この現実の外側にいるのは、
「意識そのもの」の自分である。
 
その自分には、カラダはない。
 
意識の自分は、この現実世界を体験するためにカラダに入って自分を生きている。
 
このカラダは、その意識の自分を固定する装置。
 
カラダは、意識の自分と現実世界をつなぐ方法だった。
 
だから、自分のカラダを大切にすること。
 
このカラダがあるから、
この物質の世界を体験できるのだ。
 
歩くことができる。
食べることができる。
眠ることができる。
 
触れることができる。
誰かの手の温度を感じることができる。
風を気持ちいいと感じることができる。
 
笑うことができる。
涙を流すことができる。
抱きしめることができる。
 
カラダがあるから、
私たちはこの世界を感じることができる。
 
カラダがあるから、
この現実は映像ではなく自分の体験になる。
 
だから、
カラダを大切にすることは、
この世界を大切にすることでもあった。
 
自分のカラダの声を聞くこと。
自分のカラダを休ませること。
自分の身体をリラックスさせること。
 
これが、
この世界を体験しに来た、
外側にいる自分への愛だったのである。
 
この世界のカラクリはそういうことらしい。
 
 
 
 
私はこのカラダをいつもうとましく感じていた。
 
思い通りにならず、理想とは程遠い。
いつも、あれが嫌ここが嫌と気に入らないところばかりに注目していた。
自力でも他力でもどうにもならないこのカラダを恨み、無視して、
ぞんざいに扱っていた。
コンプレックスや制限ばかりかけてくるカラダを心底恨んでいた。
 
カラダがあるから、全て体験できるのだと腑に落ちた時。
 
カラダを大切に扱うことを誓う。
 
今ここから。