最近、知らない人のブログを見るようになった
中でも 『俺達のチェッカーズ』さんのブログを見るのが嬉しい
10歳の時、私は郁弥に恋をした
ファンなんだけど、でも恋で
毎日がチェッカーズで
友達もみんなスキだった
キャーキャー云って、ドキドキして
まだ、少し子供だったけど、その時代に間に合って早春~青春時代を過ごせて、本当にラッキーだったと思ってる
子供から若者になったころ
チェッカーズがアイドルから、アーティストになり始めた
オリジナルの曲になり 少し戸惑ったなー
それも少しづつ慣れて。。。
ライブにも行ける歳頃になって
ライブデビューは『SCREW』ツアー
中学3年生、東京ドームだった
チェッカーズファンの悲劇、たった1つだけある
それは、チェッカーズが、とってもハイレベルなアーティストだったこと
あんな小さかったり、若かったりの頃に完璧なバンドに会ってしまったら
もう、その後は...なかなか気持ちが動いてくれない(^_^;)
ミスチル、ブルーハーツ
あと、永遠のサザン
は好きかな
ただ、夢を見れたのがチェッカーズだけ
だって。。。声も音も、バンドの構成も、人気モノ感も
ハンパなかったもん
でも、やっぱり
郁弥の顔と声がすぎだった
チェッカーズの曲で、私が特に
スキな曲
Free Way Lobers
ローリング・ダイヤモンド
OH ‼ POPSTAR
君はRock‐A‐Ballade
HEART OF RAINBOW
Gipsy Dance
あの娘とスキャンダル
この曲は、その時期を過ぎてから歌ってくれないんだけど、私には絶対ソング
ダイアナ
番外編です(^^♪ ラジオ『藤井郁弥のハートはジュークボックス』で歌ってくれたオールディーズ
どれも、郁弥の声がすごーくいいんです
特に特にっ『HEART OF RAINBOW』 の
5000マイル想い馳せ Want you ~ ~♪ って歌詞の
おもい はーせ
のところなんて、マジで鳥肌立つし、腰が砕けそうになる(笑っ)
(あ、もしかして下品かな?)
19の時にチェッカーズが解散して、私が大人になって
少し寂しい時代もあった
でも、郁弥はいつも今を歩いてて
だから過去ににることはなかった
日々意識する毎日ではなくなったけど、ずっと一緒に歩いてきたんだと思う
私の1つのアイデンティティーだね
『藤井郁弥のファンです』ってゆー
2013年の12月。。。もう2年半も前か
郁弥は私の一部なんだーと思った
郁弥がライブで、鹿児島にくるとのことで勇気を出して会いに行くことにした
生は、FINALの武道館以来
ソロになってからの曲は、何曲かしか知らない
チョイ弱
浮いちゃうかもなぁ
でも、会いたい気持ちのほうが勝った
デビュー30周年ライブツアーだから、少しはチェッカーズの曲もやってくれるだろう。。。
フタを開けてみると、8割チェッカーズの曲をやってくれた
さすが30周年 大サービス
arigatoyo₋u
ほぼ、40~50代
私みたく1人で来てる人も多かった
しかも、男の人1人のひとも多くて
やっぱ郁弥の『モテ』は本物だなーって思った
あ、はじまった
郁弥が出てきた
あの声が..
郁弥の声が..
まさかの号泣
こんな事は初めてだった
涙がボロボロボローって出た
声をあげて泣いた
一瞬自分でもビビった
...でも、
あたし、あんな小さい頃から今日まで 頑張ってきたなー
なんとかやってこれたんだなぁーって
郁弥の声聞いたら、ばーーーーっって30年が流れた
心臓がぐっって詰まって、熱くなって
涙がボロボロ出た
郁弥ーあたし、ここまでこれたよ
って報告?して
?よく分かんないけど心の中でちょっとだけ甘えた
でも2曲めからは大丈夫モトドオリサッ
ガンガン跳んで歌って キャーっ
てなった(40)
で、郁弥が
「まぁ、お座りください、ちょくちょく座らせないとね
みんな歳が歳だからね」
って、こまめにMCと見せかけた休息タイムを入れてくれたのがウケた(笑っ)
客席爆笑
確かに、MC直前の曲はジャンプきつかった(^_^;)
自分のファンの身体の傾向をよく分かってらっしゃる
こんな、おっさん・おばさんになるまでファンを連れてこられる郁弥はやっぱスゴい人だよね
ありがとう
いなくならないで、ここまで連れてきてくれて