​同じ過ちを繰り返さない。

 

 溜めると書けなくなるぞ。人は同じパターンを繰り返す。ブログだけじゃなくてさ。ここ2年以上、毎月の報告書作成や事務作業に苦しんできた。


 遡れば小学校の頃日々の宿題が終わらなかった記憶に辿りつく。あの頃は怒鳴ってくれる親という存在がいた。あのありがたい脅威のおかげで、なんとか成績は良い方だった。

 

 「課題をこなさなければ怒られる。」そんな切迫感に追われてなんとか目の前のやるべき事をこなしてきた小学校の頃。中学、高校と進むにつれて監視の目は緩くなり、それでも親を失望させくない(見捨てられたくない)という思いだけで、勉強をしていた。物事に対する意欲など欠片もなかった。ある程度の偏差値を出すこと、(実際は何の努力もした記憶はないけれど)勉強をしている降りをしておけばその場を凌げる。学校も家も地獄だったけれど、打開策は見当たらなかった。


 適当に過ごした20代前半。こなすべき課題はなかったように思う。家から脱出して放浪してアルバイトに明け暮れた。毎日シフトの時間に店に行き、目の前の業務をこなすだけ。シフトの提出さえすればよかった。「書類の提出期限」に追われない生活は心地が良かった。


 今の会社に入って。はじめて社員というものになってみた。小さい会社で上司は歳の近い女性と70歳を超えたおじいちゃん社長だけだった。何をしても、何もしなくても全然怒られなかった。都合良く言えば〈癒し系〉そんなポジションを獲得して、ヘラヘラしていればそれで良かった。毎日利用者さんの訪問後に事務所に戻ってはお菓子を食べて雑談ばかりしていた。最低限の事務作業だけが溜まっていった。起動するにも苦労するくらい動作の遅いパソコンを開く意欲は1ミリも湧かなかった。出勤日に(遊んで過ごす時間が長いせいで)終わらない分を先輩は休日に職場に来てやっていたらしい。今思えば謎だ。

 

 2年半ほど前のある日、ある事件が起こって先輩が職場に来なくなった。急に仕事量が倍になった。それまでヘラヘラしてしていたのに、急に大変なことになった。客観的にみたら大した量ではなかったように思うけれど、一瞬にして自分が抱えられる量と質をこえてしまった。パソコン作業は苦手だ。そもそも椅子に座っているという行為が苦痛だ。(学校時代よく耐えたな。今振り返れば偉かったわ。)利用者さんの訪問はすれど、溜まりゆく事務作業に耐えられなくなった。数ヶ月して(病院には行かないけれど)明らかに症状が鬱だった。あの頃はストーカーにも追われていた。夜中に家に押しかけてくるあの人は本当に鬱陶しかった。恐怖だった。


 先輩はそのまま会社を辞めた。業務は落ち着いてきたけれど、私は何ヶ月経っても一向に補充の人員を入れてくれない会社に一方的に恨みを募らせていた。利用者さんの訪問だけは〈お客さんとの約束だから〉時間通りに行くことが出来る。だけど〈会社〉に行くことが出来ない。出勤時間に間に合うように起きられず、タイムカードを押せない日々が続いた。会社には何も言わなかった。「おまえ、何で出勤時間に来ないんだ。遅刻が多いぞ。」怒られても、何の感情も沸かなかった。自分が何を言ってもきっと無駄だと思った。毎日が灰色だった。どれだけ早く寝ても、朝出勤時間に間に合うようには本当に起きられなかった。遅刻を理由に給与は減った。給与なんてどうでも良かった。ただ毎日の業務がこなせず苦しかった。そして社員をやめた。

 

 同じ会社で業務委託で仕事を続けさせてもらった。利用者さんの施術にまわれば良いだけになった。直行直帰で事務所への出勤義務がなくなり、事務作業からも解放された仕事はとてもとても快適だった。だけど、相変わらず報告書くらいは作成しなければならない。


 (身体状態変化なしとは書かない方が良いだろう。ADLの評価をしろとは言われるけれども利用者さんの「出来ない」ことをフォーカスするのは嫌いだ。だけどあまり経過良好、疼痛もなくなりましたなどと書いて万が一医者からの同意書が出なくなったら困る。だいたい訪マの報告書とか読まれてるのか?医者もケアマネも忙しいだろうに。家族にも送るから、あんまり悪いことを書いたらまずいんじゃないだろうか。)他人軸全開だ。


 そんな報告書作成が毎月終わらないという無限ループは社員を辞めてからも続いた。だけど昨年12月の末、はじめて月内に報告書が仕上がるという奇跡(本来は当然)を起こした。そして1月が半分終わり後半に入った今、概ね(完璧とは言っていない)今月分を溜めずに書くことが出来ている。ブログという新たなタスクをつくったお陰で、報告書が課題にならなくなった。


 崖ルートなのかも知れない。何かに追われていると生きていてる気がする。

 

