本ではなくWeb記事です


記事っていうかコラム?読み物ですね


香川大学坂井聡先生コラム


PC環境じゃないとちょっと無理かもですが…


TEACCHをかじった事がある方なら「そんなこと知ってるよ!」

って言うことばかりかもしれませんね(;^_^A



私はこの先生の講演を聞きに行った事があります

とても面白くてわかりやすく坂井先生の事がいっぱつで大好きになりました(笑)


坂井先生はハイテクも駆使しますしとてもスマートです

「どうせ支援されるならかっこいい方がいいよね」

と言う子供の心にもちゃんと寄り添います

そうやって”かっこいい自分”を自覚することにより自分への

自尊心を子供が持てるようになることもちゃんと知っています


公共の場でも奇異に見られないかっこいい支援グッズ

公の場で溶け込めるシンプルでスマートな形


そういうものを使う事によってASDの人たちがすんなり

社会に溶けこめるように工夫をしておられます

その根本には

「携帯しやすいように自ら使いこなせるように構造化を変化させること」

つまり

「生活の中で構造化はなくさない。構造化し続ける」

ということです


私もこの意見に賛成ですし自分の子供達にもそうしていきたい





…ですが



ひとつ前の記事で上げた「僕の大好きな自閉症」

の作者 片倉 信夫さんは


「構造化を始めたら脱構造化も考える」

「自閉症も知的障害もストレスに強くするために鍛える」

理論の持ち主

これだけ書くと凄くむちゃくちゃな事を書いているように思うかもしれないけど

そうではありません

「自閉症というのは、わけがわかったようでいて、ちっともわけのわからないもの」

堂々とこう定義している先生なのです。
ここで述べられているのは、

「そんな正体さえも定かではない自閉症児たちと、どうつきあってきたか」

その取り組みが主題です。


「自分が知っている解っている事を書く」

…と

行動障害は本人がやりたくてやっているのではなく、脳に「やらされている」

のだから止めなくてはいけない

と言うのが主文


40年間の間、知的障害の人たちと付き合いながら作り上げてきた

持論


と言うことなのですが、時に行きすぎているようにも感じます

けれど


パニックもこだわりも常同行動も自傷・他害・飛び出し・固まり・多動なども

特別な状態での「人間の」行動である

平常状態の「人間らしい」行動ではない

まして、その人の個性が反映されている「その人らしい」行動ではサラサラ無い 

自閉症の人に特有な行動と呼ばれている行動群は、周囲の人達の勘違いと怠惰から作られたものであり

本来、無くしていく事が求められている種類の行動である

こうした行動のない状態を土台として、その上に通常の行動があり、

その人らしい生活が営めるわけである

通常状態を作り出し、それを維持する事は容易ではない

本人と周囲の人の終生に渡る非常な努力が必要である


こうした基本理念は正しいと思うのです



不可能です、かなりゼロに近い不可能です



それでも、突き詰めていけば本来はそう言うことなんだと私は心の中で思ってしまう


自閉症特有の行動はやはり”特有”ではないんだと思ってしまう


そして

「指導者にも力量があり向き不向きがある、しかしそれは訓練によってかえられる」

という理論


同じだけの事をしていても指導者によって差が出る

と言う真実もあからさまに書いている事


正しい見方の気がします








ただ、それを打破するのは限りなく難しい

子供に係わるすべての人がそこまでの、観察力、根気、瞬発力を兼ね備えなくてはいけない

その中にはもちろん保護者も入ります

自分にそこまでの鍛錬ができるのかと言えば…厳しい



でもその気持ちと向上心だけは忘れたくない


そう思います



どちらがどういいとも言えない、今の私には

けれど、どちらも大切

そんな気がしました