ブログタイトル変えたはいいけれど、なかなかスケッチ旅行に行けないので、去年の夏、コロナ禍の隙間をぬって行ったスートゥリをご紹介します。
ローマからカッシア街道を北へ50キロほど走ったところにある、スートゥリ(sutri)。
車でさっと通り過ぎてしまえば誰も気づかない?って感じなのですが、ここには、エトルリアの墓地遺跡や、見事に発掘された古代ローマの円形劇場など、びっくりするほど重要な考古学的遺跡があります。
伝説によると、スートゥリに住み始めた最初の民族は、海を渡ってやってきた、ギリシャの先住民族ペラスゴイ人だとか。
そしてエトルリア時代に大発展し、後には「エトルリアへの玄関口」といわれ、古代ローマ人の侵攻に対するエトルリアの防波堤になっていました。
そのエトルリア時代の遺跡がこれ!エトルリアの墓地遺跡、ネクロポリス。
そして最も重要なのは、現在マドンナ・デル・パルト教会として知られている岩窟教会。
外から見ると、え?これが教会?って感じの、まさに岩窟教会!
ここへはガイドさんと一緒でないと入れないので、予約をして入ってみました。
入り口からは想像もつかない!
これ、全部掘ったんすか?
顔のところだけ、浮き彫りになってる人。っていうか聖人。
凝灰岩に掘られたこの教会は、もともとミトラ教の礼拝堂ミトレウムだったそうで。
え?ミトラってなんだ?
ミトラ教は、古代、東方で起こった民族宗教。のちローマに伝わり、ローマ帝国では、キリスト教と覇を競うほど隆盛を誇ったが、秘儀的な宗教であったため、多くは謎に包まれている。
…だそうです。
さらにいろいろ調べてみて面白いのは、現在のキリスト教の儀式の数々は、確かにミトラ教に影響されているようなんですけど、この知名度の低さったらなんだ!?
これはぜひ、今後じっくり勉強してみたいところです。
そして次、時代は遡って、ローマ帝国時代の素晴らしい遺跡がこれ!およそ2千年前に造られた円形劇場!
長い間、草木に埋もれていましたが、1800年に再発見され、地元の人々よって明るみに出ました。
で、すごいのはこの劇場も、この辺り一帯を占める大きな凝灰岩の岩山から削りだして造られたものなのですって!
こんなもん、掘るなよっていいたいわ…
とにかく、スートゥリは、中央ローマへの主要な貿易通路であったカッシア街道のおかげで繁栄し、農業と職人業の中心になりました。
中世には、商品のほか、巡礼者の通過点ともなって、ますます発展します。
歴史的に見てちょっとおもしろいのが、この小さな街が、その後の教皇国家の始まりだったということ。
5〜8世紀の間、スートゥリは、ロンゴバルドとビザンチンの間の闘争に巻き込まれていました。
そして、728年にロンゴバルドの王が、スートゥリとその周辺の土地を教皇グレゴリオ2世に捧げたのです。
この寄贈は、その後に続く教会支配の始まり、つまり教会が世俗の上にも権利を持ちはじめ、教皇領を拡大し始めた最初の出来事と考えられています。
それからは何世紀にもわたって、スートゥリは、教皇パウロ3世も選出したファルネーゼ一家の商業通路独占で繁栄 ←現在はもう本当に小さな街ですけどね。
ちなみに教皇パウロ3世は、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の最後の審判を描かせた教皇です。
ということで、さて次、食の話っ!
スートゥリの特産は、“fagiolo della regina”
女王様のお豆?
クリーミーな白色に、赤いまだら模様があるボルロット品種のお豆のことですね。
9月には『 la Sagra del Fagiolo』という、このお豆のフェスタがあるそうです。
テラコッタの器で提供されるんだそうな。
もしかしたら、その器はそのまま持って帰っていいのかも?
むかーし行ったサン・ジミニャーノのフェスタがそうだった。
テラコッタのカップに入ったワインが屋台で売っていて、そのままカップも持ち帰りok!
嬉しくて何杯飲んだことか…
おーし!9月になったら是非また行ってみよう!
おまけの写真
街中の広場のレストランにて。
ん?私の分だけまだないのはなぜ?