貰うけど、流石に〈めんつゆ〉ははじめてもらった笑。断ろうと思うよりも、もらってしまう。


 

 〈貰い物で生きていける説〉を今日も実証したところで、今日が終われたら良かったけれど。

 

 その後いつも通りにカフェに襲撃。オシャレな生活ごっこをして。

 22時閉店。家に帰る気なし。バーミヤンに移動。一回食べてみたかった北京ダックを解禁。

 23:30閉店。(家に帰ろう)の良心虚しく、岩槻インターへ襲撃。


 ただ仕事とその後の用事が終わったら家に帰るという普通の行為が出来ない自分に嫌気がさす。

 

 現状辞められない中毒。深夜の高速ドライブ。岩槻IC→久喜白岡JCT→岩舟JCT→栃木都賀JCT→笠間PAのルート設定。80キロくらい走ると心が落ち着くようだ。ほんとうにどうしようもない。



 眠気に襲われはじめたところで着いたのは壬生PA(東行き)。みぶって読むらしい。ここを今日のキャンプ地としよう。ちx0:40着。1時過ぎ就寝。寒さ対策を講じる腕も上がった。気温5度以下でももう快適だ。

 


 

 スピード出したな。楽しかった。空を飛べる気がするんだ。来世はきっともっともっと軽く浮遊できる媒体に生まれるんだ。




 よーし!こいつやっと寝たぞ。おやすみなさい。明日は朝の帰宅ドライブが若干遠いぞ。まあ距離とか幻想ですから。


 忘れてた!自撮り。