昨日は、自主的不登校の娘、久し振りに学校に行った。
娘が3、4時間目の図工に出ている間、用事を済ませてから、久し振りに公園を散歩した。
散歩しながら、出会いについて考えた。
人と人とは、みな知り合いから始まる。両親や親戚以外は。
それでも、出会ってから深く心の交流をしていくような人とは、最初から出会うことも、出会うタイミングも決まっていたんだろうなって思う。
そして、お互いが鏡となって、成長し合っていくのだろうなぁ。
娘が教室に行くと(教室前まで送った)、挨拶してくれる子、声をかけてくれる子がいて、嬉しかった。去年も同じクラスだった子たち。
去年、それぞれ娘の不登校について身近に感じてくれていたのだろうなと思う。
ずるいと思っている子もいるだろうけど、声をかけてくれた子は、娘の心を、心で受け止め続けてくれたのだなって思った。
娘が「給食も食べられそう」ってなって、急きょ食べてから帰ることになり、再度お迎えに来るべき時間を知りたいなって思ったら、前に娘の心を助けてくれた男の子が、察して、
「○○○、給食1時まで!」
と爽やかに教えてくれた。あったかいなぁ。見守ってくれているんだろうな。ありがとうね。
なかなか来れなくても、ここは娘の居場所のひとつなのだなぁ。一緒にいなくても、繋がっているんだなぁと感じられて嬉しかった。
理解ない言葉をかけられたことはないけれど、それは、学校や他の保護者との繋がりが薄いからだと思う。ラッキーだ(笑)
割り切ってしまえれば、なんてことない、うん。わっはっはー。
娘の心を助けてくれた男の子の話だけど、彼は、2年生、3年生、そして4年生と同じクラスでね。
2年生の後半、娘が「死にたい」って言ったり、自傷したりして、だけど学校は行っていて、1番つらかったであろう頃。
テストが返ってきて、自己否定が強い娘には何問か間違えていた自分が許せなかったの。
テストに「じぶん、しね!」と書きなぐって丸めてしまった。そしたら、それに気づいた男の子が、「○○○、テストかして!」って言うのでテストを渡したら、「しななくていい!」って書いて返してくれたという(T_T)
娘も、私も、彼の名前は忘れても(忘れるんか〜〜〜い)、この出来事は生涯忘れないと思うんだ。
誰にでも、自分の存在をまるっと肯定された。。。生きていていいんだよと言ってもらった。。。ずっと味方だよって言ってもらった。。。そんな記憶があると思う。
相手にとってはさりげない場面だったとしても、自分にとっては心が救われ、生涯忘れないようなこと。
自分を愛することができるようになってくると、いままで見えていなかったけれど、人からの愛をたくさんもらっていた事に気づく。
あ、あの言葉も
あ、あの態度も
あそこに一緒に行ったのも
すべて
自分が愛せていないと、人からの愛も受け取れないんだ。これ、実感。
学校とフリースクールをハシゴしたから、送迎&待機で1日が終わった感(笑)
1日でいいから、ひとりで、朝から夕方までボーッとしたいなぁって思う。
ほっこりしたい( ◍´ω`◍)
そして、今日は通級のあと、娘同伴でお仕事。
ママが先生であることをずっと我慢していた娘だけど、最近は結構不安定になってしまって、今日は隅っこのほうでうずくまって泣いていた。
発達心理的には、泣いてすみっコぐらしになった→来てくれた、となってしまうと誤学習になってしまうので、基本離れて見守る(特に母親である私は)。
でも、切なかったなぁ。だって、本人、本当はフリースクールに行きたい所を我慢して職場についてきてくれているから。。。
わたしの仕事のシフト、めちゃくちゃ自分本位にさせてもらっちゃったから、フリースクールになるべく行かせてあげられるようになる。
今後、またコロちゃんの活躍次第でどうなるやら(*´罒`*)笑
とりあえず、一日一日、自分の気持ちを感じながら
、周りの人の気持ちも思いやって、ていねいに暮らしていこう。
今日はこころのことをじっくり考えるゆっくり時間はなかったなぁ。明日はゆっくりできるかな( ˊᵕˋ* )♩˖*♬೨̣̥
亀さんのように、ゆっくり、ゆっくり。
今日も、1日ありがとう。
ごめんなさい。
ゆるしてください。
あいしています。
いっぽ、にほ、さんぽにいこう☆