青谷の次は、気高町日光へ。


気高町は、生姜🫚の生産地。

広げたのは、このお方↓


亀井茲矩様🥰


朱印船貿易により東アジアから生姜🫚を輸入し、気高町日光に生姜畑を作りました。

400年経った今でも、栽培方法や保存方法は受け継がれています。



さて、そんな日光には、日光池なる池があります。

夏は水田、冬は池になる不思議な池、、、



地質学からの解説はこちらにお任せします💁↓



この池は、別名、龍神池とも言われているらしく、ふたつの伝説が残されています。


ざっくりストーリー、いきます。


一つ目は、平安時代末期。

出雲国造さんが、京の歌会に参加するたために上京中、日光のあたりを通った。

その時に、洪水にあい、水神に祈った。

往来を自由にしてくれたら、娘を嫁にあげます、と。

水神は、それに応え、道を作り、出雲国造さんは無事歌会に参加できた。

そして、三女の娘さんが水神にささげられた。


二つ目は、このお方に関する伝説、、、↓


亀井茲矩様〜〜🤗


茲矩様は、日光池を干拓し、水田にされました。

すると、日光池にいらっしゃった水神様は海に逃れ、ある時、蛇鯨が打ち上げられました。

茲矩様は自ら捌き、村人にも食べさせましたが、食べた人たちが皆体調を崩してしまいました。


そんな中、夢に美女があらわれ、日光池の神様である蛇鯨を祀るようにと話されました。


茲矩様はすぐに社を建て、日光大明神として祀りました。

すると、皆の病が癒え、日光は栄えた、と。



平安時代の水神様が蛇鯨様、ということ?


蛇鯨って、、、💦

一説には、リュウグウノツカイではないかと言われているようですが。

茲矩様がお捌きになられた、、、とか、、、


人身供養って大丈夫なのかしら、、、とか。



なわけで、次回へつづきます。