 ただただ、お正月の暇さと、「せっかくの新年だから何かはじめよう」という思いつきではじめたブログというアウトプット。目的なんて明確には設定していない。ただ、自分が自分で何を考えているのかを地球の言葉はよくわからないけどDSが学校教育で国語を教えてくれたので言語化してみようと思った。ブログを書いてみたら、自分が毎日やっていることに少しは意義が出てくるんじゃないだろうか、自分の生活を肯定出来るようになるんじゃないかという期待もあった。


 新年はじまってから、まだ少しだけ。なんなら先週分は書いていない。恐ろしく不出来な状態で、それでもわかったことは以下の2点。


  •  私は〈ずっと何かに追われていたかった。〉何かに追われている方が生きている感じがするからだ。やるべきことがない状態は楽だけどそれよりももっと不安だ。生きている意味がなくなってしまうから。「毎日の出来事、考えていることを書こう」そんな目標を設定することで、追われるべきものが仕事の報告書からブログへと移った。仕事以外の「追われるべきもの」(毎日のタスク)を設定したことで、仕事に追われる必然がなくなった。自然に仕事上の「やるべきこと」が無理なくほとんど無意識に片付けられるようになっていた。そんな予想していなかった効果。
  • 自分の書いたことを読み返してみて自覚はしていたけど、改めてわかったこと。〈家に居られないんだね。〉常にどこに行こうかってことばかりを考えている。今だって、(昨日も遊び回ったんだから帰れよ)という心の声を無視して家に帰らずなんか知らないがオシャレな店にいる。
 

​そろそろ今日の出来事を書こう。

 2023年1月16日。DS的には月曜日。

 朝9:30起床(相変わらずギリギリとかもう言わない。間に合ってるから良いよ。)10時に施設の利用者さん訪問。認知で基本何言ってるかわからないけど、めっちゃ笑って話してくれる。自分が日本語苦手だから、会話にならない会話の方が得意。認知症対応マジで上手いと思う。得意なことなんて全然ないけれど、認知症対応だけは上手いという確信がある。

 

 11:00予定の方は休み。まだまだ介護業界は流行り病の全盛期。コロナの恩恵•利権って莫大なもので、現場がそのメリットをもう手放せなくなっているんだね。永遠に流行ってることにしておくよ。


 というわけで10:40帰宅。家に帰って昼寝。9:30に起きて1件だけ仕事してまた家帰ってきて布団敷いて寝てるとかお前ダメやろって心の声は無視して気持ちよく就寝。起きたら13:50。


 次の利用者さんは14:00。団地の同じ棟。10分前に起きても間に合うから良しとしよう。


 15:30予定の利用者さん、休み。5回も打って毎週検査してりゃ施設内で誰かしらは陽性判定出ますよね。


 暇になったのでまた家に帰る。

昼ごはん。酒粕入れた味噌汁。大根が美味い。

 

 そしてウトウトして、アラームが鳴って無事起きる。16:45に1件。少し前に骨折して歩けなかったけれど今はすっかり回復した。明るいおばあちゃん利用者さん。状態が良くなると嬉しいね。


 18:00、事務所に寄って数字がいっぱい書いてある紙の束を受け取る。ADHDにこんなに書類を託すなんて仕組みがイカれている。レセプトにサインもらってくるくらいは出来るぞ。


 夕飯。(家で食べろよ、今日売上の少なさわかってるのか。お前今日何度昼寝した?)という心の声を無視して辿りついた飲食店。一時期、健康情報ばっかり調べていた頃には禁止していたけど、もう解禁した回転寿司。うん?そう言えばレーンで流れてくるけど最早回転はしていないぞ。はま寿司。


 

 (そろそろ家に帰ろう) という心の声がするのは気のせいだろうか。無理と即答。今日の昼間、散々家居たもん。移動してなんかオシャレな店に来た。春日部なのにオシャレ。スカイラーク系列、むさしの森珈琲。なんでむさしのって名前にしたんだろう。

 

 コーヒーは苦手だ。受験に追われて「睡眠も削って勉強しなければならない」想念に取りつかれていた高校生3年生の夏、カフェイン依存症になっていた記憶があるからだ。当時は酷かった。カフェインの錠剤がなければ覚醒状態を保っていられない状態で毎日を過ごしていた。睡眠不足であることが、勉強を頑張っている証拠であるような気がしていた。今思えば狂っていた。

試験日程をを全て終えたとき、勉強からではなくカフェインから解放されたことの方がが嬉しかったような気さえする。


 コーヒーを飲み、無事頭痛がしてきたところで21:50。22時閉店という制約はありがたい。永遠に居られてしまうような気がしていた。


 昨日も走り過ぎたので給油をしよう。ガソリンスタンドに寄って、最短ルートで帰宅。〈今日は高速乗りに行かなくて偉い。〉明日は行きそう。


 今日の出来事を今日書けたことが嬉しい。忘れていた。今日の自撮りコーナー。これでセルフイメージが上がるらしい。



 終わり。