母と母の友人Aと私と3人で、整形外科の先生からの紹介状を持って、精神科に行ってきました。
最初は、3人で診察に入りましたが、
「娘さんからも話を聞いていいですか?」
とおっしゃってくれたので、母抜きで話をしたいと申し出ました。
そして、母に待合室に出て行ってもらい、私は単刀直入に、
「母は何も困っていないけれど、私は母との関係性が取りづらくて困っている。
私は、それは母の特性・性格のせいだと思っている。
母は、加齢によって生まれ持った脳の特性を制御できなくなってきて、より色濃く特性が出現するようになったと思う。
それで、認知の歪みが生じ、その時に足に過集中が起こり、必要以上に痛がっているのだと思う。
」
「成程!
今、端的に分かりやすく話をしてくれたけれど、あなたは心理士さんか何か?」
「実は、私、作業療法士なんです。」
「ぁあ、そうですか、それは話がはやい、助かります、お母さんの性格ってどんな性格?」
私は、列挙していきました。
すると、先生は
「成程、発達障害の要素や性格がネックになって、身体に不調をきたす人は多いですよね。」
と。
やっぱり
「整形外科の先生からは、画像や検査結果ではそんなに悪い結果が出ていないので、精神的な物が大きいと思うと紹介状で書いてくれています、僕もそのように思います。
でも、人によったら身体の不調が武器になるんですよね。
お母さんは、自分が不利な状況になると、足が痛いから出来ない、こうなってしまったって訴える事でその場を乗り切ったり、ご家族やご友人に心配してもらったり、お孫さんに来てもらったり。どう?」
「全くその通りですね、私もそこで悩んでいて。
でも、それがお母さんらしい人生だから、もうそれは仕方ないのかなと思います。」
「うん、あえて痛みをとらずにそのままにしておいてあげるっていう治療法もあるんだけれど、どうします?痛みとってあげますか?
僕は娘さんの希望通りにしようと思ってるんだけど。」
「お母さんは、精神疾患に対して否認もあるし、自分の非を認める事はとても否定的で拒否してきます。
私が認知させようとして指摘しても、親としてのプライドもあるのか、認めようとしないし、逆に子供のくせに、なつこは性格が悪い、キツイってなってしまう。
かと言って、寄り添ったり共感したりを加えると、そこしか頭に入っていなくて。」
「お母さんのキャパでは、自覚したり認知したりっていうのは出来ないんだと思うわ〜。」
「そうなんですよ、だから、もう、このままいくしかないんです。
周りがサポートするしかない、私も悩んでいて、そう覚悟しました。
心が原因で足が痛いなんて、お母さんは受け入れられない。
ただ、薬は多くの種類を飲んだりやめたりしているので、整理して欲しいです。」
身体表現性障害を克服したかったら、こういう物の捉え方をしてこういう気持ちを持ったら足が痛くなる、こういう風に考えたら足の症状は楽になるって自覚しないといけません。
でも、それは母には無理だから痛みは完全にとることは無理だろう。
でも、母は足の痛みを苦痛に感じているから、その苦痛はとってあげたい。
痛みを半分にする事をまずは目的にすすめていこうという事になりました。
続きます。
後、母ですが、先生の見立てでは、
「確かに発達障害の特性は持っているけど、そうとは断言できないし、多分、ちゃんと検査したらひっかからないと思う。
性格の部分も大きい。それが特性を助長させているんだと思います。」
何処かで聞いたことがある話...。
そうか、ウチの子たちだった